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# 藁くずと五つの道――トマス・アクィナスのはなし

桃花です。

ふだんは予備校で物理を教えているんですが、今日は七百年以上前の、中世の修道士の話をさせてください。

……あ、逃げないでください。神学の講義はしません。ただ、この人の最期の場面が、どうにも頭から離れないんです。

1273年12月6日の朝のことだと伝えられています。

トマス・アクィナスという修道士が、ミサを終えたあと、ぱたりと筆を置きました。『神学大全』という、当時の学問をまるごと一つの建物に組み上げるような大著を、まだ書いている途中で、です。

心配した秘書のレギナルドゥスが執筆の再開を促すと、彼はこう答えたそうです。

> 「もう書けない。私が書いてきたものはすべて、藁くずのように思えるのだ」

そして本当に、その後は執筆にも口述にも戻らないまま、翌年3月7日に亡くなりました。五十歳になる前でした。

中世ヨーロッパ最大の頭脳と呼ばれた人が、生涯の仕事の集大成を「藁くず」と言い残して沈黙した。

――気になりませんか。

私は気になりました。気になったので、調べました。今日はその報告です。

## もの言わぬ牛

トマスは1225年ごろ、ローマとナポリのほぼ中間にあるロッカセッカ城で、貴族の家の末息子として生まれました。

家族の進路指導は完璧でした。名門モンテ・カッシーノ修道院に入れて、ゆくゆくは修道院長に。家の威信と実利を兼ねた、堅実な出世コースです。

ところが青年トマスは、ナポリの大学で学ぶうちに、創設からまだ三十年もたっていないドミニコ会に入ってしまいます。

財産を持たず、托鉢しながら説教して回る「持たざる者」の修道会です。貴族の子が物乞い同然の集団に入るなんて、家族には醜聞でしかありません。

激怒した兄たちは彼を連れ戻し、家の城に一年ほど閉じ込めました。

……進路をめぐる親子喧嘩のスケールが違います。

それでも彼は一歩も引かず、最後には家族のほうが折れました。

その後、トマスはパリで当代一の学者アルベルトゥス・マグヌスに学び、1248年には師とともにケルンへ移ります。

後世の伝記によれば、トマスは大柄で、そしてとにかく無口だったので、同級生たちから「もの言わぬ牛」とあだ名されていました。要するに、鈍いやつだと思われていたんです。

でも師のアルベルトゥスは、彼の力を見抜き、こう予言したそうです。

> 「君たちはこの男を牛と呼ぶが、この牛の唸り声は、やがて全世界に轟くだろう」

教師という仕事をしている身として、この一言には少し背筋が伸びます。

目の前の無口な学生のむこうに、そこまでの未来が見えていたんですから。

## アリストテレスという黒船

トマスの仕事を理解するには、13世紀という時代の空気を知る必要があります。

このころのラテン語圏は、一種の黒船来航を経験していました。

それまで十分に知られていなかったアリストテレスの自然学や形而上学などが、アラビア語からの翻訳とギリシア語からの直接訳の双方を通じて、急速に広まったんです。

しかも、イスラム圏の哲学者アヴィセンナや、アリストテレス注釈で名高いアヴェロエスらの仕事まで一緒に入ってきました。

そこにあったのは、神さまの啓示に頼らず、観察と論理によって自然も魂も倫理も政治も説明しようとする、恐ろしく完成度の高い学問体系でした。

パリ大学は騒然となります。パリでは教会当局が、アリストテレスの自然学関係の著作や注釈の講義をたびたび制限しました。信仰と理性が、正面衝突しかけていたわけです。

このときトマスが選んだのは、「異教の哲学を締め出す」のでも、「哲学に合わせて信仰を薄める」のでもない、そのどちらにも与しない道でした。

信仰の真理も理性の真理も、源をたどれば同じところに行き着くのだから、本当に矛盾することはありえない。だったら恐れずに、理性を最後まで使い切ればいい――。

彼はアリストテレスを敬意をこめて「哲学者」と呼びながら、その思想を批判的に選び分け、大規模に神学の中へ組み込み直すという、途方もない工事に取りかかりました。

その集大成が『神学大全』です。

## 五つの道――世界を素通りしないためのレンズ

その『神学大全』の冒頭近くに、後世あまりにも有名になった一節があります。

「神は存在するか」という問いに対する五つの論証、いわゆる「五つの道」です。

身構えなくて大丈夫です。順番に見ていきましょう。

### 第一の道――変化

ここでいう「動く」は、場所を移ることだけではありません。

冷たいものが温まる。種が木になる。可能だった状態が、現実になる――。トマスのいう「運動」は、そうした変化全般を指します。

机の上のプリンをスプーンでつつくと、ぷるんと揺れますよね。

もちろんプリンは、自分だけでこの変化を起こしたわけではありません。スプーンを動かす手、その手を動かす働きへと、変化は別の何かに依存しています。

ただし、トマスが探しているのは、宇宙の時間的な「最初の一押し」ではありません。

いま起きている変化を成立させる働きが、どこまでも「他から働きを受け取るもの」だけでは説明できない、と彼は考えました。

そこで、自らは動かされずに他を動かす、第一のものへと至ります。

### 第二の道――原因

火が鍋を熱し、鍋が水を温める。水が温まるという結果は、それを生じさせる原因の働きに依存しています。

トマスは、何かを実際に生じさせる原因を「作用因」と呼びます。しかも、何ものも、自分自身の作用因にはなれません。自分を生じさせるためには、自分より先に自分が存在しなければならなくなるからです。

これは、最初に倒れたドミノを探す話ではありません。

ここでも問題なのは、原因が**いま**結果を生む力を、何に依存しているかです。

すべての原因が別の原因から働きを受け取るだけなら、現に結果が生じていることを支えられない。そこで、他に原因づけられずに原因となる第一原因が必要だ、とトマスは考えます。

### 第三の道――可能と必然

世界には、生まれては消えていくものがあります。

もし存在するものがすべて、いつかは存在しなくなるものだけなら、トマスは、何も存在しない時があったことになると考えました。

しかし、まったく何もないところからは、何も始まりません。ところが現に、何かが存在している。

ならば、なくてもよいものばかりではなく、存在しないことがありえない「必要な存在」がなければならない。

さらに、その「必要な存在」自身が必要性を別のものから受け取っているだけなら、話は終わりません。どこかに、他から必要性を受けずに存在し、ほかのものの必要性を支えるものが必要になる、というわけです。

### 第四の道――程度

ここは、プリンの好みを比べる話ではありません。

トマスが考えたのは、「より真である」「より善い」「より高貴である」といった、存在の完全性です。

そうした完全性に程度があるなら、それを最大限に備え、ほかのものが真・善・完全性をもつことの源となるものがある。

つまり、単なる比較の物差しではなく、完全性そのものの原因を考えるのが第四の道です。

### 第五の道――目的

矢が的に向かうのは、射手が方向を与えたからです。

同じように、知性を持たない自然物も、いつも、あるいはたいてい、一定の結果へ向かって働きます。どんぐりは偶然に何にでもなるのではなく、樫の木へ育っていく。

トマスが注目したのは、世界の複雑さそのものではありません。自然物が、一定の目的へ向けて規則正しく働くことでした。

知性のないものが目的へ向かうのなら、その方向づけを可能にする知性があるのではないか――これが第五の道です。

もちろん、現代の目でこれらに反論を挙げるのは難しくありません。実際、後の哲学者たちが何世紀もかけて反論してきました。

だから私も最初は、「論破される側の、歴史上の証明」として読んでいたんです。

でも、読んでいるうちに、あっ、と思いました。

これ、少なくとも私には、証明というより「問いの立て方」として響いたんです。

ものが動くこと。何かが存在すること。世界に秩序があること。

私たちが当たり前すぎて素通りしている事実の一つひとつの前で立ち止まって、「なぜ、そもそも?」と訊くこと。

――白状すると、私は授業で単振動を教えながら「なぜ世界はこんなに揺れるものだらけなんだろう」と引っかかって、そのまま帰れなくなるタイプです。

五つの道を読んだとき、七百年前にも同じ病気の、それも重症の先輩がいた、という気持ちになりました。

五つの道は、日常の風景を根源への問いに変換する、五枚のレンズなんです。

## ふたたび、藁くずへ

それで、冒頭の場面に戻ります。

これほど遠くまで理性の道を歩いた人が、なぜ最後に筆を置いたのか。

あの朝のミサで何か決定的な体験をしたらしい、と伝記は伝えていますが、本人はほとんど語らないまま亡くなりました。

ただ、これだけは言えそうです。

トマスは最初から、理性だけで神のすべてを捉えられるとは考えていませんでした。

五つの道がまず示すのは、世界の変化や存在を支える第一の原理がある、というところまでです。そこから理性は、その第一原理の単純性や善性、無限性について、なお語ることができる。

しかし、神の本質そのものを人間が捉え切れるわけではなく、三位一体や受肉のように、啓示によらなければ届かない真理もある。

つまりあの人は、理性を信頼していたからこそ、その有効範囲も誰より正確に知っていたんです。

あの沈黙は、その境界まで歩いた人の沈黙だったのかもしれません。

だから「藁くず」という言葉を、私は自己否定としては読みません。

むしろ、自分の言葉が藁くずに見えるほどの何かに触れた人の言葉として読みたい。

理性を信頼しながら、理性の届かないものに対しても、心を閉ざさなかった。そこに、七百年以上たってもこの人が読み継がれる理由があるのだと思います。

もの言わぬ牛の唸り声は、たしかに、いまも轟いています。

……ここまで書いたら、なんだかプリンが食べたくなってきました。

今日は一つ、買って帰ります。ぷるんと揺れるあれも、第一の道の、いちばん美味しい実演なので。

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