映画『さよならはスローボールで』 野球の神様はベーブ・ルースだけじゃなかった
映画『さよならはスローボールで』は、おっちゃんたちがダラダラと草野球をプレーしているだけの映画。
この映画をあろうことか11/2のワールドシリーズ第7戦をやっている時間帯に観に行ってしまった。
本編始まる前の予告見ているあたりで
「いや今日WSじゃん…!」
と思い出したけど、時すでに遅し。
だけど結果的には逆にそれが良かった。
ワールドシリーズのような世界最高峰の試合とは対極にある、終わったそばから忘れられてゆく何でもない試合、それゆえの尊さがくっきりと感じられたので。
映画を見ている時は延々と続くゆるい試合に
「コレ一体いつまで続くんだよ…」
って痺れを切らしかけちゃうのだけど、見終わってからしばらくすると
「やっぱアレすげぇ好きかも…」
とジワジワ余韻が溢れ出してくるタイプの忘れ難い一本だった。

決着がつけられずグダグダ続く試合
慣れ親しんだ野球場が取り壊されようとする最後の日の朝、森の中からフラニーというおっちゃんがやってくる。これから行われる最後の試合のゲームスコアをつけてくれるのだ。彼はこの映画全体を司る妖精のような立ち位置のキャラクターである。
草野球をプレーするおっちゃんたちが徐々に集まってきてひと通り揃ったところでプレイボール。午前中から始まった試合は正午を回り、昼下がりを過ぎて日が暮れだして夕方になり、いよいよ夜の闇が訪れ完全にボールが見えなくなっても、ダラダラと続いてゆく。
試合の途中で、それまでなんとなく試合を眺めていた観客たちも、キッチンカーのおっちゃんも、アンパイアも、なんならプレーしていたおっちゃんまでもが一人またひとりと帰って行ってしまう。
さっきまでそこらへんにいた人たちの姿がぽつりぽつりと見えなくなっていくにつれて、どことなく寂しさが募っていく。
過ぎ去っていく楽しい時間への名残惜しさと寂しさがない混ぜになりながら続けられる試合は、まったくもって決着がつけられずに終わりどころを見失い、ひたすらグダグダと続いていく。
そしてワールドシリーズのような劇的な幕切れなどではなく、それとは真逆の凡庸ともいえるゲームセットの瞬間を迎える。
全てを見届けてから、ひとり森の中へと帰ってゆくフラニー。
人生のメタファー
これって、言ってしまえば人生のメタファーである。
例えばマリリン・モンローやジェームズ・ディーンやカート・コバーンのような若くして伝説となった劇的な人生ではなく、そこら辺にいくらでも転がっている平凡な人生。
カッコよく終わることなんてできない。というか終わりどころなんて誰にもわからない。Too Late To Die。そんな人生のメタファーである。
人は誰しも死に対して絶対的に孤独な存在である。我々にできることは、ただ過ぎ去っていく束の間の時間を、一緒に過ごす誰かと楽しもうとすることだけ。お先に、と去っていく人がいたのなら、あふれる幸せを祈り手を振ってはしばし別れるだけ。そして自分にも押し出されるようにしてこの世から去る瞬間がやってくる。
一瞬の夢のような生きている時間に、みんなと一緒に楽しく草野球に興じる。
それだけでもう幸福じゃないかと。
そんなふうに平凡な人生丸ごとを肯定してくれるスローな草野球映画なのである。
ちなみに(自分は知らなかったけど)元レッドソックスの名投手のカメオ出演もあるし、チャプター転換ごとにベーブ・ルース、ハンク・アーロン、ジョー・ディマジオなど、かってのスター選手たちの名言が挟み込まれるのが小粋だったりもする。
野球の神様はベーブ・ルースだけじゃない
どうやら野球の神様とはベーブ・ルースだけじゃなかったみたいだ。
草野球をプレーするおっちゃんたちも、アンパイアも、フラっと球場にやって来てただ試合を眺めているだけの人も、そして終わったそばから忘れられてゆく試合をスコアに刻み残してくれるスコアラーも、つまりは野球場に集うみんなが野球の神様だったのである。
万人におすすめはできないけど、野球が好きな方はぜひ見てほしい。見ている間はちょっとイライラするかもだけど、見終わった後にジワジワ込み上げてきて止まらなくなるから。
ちなみにこの映画終わって、Prime Videoで8回から見始めたワールドシリーズ第7戦。
ついさっきまで見ていた映画の残像のせいもあって、プロ野球選手たちのプレーの凄さ、球の速さ、テンポの良さ、そして試合展開の劇的さといったあらゆる要素のギャップがとんでもないことになっていて、"野球の化け物たちの競演"という実感がものすごかった。
そんな新鮮な感覚で見れたので、むしろワールドシリーズやってる時間にこの作品を見ちゃったのは大正解だった。
