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【弱さ日記】ちいかわになれない、ゲッツなぼく

1.割り切ってしまう、ぼく

先日、映画『ちいかわ』について、
すこし、お話をしました。

その中で、
ちいかわみたいじゃないぼく
というお話をしました。

ちいかわ、つまり、
ことばにならないものを
無理にことばにしない、
割り切れないものを
割り切らない、
ということです。

ぼくは、つい、
割り切ってしまいます。

その割り切り方みたいなものを
少しだけお話ししたいと思います。

2.ゲッツに共感してしまう、ぼく

高校生の時に読んだ
戯曲『悪魔と神』
という作品のことが
頭にあります。
うろ覚えですので、
作品のあらすじは、
ふんわりしてしまいます。

この作品の主人公のゲッツが、
まさに「割り切るひと」でした。
ぼくはこのゲッツに、
どこか共感してしまう、
というところがありました。

ゲッツは、なんというか、
酷いひと、です。

物語の冒頭では、
ゲッツは悪に生きることを信条にした
本当に残虐なひと、です。
騎士というより野盗みたいです。

それが売り言葉に買い言葉で、
うって変わって
善行という善行を始めるんですね。

ですが、善行をしていくと、
善行が裏目に出ていきます。

その中で、
神に呼びかける声は
どこにも届かず、
善も悪も意味はない、
という絶望に至ります。

この世は自由度が高い
という欠陥を抱えてる、
みたいな絶望です。

この絶望の中で、
善であるとか悪であるとかではなく、
戦うひとであるという形に
自分を仕立て直して、
農民戦争に身を投じます。

みたいなお話です。
たしかそんなお話。

ぼくにとって重要だったのは、
ゲッツの最後の割り切りに、
すごく違和感を覚えつつ、
ぼくにもそういうところがある、
という奇妙な共感をおぼえたことでした。

お話の内容自体は、
スムーズに入っていきます。
すごく読みやすいですし、
面白いんですね。

でも、ゲッツが、
善悪とか神様だとか、
そういうものを割り切った時に、
いっしょに割り切ってしまったものが、
あったような感じがしたんです。
いろんなものを割り切ってしまう。

違和感であるとともに、
ぼくもそういう人間だ、
という共感だったんだと思います。

3.ちいかわとゲッツ

ちいかわみたいなやさしさが
あふれている世界では、
ゲッツは生きにくい、
と思うんですね。

すくなくとも、
ちいかわが生きられる世界では、
ゲッツは相当な乱暴者です。
討伐される側になっても、
あんまり不思議じゃないです。

ゲッツが元気にやってる世界では、
ちいかわはふみにじられちゃいます。

でも、見方次第で、
どちらも弱さです。

ちいかわは黙ってしまえる
というところがあります。
それは、映画の中で、
セイレーンの側や
島の多くのひとたちから見れば、
どうして?と思われてしまう、
そういうこころのありようです。
むしろ、その弱さが、
すごく大切だったし、
ちいかわの立場とすれば、
いろんなものを抱えて、
ひとり黙っていることが、
よっぽど良かった
と思えます。
弱さがあるからこその、
やさしさだと思います。

ゲッツはやっちゃいけないことを
平気でやってしまえます。
やさしさからやっちゃうこともあります。
割り切ってはいけないものを、
割り切ることができる、
というのは、やはり、
弱さだと思うんですね。
それは他のひとの大切なものを
ふみにじってしまえるからです。
ところが、その弱さこそが、
農民戦争最中の16世紀ドイツでは、
民衆の側に立たせることになります。
ぼくには、やむにやまれぬ状況から、
選ぶ基準がない中で、
それまでの自分を乗り越えて、
何か行動するところがあるのです。
当時、そういう自分を
ゲッツが代理しているようにも、
感じられました。

4.ぼく自身のこと

ぼくはきっと、
ちいかわみたいな弱さも、
ゲッツみたいな弱さも、
どちらも持っているし、
どちらが良いのか、
というお話にはならない、
と思うんですね。

どちらかであるべき、
というわけにはいきません。
ただ、どちらも弱さですし、
誰もが、どちらかに傾いても、
それは悪いことだと
言いたくはありません。
どちらかに傾いてしまうことを
後からさかのぼって、
「どうしたら良かったのか」
みたいなお話はしたくないな、
と思うんですね。

ちいかわとゲッツが、
一緒にいられる世界って、
どんなものなんだろう、
なんてことを考えています。

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