林浩治「在日朝鮮人作家列伝」08 金鶴泳(きんかくえい/キムハギョン)(その4)
← 金鶴泳(その0)に戻る
←マガジン 林浩治「在日朝鮮人作家列伝」トップ
←林浩治「在日朝鮮人作家列伝」総目次
←けいこう舎マガジンHOME
金鶴泳──不遇を生きた在日二世作家(その4)
4.文藝賞受賞
1965年(昭和40年)6月22日、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」が調印され、同年12月18日に批准書を交換し、日韓両国の国交が正常化した。このさい、過去清算の問題は棚上げされた。
金廣正は1966年には博士課程に進学したが、研究意欲は減退していた。
もともと自分の専門に熱心ではなかった、と金鶴泳は書いているが、『あるこーるらんぷ』などの小説を読むと少年期から化学が好きだったのは事実だと思われる。
しかし教授の助手のようなことをしたり学生の卒論指導をしたりするのがばかばかしくなり、研究にも熱中できなくなっていった。化学に興味がなくなったというより、文学に心を奪われたのだった。

研究に興味を失っても大学院に進んだのは、働かないでも父からの仕送りをもらえるという消極的理由だった。
また1965年東大学生の同人誌『新思潮』に参加して習作を書くなど、文学に傾倒していった。当時の『新思潮』同人には野口武彦らがいた。
1966年、金鶴泳は「凍える口」の原稿を文藝賞に応募すべく、締め切り期限の6月30日に神田の河出書房に持ち込んだ。出来映えに自信がなく、『新思潮』に掲載しようと思っていた。妻に原稿を読んで貰い感銘を受けたと言われたので物は試しとぎりぎりに持参したのだった。
応募後撮っておいたコピーを2歳上の親戚に見せたところ、在日朝鮮人を扱った部分が憂鬱でつまらないと酷評された。その部分を大幅に削る方針で改稿を進めていたところ、9月6日の夜10時半ころ、日記を書き寝入ろうとしていたところに当選を知らせる電報が届いた。金鶴泳は動転して電車に乗り吉祥寺でビールをあおった。

『文藝』の編集長杉山正樹に、在日朝鮮人問題の部分を削ったほうが良いだろうかと相談したが、「それでは肝心の部分が抜けてしまう」と言われた。金鶴泳は「偏見にとらわれているのは、むしろ私自身の方だった」と回想している。
「凍える口」はその年『文藝』11月号に掲載された。在日朝鮮人二世作家の誕生だった。「新思潮」同人による受賞祝賀会がお茶の水ホールで催された。金鶴泳はテーブルスピーチのときにどもって絶句して座り込んでしまった。
以後作家活動に入り、「緩衝溶液」(『文藝』1967年7月)、「遊離層」(『文藝』1968年1月)などを発表していったが、この頃長女も生まれていて文筆活動だけでは生活費が賄えるほどにはならなかった。
1968年2月、朝鮮人金嬉老が静岡県寸又峡温泉ふじみ屋にライフルを持って閉じこもる「金嬉老事件」が起き、共同通信から電話取材される。
← 金鶴泳(その3)に戻る
← 金鶴泳(その0)に戻る
←マガジン 林浩治「在日朝鮮人作家列伝」トップ
←林浩治「在日朝鮮人作家列伝」総目次
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆参考文献
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
