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2025年夏アニメ感想 CITY

 もしかして、放送終了から8ヶ月も過ぎちゃってる? ブログを休止しているあいだに、そんなに時間が過ぎちゃったか……。執筆自体は2025年9月の末頃なんだけど。
 半年前に放送していたアニメの感想文なんて今さらな気がするので、軽めに掘り下げていきましょう。

CITY

 京都アニメーション発の楽しい作品。あらゐけいいち作品の映像化は2011年『日常』以来。
 画面の比較してみましょう。

 何が違うのか?
 『日常』の頃は、まだ「アニメ」のフォーマットに寄せて画面が作られていた。キャラのポーズ、線の入れ方、服の皺の細かさ……。アニメの制作者にとって、「描きやすい・作りやすい」画の作り方だった。
 一方、『CITY』は思い切って原作:あらゐけいいちの作風に寄せている。線は太く、あえて均一に描かない。服の細かい皺も書き込まない、影も付けない。背景も全体的にのっぺりさせて、空気遠近法も表現しない。
 キャラの可愛さでいえば、断然『日常』だけど、『あらゐけいいち』らしさは圧倒的に『CITY』。さて、みんなはどっちが好きかな?

 一つ気になったのは、「太線」作画。どうやって作ったのだろうか?
 太線作画にはいくつか手法があって、一つ目は手作業で太線を描く。『進撃の巨人』がこのやり方。2つめがクリンナップ時にサインペンを使う(私も現役アニメーターだった頃、この作画方法、やってました)。3つめがデジタルで太線を作る方法。
 正解がどれなのかというと、見ているだけではよくわからなかった。全体が均一な太線になっているところはデジタルかな? という気がしたけど、強弱のついた線は手書きっぽい。複数の手法を混ぜていたのかも知れない。

 さて、こんなルックだから、「内容もぬるいアニメなんだろうな」……と思わせて、そこは京都アニメーション。キャラ絵も背景もシンプルなぶん、それ以外のところで、かなりエグいことをやってくれる。
 たとえば第1話プロローグシーン。

 空から始まって、雨粒が落ちていくところ――でいったん動きが停止。

 停止状態のまま、カメラがPANし……

 街の中へすーっと入って行く。カメラの動きはデジタル。

 カメラが商店街へと入って行く。時間が停止しているので、雨粒が立体的に移動していく。立体感のあまりない背景だけど、雨粒のおかげで立体感が出ている。

 カメラがずーっと下へ降りていき、ここで時は動き出す。この一つの画面に、ほぼ全キャラが集合。

 次も第1話のある場面。

 堅焼きそばが皿からこぼれて……。
 カメラが動きます。

 堅焼きそばが落ちた場所は鞄。
 そこからカメラは上へPANし……

 どうしてこうなった……?🤣
 CGは一切使わず、手書きで画面全体の動きを表現している。

 見ての通り、「動き」でめちゃくちゃな「遊び」を入れているのが本作。動きでいかに面白くできるのか、変わったことができるのか……。この一点でアグレッシブに攻めまくっている。『日常』の頃は、キャラクターをアニメのフォーマットに載せることで、「アニメらしさ」にちょっと囚われている感じがあった(それでもやはり動きが心地よかった)のだが、『CITY』では原作絵に寄せたことによって、普通のアニメではまず見られない画面だらけの作品となった。

 それでいて、ちゃんと「映像作品」として意識されて作っているところもある。
 例えばこちら。

 1枚目は手前側の人物(真壁鶴菱)の顔が湯気にかぶって、像がぼやけている。2枚目、煙から離れたので、顔がくっきり映っている。「映像で作ると、こんなふうになるはず」……という絵を、この作品ならではの表現で描かれている。デジタルの手を借りず、手描きでやっている……というところが面白ポイント。

 続いて、堅焼きそばに野菜とあんが乗る。あんのとろっと垂れる様子が妙に生々しい。絵だけで見ると非常にシンプルだが、「動き」で実在感が出ている。こういうところで、「描いている人はめちゃくちゃに上手い」とわかる。

 あとはいかに「動き」で遊ぶかで……

 例えばこちらの場面。止め絵ではわかりにくいけど、救急車が異常な動きをしている。普通のアニメだったら、救急車の「止め絵」で充分だし、だいたいのアニメはそう描く。それで成立する。でも「動きで遊ぶ」がこの作品の本旨なので、めちゃくちゃな動きをあえて作っている。

 という以前に、この作品、「簡単な作画」が少ない。
 「簡単な作画」というのは、上に掲げたような、キャラクターの顔だけ出して、目パチと口パクだけでキャラクターを表現すること。作画枚数は合計7枚。キャラクターの顔、顔、顔……を繰り返して、あとは声優の芝居がうまくいけば、場面はもつ。それが普通のアニメ演出。

 でもこういう場面でも、簡単にしないのがこの作品。どこかでひねる。どこかでおかしなことをする。そして「リピート作画」をやらない。手間と作画枚数があえてかかるようなことをやりまくっている。

 第5話はお話の途中から分割画面。それぞれの画面で物語が進行していく。1回目の視聴では、まず見通すのは無理。第5話のみで作画枚数1万6000枚という、テレビアニメ史上前例のない作画枚数となっている。

 第9話も作画が暴れている。クライマックスは、なんと2分に及ぶ長回し。しかも画面は背景を含めて常に動き回る。たぶんこれ、CGを使わず人力作画。やはりテレビアニメ史上前例のない作画だし、劇場アニメでもここまでの長回しアクションはそうそうあるものではない。

 京アニ・アニメーターが暴れ回った作品だが、こう見ると、なぜあらゐけいいち作品が題材にされているかがわかる。
 ここからは私が作品の印象から見た推測の話。
 あらゐけいいち作品が選ばれた理由は、画作りを自由にできるから。

 例えば『響けユーフォニアム』。こちらの作品は見事なクオリティではあったものの、作画に自由度はない。リアルな世界観がベースになっているし、キャラクターもあれば楽器もある。これらを破綻させず絵にするだけでも大変。それを最後までやりきっただけでも偉い。
 でも『響けユーフォニアム』のような作品で、アニメーターが自由に創意を発揮できたかというと、それはない。今のアニメ、世界観やキャラ作画がガチガチに固まりきっていて、アニメーターがのびのびと創意を発露させる場面が少ない。

 でも、あらゐけいいち作品であれば、いきなり自由度が上がる。こういう柔らかい世界観だったら、なにをやっても成立するぞ……。
 と、いう理由であらゐけいいち作品が選ばれたのかはわからないが……。

 いま、アニメを取り巻く状況がどうなっているのか、アニメを少しでも見ているならば、みんな知っている。「原作」への取り扱いが非常に慎重になっている。慎重になりすぎているほどに、だ。
 原作からアニメへ変換する場合、ある程度の改変や補強が必要だ。漫画とアニメはメディアが違うから、「そのまんま」というわけにはいかない。でもそのやり方が少しでも(解釈が)違ったら「改変した!」と大騒ぎになる。
 でも、あらゐけいいち作品をであれば、「原作と設定が違う!」と大騒ぎする人は、まあほとんどいないでしょう。「原作と展開が違う!」とか「原作と構図が違う!」とか……そういう問題を誰も気にしないような作品。むしろアニメーターが暴れれば暴れるほどに面白くなる。そういう作品だ、という安心感があるから、選ばれたんじゃないだろうか。

 ここでちょっと個人的な話。
 昔は原作とアニメは相互的な関係だった。例えば1981年版『うる星やつら』。このアニメ版初期は放送が始まったのに、別作品にアニメーターが取られていて、なかなかクオリティが安定しなかった……という苦労話があったそうだけど……。それでもこのアニメの中で生まれた「設定」というものもあった。
 例えば主要舞台である「友引高校」の校舎デザイン。なんと原作でちゃんとした設定がなく、アニメ版を契機に、あらためてデザイン画が書き起こされ、原作に逆流した。昔は漫画の設定もいい加減なものが多く、曖昧だったり、連載の最中にどんどん変わったりすることが多かった。
 最近は設定やシナリオがガチガチに組まれているから、そういうことも少なくなったけど。昔はアニメ版で設定が確定して、原作に逆流する……ということがよくあった。

 京都アニメといえば、2007年のヒット作『らき☆すた』。
 この作品を見た時、こんなかわいいキャラクターたちなのに、背景が実在の風景であることに驚いた。こんなアプローチがあるのか、と。
 テレビアニメでも実際風景を丹念にロケハンして再現する……という流れは『エヴァンゲリオン』辺りからの流れだったと思うが、その作り方がこんなアニメにまで波及してきたのか……と当時はかなり驚いた。
 今では当たり前の話だけど、ほとんどのアニメ作品が実在のどこかでロケハンされて、その背景のなかでキャラクターが活躍する……という構成になっている。
 その以前はかなりいい加減で、なんとなくの記憶を頼りに背景が作られるものだった。なんとなくで背景を描いていたものだから、実際にはこういうものはないよね……というものが平気で描かれたりすることも多かった。その一つが「空き地の土管」。空き地の土管は高度経済成長期の風景だったけど、その時代が終わった後も、アニメの中に描かれ続けていた。実際の背景を見ずに、「どこかで見た」という記憶だけで絵を描くからそうなっていく。絵とは、実は「記憶を再現するもの」あるいは「思い込みを再現するもの」であるという本質がわかるエピソードだ。
 2000年以後のアニメを取り巻く大変化といえば、作品ごとに細かく実在風景をロケした上で作品を作ること。そうすることで何が変わったかというと、アニメの中に「今」の風景が描かれることになる。見る人からすれば、自分たちと同一の世界がそこにあるわけだから、リアリティが上がるし、親近感がグッとあがる。作る側にしても、ロケハンをすることで自分たちのイメージが刷新するので、学びの場となる。それ以上に、ロケハンをちゃんとすることで、画面の情報量が一気に上がる。映像作品としてのクオリティが一段確実に上がる(言い方を変えれば、「手っ取り早くクオリティを上げられる手法」でもある)。

 『らき☆すた』にしても、原作で「舞台は埼玉のここだ」とは明示されてなかったはず。鷲宮神社が「らき☆すたの聖地」ってことになっているけど、たぶん原作ではそのように明示されていない。これも言ってしまえば、「原作改変」の一つ。でもアニメで場所が明示されたことによって、公式設定となっていった。2000年代以降でも、「逆流現象」はあったのだ。

 アニメの歴史という観点を見ても、アニメと原作は相互関係で、アニメで改めて設定が確定されて、原作に逆流することは多かった。なぜそうなるのか、それは漫画がかなりいい加減な素材でも成立してしまうメディアだから。キャラクターの設定も確定せずに連載の過程でどんどん変えてしまってもいいし、場所もかなり大雑把でも成立する。
 でもアニメはあらゆる設定を明確にしなければならない。学校のデザインでも、美術スタッフがそれぞれで勝手に描くわけにはいかない。全員が共有できる設定イメージは必要だ。それにアニメは背景も色も付いて、声も入るから、「実在感」がいきなり高くなる。「場所」を明確にしないと、画面がゆるくなる。
 例えば『けいおん!』の旧豊郷小学校。これは舞台選びとしてはスペシャルな選択。1937年、建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計による名建築だ。内装は小学校とは思えないくらい、豪華でオシャレ。『けいおん!』の伝説的な人気も、この名建築だったからともいえる。舞台選びによって映像作品としての格が1段も2段も上がったという実例だ。『けいおん!』は舞台選びによってそういう効果が起きると知らしめた効果は間違いなくあった。

 もちろん、映像の世界には「ダメな改変」というのもある。
 例えば実写の世界では、俳優があらかじめ決まっている例が多い。監督にすらキャスティング権がない……会社側権限や、俳優事務所の権限があまりにも強く、そちらが主導でキャスティングが決められて、それに合わせてストーリーが改変されていく。この場合は、もうグタグタのグダグダになる。
 おまけに、実写界隈の人々は漫画やアニメの作り手を一段下に見ているので、自分の創造性を上に置いてしまう。テレビ、映画界隈の人々は、すでに実写よりアニメの方が表現力の面でも上……ということに気付いてないか、あるいは認めない。この関係性の時、だいたいにおいて、ダメな作品ができあがる。
 せめて原作を覆すほどの面白さがあればいいのだが、そもそも表現力が低いのでどうにもならない。

 映像作品と原作が、良き相互関係になっていないと、だいたいダメになる。

 ……お話が長くなっちゃったな。
 『CITY』にお話を戻すと、最近の「原作もの」を取り巻く難しい問題を、あまり気にしなくていい作品。アニメーターがのびのびと創意を発揮させられる。アニメーターが大暴れするほどに、面白くなる(さらに声優まで大暴れ!)。だからこそ、この作品だったんじゃないかな……というのが私の見方。

 一つ目の話が長くなっちゃったので、次の話は短くさっと済ませるけど、たぶん「アニメーターの訓練場」として最適だったからじゃないかな。
 例えば『響けユーフォニアム』や『ヴァイオレットエヴァーガーデン』といった作品は線の密度がものすごいけど、動きが面白かったか……というとイマイチだった。というか、そもそもどちらも「静」のイメージの作品。
 しかしアニメーションの「胆(きも)」は「動き」。あの作品では、アニメーターの真骨頂たる「動き」を身につけることができない。『響けユーフォニアム』と『CITY』では同じアニメでも、「使う筋肉」がまるっきり違う。
 たぶん「アニメーターの熟練度」という観点から見て、『響けユーフォニアム』と『ヴァイオレットエヴァーガーデン』でリアルな空間表現とキャラクター演技を極めたから、次は「アニメらしい動き」を追求したんじゃないか、と。

 まあ、ぜんぶ私の推測だけどね。
 正しい情報は、どこかでスタッフインタビューとかが載るはずだから、ここで聞いた話を鵜呑みにせず、そっちを参照にしよう。

 まとめとしては、私が見た『CITY』は、スタッフ全員が暴れ回った作品。暴れれば暴れるほどに楽しくなっていく。シリーズ全体で見ると、最初よりも中盤以後、どんどん勢いが付いてくる。作画はどんどん大胆になるし、声優は叫びまくるし……それで回を重ねるごとに楽しさが増していく。見終わった後に毎回「ああ、楽しかった」で終われる。その感覚が清々しくて、心地よい後味のアニメだった。


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