団地の真島昌利 -マーシー作詞作曲の"団地ロック"を語ろう-
10月29日に発売が迫っているザ・クロマニヨンズ18枚目のアルバム『JAMBO JAPAN』。そこにはなんと真島昌利(マーシー)のボーカル曲が収録されているという。久しぶりにマーシーの歌が聴ける…とそわそわしっぱなしなので、それならばいっちょ発散しとくかと「クロマニヨンズ初のマーシーボーカル曲記念」にかこつけて、マーシー作詞作曲の"団地ロック"について書いてみたい。
団地ロックとはマーシーのソロ作品やブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニヨンズにおいて、マーシーが手がけた「団地の風景や情景が湧き上がってくる曲」たちのことである。それらを勝手に団地ロックと呼んでいる。
マーシーは東京都日野市出身で、その後小平市の団地に移り住み、幼少期から少年期を過ごしていたことはよく知られている。そんなマーシーの原風景が反映されているのかもしれないし、されていないかもしれない。それはともかくマーシーがつくった団地の風景・情景が浮かぶ曲たちについて勝手な妄想であれやこれやと書いておきたい気分なのである。
団地は世界のすべて…
まず団地とは何か。1955年ごろから日本は高度経済成長期に突入すると、地方の農村から都市部へのベビーブーマーたちの人口移動が起こった。そのため若い一家が暮らす住まいの受け皿として、都市部郊外に建てられたのが大規模集合住宅地。これが団地である。ちなみに団地は「集団住宅地」の略語だったとされるそう。
団地に対してはどういうイメージをお持ちだろうか。1950年代当時、団地は今でいうところのタワマンの如くもてはやされた憧れの対象であったそうだが、そこから約70年が経過した今となっては旧態依然としたまま老朽化しているコンクリートの塊みたいなイメージなのかもしれない。もしくは同じような建物が並ぶ人口的で味気ない風景。閑散としていて主に高齢者だけが住んでいる活気のない場所、といったところだろうか。
私は1981年生まれで物心ついた時から高校入学までのおよそ15年間ほどの多感な時期を、東京郊外の多摩ニュータウンにある団地で過ごした。その後一戸建てに引っ越してしまい団地暮らしからは離れたのだけれど、現在は同じく多摩ニュータウンにあるいくつかの棟が並ぶ大型分譲マンションに住んでいる。団地は先ほど述べた通り「大規模集合住宅地」なので、ある意味現在も再び団地暮らしをしているようなものである。自宅の近くには今も昔ながらの団地がたくさん立ち並んでおり、普段の生活の中で毎日見る風景として団地は変わらずに存在している。
そのため私にとって団地とは、大人になった現在なら日常生活空間に当たり前に存在している、例えば富士山とか、スカイツリーとか、東京タワーのようなランドマーク的な愛着ある風景であるし、子供の頃であれば団地は格好の遊び場であり、自然そのものでもあり、つまりは世界のすべてであった。
そのような団地と縁が深い人間が、マーシーのセンスで生み出された団地を感じる曲を聴いていれば、とりわけ思い入れが深くなるのも当然で。そんな思い入れのあるマーシーの団地ロックをソロ作品から2曲。ブルーハーツから1曲。ハイロウズから1曲。クロマニヨンズで4曲。合計8曲をピックアップしてみたい。
尚、毎度のことながら曲の解説をしたり分析したりするものではなくて、ただの妄想記事です。団地というワードが出てこない曲を無理やり団地に結びつけていたりもするが、そこはただの勝手な妄想であると割り切ったうえでお付き合い頂きたい。
1.夏が来て僕等
夏が来て僕等 高校野球なんて見ないで
夏草にのびた 給水塔の影を見ていた
裸足ならもっとよかったけど 宿題は机で待ってる
誰かがピアノを弾いているよ
みんな誰もが秘密を持つ
汗ばんだ季節だ
1989年にリリースされたマーシーのソロ1stアルバム『夏のぬけがら』の1曲目に収録されている『夏が来て僕等』。記念すべき1stアルバムの先陣をきる重要な曲でありながら、実は団地視点でものっけからイキナリの金字塔ともいえる名曲なのだ。
いったいこの曲の何がすごいのか?それは歌詞に「団地」というワードがひとつも出てこないのに、聴き終わった後に残る余韻はまさしく団地の情景そのものであり、団地とは切っても切れないと感じさせる魅力に溢れているところである。
始まったばかりの夏休み。どうしたって溢れ出すワクワク感や胸のドキドキによって、まるで永遠に夏休みが続くのではないかと錯覚させられてしまう。そんな高揚した気分で少年たちはアイスを食べたり給水塔の影を眺めたり、どこからともなく聴こえてくるピアノの音に耳をすませている。その全てがまさしく団地イズムなのだ。
まずアイスクリーム。団地とアイスクリームはとても親和性の高い組み合わせである。
団地とは多くの家庭が暮らす大規模集合住宅なので、団地の敷地内や団地のすぐ近くには必ず商店街やクリニックなど生活に必要な最低限のインフラが整えられている。団地周辺エリアから一歩も外に出ずとも生活の全てが完結できるひとつの街になっているのだ。
遊んでいる時に「アイス食べてぇ」となれば、子供の足では遠くには出かけられないので、団地のすぐ近くにある駄菓子屋や製菓店に駆けつける。軒先に置いてある冷凍庫から小遣いで買える棒アイスを選び、公園や団地の路地でそれを食べる。これが団地の子どもにとっての夏の行動様式になっているのだ。
あと去年NHKで放送されていた小泉今日子と小林聡美W主演の傑作団地ドラマ『団地のふたり』。このドラマにも団地からすぐの場所にあるコンビニで棒アイスを購入して、団地の道端でそれを食べながら歩くふたりのシーンが出てくる。
次に給水塔。給水塔がある場所には必ずその近くに団地があるといっても過言ではない。
給水塔は多くの家庭に安定した水量と水圧で水道水を届けるためのタンクやポンプ機能を持った施設なので大きな団地の近くには必ず給水塔も建っているのだ。地域によって形や色などのデザインは様々で、その給水塔のデザインの違いが全国共通の似通った建物が並んでいるというイメージを持たれがちな団地の風景に、独自性と彩りを添えているのである。
そしてピアノの音。団地の部屋でゴロゴロしている週末の昼下がりには、どこからともなく誰かが練習しているピアノの音が聴こえてくるものなのだ。そのピアノの音をBGMにウトウトまどろんだりもする。かっての日本家屋は障子や襖で仕切られただけの丸聞こえが当たり前の空間であった。それから比べると団地の密室性や防音性はかなり高くなって、隣の家の生活音が丸聞こえということはほとんどなくなっている。しかし現代の最新型マンションほどの完璧な防音設備でもないのでピアノの音レベルともなるとさすがに隔てられた壁を通過してはっきりとこちらにも聴こえてくる。誰かが弾いているピアノの音とは団地で生活する者にとって日常に当たり前に流れているBGMなのだ。
尚、『夏が来て僕等』は曲の最初からバックでうっすらとピアノが奏でられているが「誰かがピアノを弾いているよ」とマーシーが歌う箇所ではピアノのボリュームが大きくなって存在感を増すアレンジがなされているところがとっても素晴らしい。
このように『夏が来て僕等』は、団地に流れている時間やそこで生活する者にとっての機微や感覚が曲そのものに真空パックされている、団地ロックの金字塔的一曲なのである。
2.カローラに乗って
日野橋をわたる時に 君を揺り起こしてあげる
多摩ニュータウンがみえる 僕の友達が住んでた
『夏が来て僕等』と同じくマーシーソロ1stアルバム『夏のぬけがら』収録の『カローラに乗って』。
夜の甲州街道を、助手席に君を乗せて走るカローラ。立川から日野方面へ架かる日野橋をわたると、そこから友達が住んでいた「多摩ニュータウンが見える」と歌われるこの曲。多摩ニュータウンとは多摩市を皮切りに八王子市、稲城市、町田市あたりに広がる多摩丘陵地帯に開発された一大ベッドタウンである。つまりは団地のパラダイスのことだ。
立川市から日野橋を渡ると目の前に広がるのは日野市である。日野市は多摩市や八王子市とは隣り合わせであるものの実は多摩ニュータウンとしてくくられるエリアには含まれていない。ではカローラを運転するボクが「多摩ニュータウンが見える」と言ったのは何を指しているのだろうか。そこで(近くにお住まいの方は)実際に立川方面から車で日野橋を渡ってみよう。橋を渡り切る前から既に左手斜め前方のずっと先には小高くなっている丘陵地が見えてこないだろうか。その高台には白いコンクリートの建物がたくさん建ち並んでいる。あそこは多摩市と日野市にまたがる丘陵地帯に1969年頃に建てられた百草団地である。多摩ニュータウンの建設が始まったのはまさに1960年代後半であり、実は百草団地は多摩ニュータウン開発の最初期に建てられたまさしく多摩ニュータウンはしりの団地なのだ。
ちなみに現在、日野橋を渡り切るとすぐ右手の橋のたもとにはマンモス級にデカいマンションが何棟か立っているが、あそこは2000年代に入ってから建てられている。したがってボクが見た風景にはあのマンションはまだ存在していなかったはずである。
それともう一つ。この曲で団地視点的に重要なことは、カローラを運転しながら団地を風景として外側から見ている、ということだ。『夏が来て僕等』が団地の内側で流れる時間を思わせるのとは対照的である。子供の頃に暮らしていた団地という場所から外へ出て、いまや自分の意志だけでどこへでも行ける自由を手にした感慨を噛み締めている。
にもかかわらず、この曲がちょっと切なく苦く響くのは、その大人になった実感を隣で眠る君と共有することができないまま、ただあてもなくカローラを走らせているからである。
3.1000のバイオリン
夜の金網を潜り抜け
今しか見る事が出来ないものや
ハックルベリーに会いに行く
台無しにした昨日は帳消しだ
ブルーハーツ6枚目のアルバム『STICK OUT』のラストを飾る大名曲『1000のバイオリン』。全然団地とは結びつかないと思う方もきっと多いだろう。この曲と団地はちょっと捻った結びつき方をしている。
以前この記事で取り上げたブルーハーツのベストアルバムに付いていたライナーノーツ。この中にある『1000のバイオリン』について書いているイノマーさんの文章を再掲したい。
「1000のバイオリン」を聴くたびに、僕は子供の頃住んでいた、市営団地の真ん中にそびえ立つ、青空に抜ける真直ぐな給水塔を思い出す。
この文章がまぁ好きすぎて、『1000のバイオリン』を聴くと条件反射で給水塔が思い浮かんでしまうのである。給水塔といえばさっきの『夏が来て僕等』のところでも書いたとおり。
さらにもう一つ。歌詞に出てくる「夜の金網」というワードについて。団地のある郊外にはよくどデカい鉄塔が建っている。人口が密集している都心は地下送電線なのであまりデカい鉄塔は見かけないが、団地のある郊外では屋外に建つ送電鉄塔によって街から街へと電気を送る。その鉄塔が建っているのはだだっ広い空き地や河原だったりする。そこは大抵団地の敷地から飛び出してきた子どもの遊び場になっているので、鉄塔の周りには近づけないように金網が張り巡らされている。これ以上行っちゃいけないと言われたら行きたくなるのが冒険者の性である。昼間は目立つから暗くなった夜に家を抜け出して行ってみよう、ということになる。夜に団地の部屋を抜け出して、普段は先へ行くことができない金網を乗り越えて冒険へと繰り出す。
この"金網"とはつまり自分の行動を制限するものの比喩である。夜の闇の中で、行動を制限するものから解き放たれ自由になったとき、今まで知らなかった夜の団地、夜の世界の表情を知る。昨日までの自分とは違う少し背伸びしたような気分になる。鉄塔が立つ郊外の風景と、あの暗闇の冒険によって生じるワクワクと自由な気分がこの曲には充満しているのだ。
尚、歌詞に出てくるハックルベリーフィンが呑んだくれのDV親父に嫌気がさして、住んでいた家から筏に乗って抜け出すのも、やはり夜の闇の中である。団地関係ないけど。
りゅうぼくがいっぱいうかんでいるあたりまで出ていって、カヌーのそこにねそべって、流されるままにした。あおむけになってのんびりやすんで、パイプで一ぷくしながら雲ひとつない空を見上げていた。月光の下であおむけにねころがると、空ってものすごくふかく見える。いままでそんなこと知らなかった。
4.岡本君
岡本君 また夏が来た
去年よりも暑くなりそうだ
熱気の中 押し潰された
歩道橋で君を思い出す
ハイロウズ5枚目のアルバム『Relaxin' WITH THE HIGH-LOWS』に収録されている『岡本君』。物悲しいメロディにのせて今はもういなくなってしまった友だちの岡本君のことを歌った曲。
この曲にも別に「団地」というワードは出てこない。でもこの曲を聴いていると、高度成長期に団地が日本中に作られていった時代に起きていたことと自分の実体験について、思いを馳せずにはいられなくなってしまうのである。
少年が岡本君のことを思い出しながら佇んでいる歩道橋。この「歩道橋」は、団地が急速に造られていった時代に日本全国に作られたのだそうだ。
国が発展するということは、あちこちで土木工事が行われているということ。道路ができ、橋ができ、ダムができ、団地ができた。それらの大型建造物の工事現場には土砂を運ぶダンプカーが不可欠だ。
当時の道路事情を映像で見ると、戦車さながらの威圧感で何台も何台もダンプカーが迫ってきており、大人でもおそろしい。郊外につながる道には、歩道もガードレールもないものが多かった。小学校の周辺には歩道橋が多いが、あれは自動車事故に遭う子供があまりに多いことから、全国に造られたという経緯がある。急速な経済発展のしわ寄せを受けるのは子どもたちであり、人々は過剰な開発主義に反発感情を抱いていたに違いない。
経済発展によって増えた交通事故から子供たちを守るために造られたのが歩道橋だった。
それから昔の団地には子供が多かったということもあり、交通事故だけでなく団地内で起きてしまう事故もそれなりにあった。私自身、低学年の頃に友だちと一緒に団地の4階だか3階だかの、上の階から下の階へ外壁をつたって降りるという遊びをしていて、友だちを大変危険な目に合わせてしまったことがある。あの時たまたま大人が通りかかったから事なきを得たが、もしもそうではなかったら…と思い返すたびに本当に怖くなるような思い出である。そして悲しいことに私が引っ越した後にその団地で痛ましい事故が起きてしまったことを聞いた。
岡本君がどういう経緯でいなくなったかはわからない。しかし「夏はまるで ぬけがらのようだ」と、いなくなってしまった友だちのことを歩道橋の上で想うこの曲を聴いていると、先ほど取り上げたソロ1stアルバム『夏のぬけがら』のタイトルがフッと頭をよぎる。更には『夏が来て僕等』で実にさりげなく歌われる「うばわれた声に耳をすまし」という歌詞にも思い至る。そして私自身にとっての「うばわれた声」に、いつのまにか耳をすませてしまわずにはいられなくなるのである。
5.盆踊り
盆踊り 楽しいな 踊り 踊れば
おじいちゃん おばあちゃん 今年も来るよ
おじいちゃん おばあちゃん 綿飴食べよう
おじいちゃん おばあちゃん ラムネ飲もうよ
ここからはクロマニヨンズ。『岡本君』がちょっとシリアスめな話になったので、ここでは一旦ほのぼのしたものを。2017年リリースのクロマニヨンズ14枚目のアルバム『LUCKY & HEAVEN』に収録されている『盆踊り』。
団地の一年の中で最も重要なイベント。それは夏祭りである。団地がたくさん集まっている地域では同日に数カ所の団地でお祭りが行われていることもあり、小中学生は自転車に乗って各所のお祭りをはしごしたりもするのである。お祭りなんて日本全国どこでも行われているじゃないかとツッコミたくなるかもしれないが、この曲でも歌われているとおり、団地のお祭りでは神輿がないかわりにとにかくじじばばが踊るのである。祭りのスタートと同時に和太鼓のリズムにのせられるナントカ音頭がエンドレスリピートされ、普段はゆったりと暮らしているじじばばたちが急に活き活きしだす。そんなに踊って大丈夫なのか?と心配になるこちらをよそに狂ったように踊り櫓のまわりを周っているという生命力溢れるグルーヴが生みだされるのが団地のお祭りなのだ。和太鼓のリズムという日本特有の土着的なファンクミュージックに乗って踊るダンスパーティである。
そして子育て中の親世代はここぞとばかりに酒盛りし、子ども世代は親が外で飲んでいるから普段じゃ考えられないほど遅い時間まで遊んでいられる。老若男女みんながハイになって楽しめて、団地全体の相関図が混ぜっ返されるような一年に一度のハレのイベントなのである。
あと団地のお祭りといえばやはりラムネの存在が必要不可欠。ドラマ『団地のふたり』でも、夏祭りで踊った後にラムネを飲むシーンが出てくるのだ。
6.サイダー
さっきから ゴロゴロ 鳴るよ
静かな団地
遠くから ゴロゴロ 鳴るよ
汗ばんだ風
目の前に いきなり 線路
遮断機がおりる
走ってく ガッタンゴトン
もうひとつの夏
今だけしか ないのだろ
なんとかなるぜと 地球は回るけど
涙がこぼれ落ちそうな
事は少しだけ
笑顔がこぼれ落ちそうな
事は少しだけ
2012年リリースのシングル『突撃ロック』のカップリング曲である『サイダー』。
抽象的な歌詞であるためか、歌われていることそのものよりも、歌われていない余白の部分を想像させられてしまう曲である。
さっきまで晴れていたのに突然黒い雨雲が立ち込めてゴロゴロと鳴り出せば、外で遊んでいた子どもたちも井戸端会議中だった大人たちも慌てて家に帰っていく。さっきまでの活気が嘘のようにシーンと静まる団地。そこにまた遠くからゴロゴロ鳴る音が近づいてくる。せっかく遊んでいたのに…と、やるせないままに団地の部屋でひとり悶々とする。
悲しかったり、寂しかったり、イライラしたり、世界はどうにもままならない。ひとり静かに団地の部屋で、まるでサイダーの炭酸のように湧き上がってくる混沌と混乱と狂熱をなんとか鎮めるようにして抱きしめている。そんな時間のことを想像してしまう曲である。
7.団地の子供
ひんまがった景色は 背骨の上
ヒステリックな真面目は
なまけ者の顔
団地の子供は 宇宙の果てから
飛んできたという
レコードを聞いた
2013年リリースの7枚目のアルバム『YETI vs CROMAGNON 』に収録されている『団地の子供』。『サイダー』とは兄弟曲のようだと勝手に思っている。数あるマーシーの団地ロックの中でも唯一タイトルに"団地"というワードが使われている正真正銘の団地ロックである。『サイダー』と同じく抽象的で詩的な歌詞だけど、最後の最後に「レコードを聴いた」と具体的で能動的な行為が歌われる。
団地には色んな人が住んでいて色んなことが起きる。子供だからといってもそれは関係ない。むしろ子供だからこそ時に理不尽なことが起こったりもする。その時々で世界はひんまがったりしてガラッとその姿を変えてしまう。
だから団地の子供はレコードを聴くのだ(私の場合はカセットテープだったけど)。なぜならレコード(カセットテープ)から聴こえてくる「未来は僕らの手の中」と歌うロックンロールが、夢がむき出しの団地の子供をさらってくれるから。
8.紙飛行機
団地の窓から 飛べ紙飛行機
メロン色 若い空を突き抜けていけ
最後はこの曲。今でもライブの定番曲になっている2007年リリースのシングル曲『紙飛行機』。2ndアルバム『CAVE PARTY』のラストを飾る曲でもある。この曲は『夏が来て僕等』と双璧をなす団地ロックの最高峰と呼べる特別な一曲だと思っている。
団地の窓から飛ばす紙飛行機が、君の窓辺へと届いてくれないかと願っている。何階だかわからないけど、上階の部屋の窓から放たれた紙飛行機は高低差によって生まれる空気抵抗を受けながら「スーイ スーイ スラララ」と飛んでいく。そんな情景が浮かぶこの曲を聴いていると、この映画を必ず思い出す。

95年公開のスタジオジブリ作品『耳をすませば』。この作品は多摩ニュータウンを舞台にした青春映画で、主人公は団地に住んでいる中学3年生の雫。公開当時中2だった私からみると雫は1つ上にあたり、見覚えある風景と団地で暮らす雫は性別こそ違えどほとんど分身のように感じられて、めちゃくちゃ思い入れのある一作である。この映画に出てくるとある場面。雫が団地の部屋から飛び出し外に出ると、雫の姉が階段室から「これ出しといてー!」としたためた手紙を空中に放る。「スーイ スーイ スラララ」と飛んでいく手紙。
紙飛行機と手紙はもちろん違うものだけど、ここで歌われる"紙飛行機"とは、手紙のように誰かから発信されて誰かに届けられるものの比喩だと受け止めている。例えば団地の窓から外を眺めたとき、たまたま外を通りかかった友だちに、「おーい!あそべるー?」とはたらきかけること。それは揺れて乱れながら飛ばす紙飛行機のようなものである。
そして団地の窓とは発信だけでなく受信も兼ねた自分と世界を繋ぐ双方向の通路なのだ。団地の部屋でレコード(カセットテープ)を聴いていると、ロックンロールはいつだって「君の窓辺」から窓を叩いて「お前だね?」と俺んちにやってくる。
山口 最初はあれです、ヒロトさんが俺んちに来てくれたわけですよ。窓を叩いて来たんです。今までニール・ヤングもボブ・ディランもジョン・リー・フッカーもブルース・スプリングスティーンもみんな、北会津郡北会津村の僕の部屋の窓をトントンと叩いて「お前だね?」って言った。ヒロト&マーシーのお二人も同じようにやって来て「お前だね?」って。僕にとってはそういう人なんですよ。
甲本 何を言ってるんだか(笑)。
1990年。団地の部屋でひとりカセットテープを聴いていたら、俺んちにもヒロトとマーシーはやってきてくれた。
団地という小さな世界の小さな部屋にひとりでいる子供と世界を繋げる窓。そこからある日やってきた紙飛行機の形をしたロックンロールにつかまえられて、つれさらわれてしまう団地の子供。
そんな自分の実体験と思い入れあるものと妄想が重なり合って止まらなくなる団地ロックの最高峰であり、バチクソに特別な一曲なんである。
最後に…
マーシーの団地ロックを肴に好き勝手書いていたらなんとここまで約9300字。団地とマーシー(とヒロト)の音楽。どちらも物心ついたときからそばにあって、愛着を持って触れてきたものであり、どちらも自己形成していくにあたっていかに大切な要素であったかと改めて気付かされた。
この記事、これまで団地とは縁がなかった方には伝わりづらかった部分があるかもしれない。しかし団地は大勢の人が集まって日常を営むひとつの独立した街であり、ひとつの社会でもあるので、つまりは日本社会の縮図ともいえる。だから団地に住んだことがない人にも、自身がこれまでに生活してきた環境やそこでの思い出を当てはめてみたうえでマーシーの団地ロックを聴いてみれば、これまでとは違って聴こえる何かがあるかもしれない。ないかもしれない。でも何かあったらいいのになと、そんなことを思っている。
クロマニヨンズのニューアルバム。それにマーシーのボーカル曲。新たにクロマニヨンズが飛ばしてくれた紙飛行機がもうすぐ届く。
あーもうすげぇ楽しみ。
