AIを使わないと不安になるとき、最初にやること
本を、なかなか開けずにいます。
読もうと思って買った本が、しばらく手つかずのままになっています。時間がないわけではありません。ただ、いざ開こうとすると、どこかで落ち着かないのです。何かAIを使って作業をしていないと、時間を無駄にしているような気がしてしまう。
AIを使っていない時間が、なんとなく後ろめたい。もし、その感覚に覚えがあるなら、これはあなたの話でもあるかもしれません。
その後ろめたさは、たぶん、直さなくていい。そう気づくまでの話を、書いてみようと思います。
豊かだったはずの時間が、後ろめたくなる
以前の私は、本を読む時間が、素直に好きでした。心理学や哲学の本を開いて、知らなかった考え方に触れる。それだけで、満たされていました。
ところが最近は、たっぷり本を読めた日でさえ、あとから妙な感覚が湧いてきます。振り返ってみると、その時間は当然、AIを使っていない。すると「何もできていなかった」とか「時間を無駄にした」という、一種の罪悪感のようなものが出てくるのです。そんな自分に気づきました。
読書の時間は、以前なら文句なく豊かな時間でした。誰に恥じることもない、大切な時間だったはずです。それが、いつのまにか裏返っていました。
豊かだったはずの時間が、「AIを使っていない時間」というだけで、後ろめたさの対象に変わっていた。
そのことに気づいたとき、少し不思議な気持ちになりました。
そして、これは本に限った話ではありませんでした。
よく見てみると、AIを触っていない時間は、何をしていても「生産的な時間」としてカウントされなくなっていたのです。本を読む時間だけではありません。人と話す時間も、ただ考えごとをしている時間も。「今日はAIにあまり触れていないから、生産的じゃなかったんじゃないか。」いつのまにか、そんなふうに一日を測るようになっていました。
生産的でいる感覚を、AI作業に肩代わりさせていた
AIと壁打ちをして、思考を深める時間はあります。もやもやしたものをそのまま言葉にすると、AIがそれを受け止めて、問いを返してくれる。その問いに答えようとするうちに、自分でも気づいていなかった考えが、形になっていく。深いところまで潜れている感覚も、たしかにあります。
けれど、自分一人だけで本当に内省をして、頭の中、心の中で考える。そういう時間は、減ってしまったのかもしれません。
並べてみて、ひとつ思い当たることがありました。AIを使った作業や壁打ちは、画面に文字が増えて、目に見える成果が残ります。一方で、一人で本を読んだり、静かに考えたりする時間は、外から見ると手が止まっている。同じように頭を使っていても、片方は「やっている」ように見えて、もう片方は「止まっている」ように見えてしまうのです。
手を動かしていること。それを、「自分は何かをやっている」「生産的だ」という感覚の拠り所に、いつのまにか肩代わりさせていたのだと思います。
だから、AIを使っていない時間そのものが、落ち着かない。壁打ちをしていないと、何もしていないんじゃないか。正直なところ、私自身が今もそう感じてしまいます。
矯正しようとして、かえって自分を否定してきた
こういう感覚と、私はずっと付き合ってきました。一度や二度ではありません。長いあいだ、こういう状態を治そう、矯正しようとして、自分に無理な転換を強いるような取り組みを繰り返してきました。
そもそも、自分がそうなっていることに気づけなかった時期も長くありました。そこから心理学を学んだり、内省することを覚えたりして、自分の心の状態に、ある程度は気づけるようになってきました。
だから今回も、「AIで作業していないと生産性を感じないんだな」と気づいたとき、それを認知の歪みとして解きほぐそうとする方法もあります。もちろん、それも一つの手ではあるでしょう。
けれど私がやりがちなのは、そこで「そうじゃないんだ」と否定してしまうことです。「そんな捉え方をしちゃダメだ」と、自分の中で対話を交わしているうちに、いつのまにか自己否定のほうへ落ちていく。そういう場面なら、挙げればきりがありません。
正そうとするほど、なぜか苦しくなる。長いこと、その繰り返しでした。
直そうとせず、ただ気づく
では、どうするか。
私がやっているのは、まず「そうなんだな」と認識することだけです。
問題は、こういう状態に、知らず知らずのうちになっていること自体にあります。だからまず、その状態に気づく。そこがいちばん大事なのだと思っています。
ここで、それを防ごうとしたり、否定しようとしたりする対策を打つのは、かえってよくありません。無理に正そうとすると、反発してそこに戻ってしまったり、別のところに歪みが出たりします。だから、あえて何もしません。「自分は今、AIを使っていないと生産的じゃないように感じているんだな」と、ただそう認めるだけです。
不思議なのですが、気づいた時点で、もうすでにほぐれてきているのです。「AIを使っていなくても、生産的かどうかは関係ない」ということが、自然と腑に落ちてくる。
これを変に頭で理解しようとすると、かえってこじれてしまう。だから、理解しようともしません。ただ、気づく。それだけです。
AIを使っていない時間を、無駄だと思っていないか
あなたも、AIを使っていない時間を、無駄だと感じていないでしょうか。
本を読む時間。何もせずに考えごとをする時間。手が止まって見えるその時間に、後ろめたさが混じっていないでしょうか。
もしそうだとしても、無理に直そうとしなくて大丈夫です。 正しく考え直そうとしなくてもいい。
本を開く前に落ち着かなくなったら、まず「今、AIを使っていないことに焦っているんだな」と、心の中で言葉にしてみる。私が最初にやっているのは、それだけです。
少なくとも私は、そう言葉にするだけで、自分の感覚から少し距離を取れるようになりました。
AIを使っていない時間は、何もしていない時間ではありません。本を読み、自分の頭で考える時間もまた、目には見えないところで、何かを育てているのだと思います。
探究の続きを、一緒に
自分が今、どんな時間に後ろめたさを感じているのか。その感覚は、渦中にいると、なかなか自分では見えないものです。まずは、そんな自分に気づくところから始まるのだと思います。
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