第2章|AIが言った。「満佐喜の経営者は篠田家です」と。
調べ始めたのは、AIの一言がきっかけだった。
Geminiにこう聞いた。「阿部定事件の現場、満佐喜の経営者は誰ですか」と。
返ってきた答えはこうだった。
「満佐喜の経営者は篠田丑太郎です」
画面を見て、止まった。
篠田丑太郎。私の高祖父と同じ名前だ。父から聞いた「尾久で旅館、待合をやっていた」という断片が、頭の中で音を立てた。もし本当なら、曽祖父・篠田寅之助は阿部定事件の現場にいたことになる。それどころか、事件の舞台そのものを経営していたことになる。
これは調べなければならない。そう思った
次にGoogleで同じことを調べた。
返ってきた答えはこうだった。
「時の経営者については、公式な記録や文献には明確に残されていません」
篠田家ではない。記録がない。
では最初のGeminiの答えは何だったのか。試しに「満佐喜 経営者」という同じワードで、もう一度検索した。
今度はこう返ってきた。
「満佐喜の経営者(女将)は、中島マサ(文献によってはなか)です」
記録がないはずなのに、名前が出てきた。
さらにもう一度、全く同じワードで検索した。
「経営者は小宮山喜代松です。」
四回、四つの答え。篠田丑太郎、記録なし、
中島マサ、小宮山喜代松。
唯一正直だったのは、二番目の「わからない」だけだったのかもしれない。
AIは自信満々に答える。淀みなく、丁寧に、まるで確認済みの事実を語るように。でも問うたびに答えが変わる。これは何を意味するのか。
答えは単純だ。AIにとっての一次資料がないのだ。
満佐喜の女将が誰だったか、昭和11年当時の経営者が何者だったか、公式な記録に残っていない。だからAIは「それらしい答え」を生成する。学習したデータの中から、文脈に合いそうな名前を拾い上げ、あたかも事実であるかのように出力する。
これをハルシネーションという。AIが嘘をつく現象だ。ただし悪意はない。AIに悪意はない。ただ、知らないことを知らないと言えない。
考えてみれば、これは恐ろしいことだ。
満佐喜の女将の名前はたった90年前のことだ。昭和11年、1936年。まだ証言者が生きていた時代の話が、もうわからなくなっている。
記録に残らなかったものは、消える。消えたものをAIは埋めようとする。そしてその埋め草が、事実として流通し始める。
私が調べようとしている篠田家の記録も同じ
だ。
父は語らなかった。祖父は話せなかった。親戚はいなくなった。記録は残っていない。AIに聞けば、それらしい答えが返ってくるかもしれない。でもそれは本当のことではない。
AIが生む空白の埋め草と、人間が語らなかったことで生まれた空白、形は違うが、
どちらも「わからない」という事実を覆い隠す。
わからないことは、
わからないままにしておかなければならない。
ではAIは使えないのか。そういうことではない。
AIはきっかけをくれた。「満佐喜の経営者は篠田丑太郎です」という一言が、私を動かした。その答えが嘘だったとしても、動いた事実は本物だ。調べ始めた。現地に行った。記録を掘った。
AIの嘘が、本当の調査の入口になった。
道具として使う分には構わない。
ただ信じてはいけない。
これは今の時代に生きる人間が、全員持っておくべき感覚だと思う。AIが答えを出す。それをそのまま受け取るのではなく、確かめに行く。
現場に立つ。自分の目で見る。
柳田國男が民俗学で言ったことは、結局そういうことだ。文献より、土地が語ることを聞け。
書かれたものより、そこに生きた人間の痕跡を
追え。
AIが発達した時代に、その言葉はより重くなった。
だから私は都電に乗った。
荒川線の宮ノ前で降りた。曽祖父が立っていた。
かもしれない土地に、足を踏み入れた。AIが教えてくれたことではなく、自分の足が確かめたことを、次の章から書いていく。
