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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第6話 渡辺崋山(7)

「渡辺崋山」(6)からのつづき
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 だが崋山の状況認識は、幕藩体制の護持者である林家一門のそれとは根本的に相いれないものだった。

林述斎(はやしじゅっさい)
代々幕府の儒学者として任じられた林家を大きくもり立てた。
幕府の最高学府「昌平坂学問所」の長
述斎の息子の一人鳥居耀蔵が、崋山の「宿命の人」に。
左が谷文晁画「近世名家肖像」東京国立博物館蔵
右が渡辺崋山画「林述斎像稿本」田原市博物館蔵★



対内的危機(飢饉)、もしくは対外的危機(列強の進出)への対処法を求めて、いつしか崋山の周辺に形成されていたサークル群には、幕府の儒官古賀侗庵(1788-1847)、紀州藩の遠藤えんどう勝助しょうすけ(1789-1851)、津藩の斎藤拙堂(1797-1865)、二本松藩の安積艮斎(1791-1861)のような、儒者(多くは林家ゆかりの朱子学者)たちも加わっていた。
崋山は、嫉妬と恐怖のいりまじった敵愾心を、林家一門から向けられるようになっただろう。


天保8(1837)年7月、鹿児島湾および浦賀沖に現れた米国の非武装商船モリソン号を、英国の軍艦と勘違いした薩摩藩および浦賀奉行は、異国船打払令に基づき砲撃し、マカオに追うという事件が起きた。
モリソン号の来航目的は、尾張出身の音吉(1819-67)ら7人の日本人漂流民の送還と、通商および布教への道を開くことだった。

モリソン号
(パブリック・ドメイン/https://commons.wikimedia.org/wiki/File:MorrisonShip.jpg)



翌天保9(1838)年、モリソン号再来の風説がオランダ商館長を通じて幕府にもたらされ、幕府は初めて漂民送還船撃退の事実を知った(船は英国船だと誤報された)。
老中水野忠邦(1794-1851)の諮問を受けた評定所(幕政の重要事項の審議機関)の答申案は、打払うべしというものだった。
評定所記録方の芳賀市三郎が、遠藤勝助が主宰していた尚歯会しょうしかいの例会後の雑談の際、その答申案を同人に伝えた。

尚歯会は、蘭学者と儒者の別なく飢饉対策を講じあいつつ種々の話題を議論する知識人サークルで、崋山、長英、三英、江川もその一員だった。

答申案の内容を英国の東アジア進出の動きと結びつけて理解した崋山長英は、甚大な衝撃を受けた。くわえて二人は、モリソン号が実は一度砲撃されている事実を知らず、しかも評定所の答申案を幕府の方針と同一視し、憤慨した。
崋山は「慎機論」を執筆し、幕府の対外認識とその政策を批判したが、幕政批判が激烈になったことを危ぶみ、公開を控えた。

一方長英は、劇的構成をもつ「夢物語」を匿名で書き、漂流民を届けにきた英国船を打ち払えば、日本は不義の国とされ、国際的な威信と信頼を失うことになると警告した。こちらは写本が流布したことで評判になり、老中水野は作者の探索を指示した。

「慎機論」写本(神戸大学図書館住田文庫蔵)
(CC4.0 国文学資料館、国書データデータベース
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100273703/)
「戊戌夢物語」天保10(1839)年刊
(筑波大学付属図書館蔵)
(国書データベース、https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100346672/)
表紙には「梦裏言(むりげん)」と表記
巻末に「戊戌冬十月夷日能明日」「麹町之蘭医 高野長英述」とあり。入獄中の刊行!?


 崋山や長英がモリソンを英国人の名前だと思ったのは誤認だったが、英国の対日政策が急速に積極化していたのは事実であり、天保8(1837)年には清国に来ていた英国人が無人島(小笠原諸島)の占領を計画、軍艦まで派遣していた。
崋山は、儒者で代官の羽倉はくら外記げき(1790-1862、国定忠治の死を悼む『赤城録』の著者)が幕命で小笠原方面に渡航するとの報を得て、田原藩の財政危機下にもかかわらず、また最愛の老母をもかえりみず、羽倉への同行を藩当局に申請し、却下されている。
自らの状況認識を広々とした場所で検証する機会を望んでいたのだろう。

羽倉簡堂(羽倉外記)
(画家:不明、パブリック・ドメイン/ファイル:羽倉簡堂(儒学者).png)※
小笠原諸島※※


オランダ商館長の報告と評定所の答申を受けた水野忠邦は、江戸湾防備を目的とする巡検を、保守派の目付鳥居耀蔵(1796-1873)と開明派の代官江川英龍とに命じた。
バランスを重んじた水野らしい人事だったが、浦賀の測量に際して二人は衝突。技術の差を見せつけられた鳥居のなかに、江川とその背後にいる崋山への深い憎悪がうえつけられた。

鳥居耀蔵。林述斎の四男で、譜代の旗本の養子に入った秀才。
蘭学発展の根を絶ち、幕府の祖法(鎖国体制)を護持するためには、手段を選ばぬ使命感をもっていた。「夢物語」の作者の探索が命じられたのは、この人物だったのである。

老中水野忠邦江川英龍鳥居耀蔵の墓
水野忠邦像:椿椿山画(首都大学東京図書情報センター所蔵「水野家文書」*
江川太郎左衛門英龍自画像、江川文庫蔵**
鳥居耀蔵の墓(東京都文京区吉祥寺 ):撮影:遠枝 、2018年10月、 CC 表示-継承 4.0***


「渡辺崋山」(8)へつづく

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■写真について

ヘッダー:高野長英「夢物語」と慎機論
夢物語:天保10(1839)年刊(筑波大学付属図書館蔵)
表紙には「梦裏言(むりげん)」、内側には「戊戌夢物語」と表記
(国書データベース、https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100346672/)
高野長英の署名あり。入獄中の刊行?
慎機論:写本、(神戸大学図書館住田文庫蔵)
(CC4.0 国文学資料館、国書データデータベース
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100273703/)

※羽倉簡堂(羽倉外記)
画家:不明、パブリック・ドメイン/ファイル:羽倉簡堂(儒学者).png
(永井菊治 編『日本肖像大観』第1巻,吉川弘文館,明41.8. 国立国会図書館デジタルコレクション 著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開)

※※小笠原諸島
パブリック・ドメイン/ファイル:Map of ogasawara islands ja.png
アップロード: 2006年5月12日
(この著作物は、demis.nl/products/web-map-server/examples/を入手元として、著作者により公開されたものであるため、パブリックドメインの状態にあります。この地図は、www.demis.nlからの著作権フリーの画像を基にしているため、コピーや配布、変更が許可されています。ドイツ語版ウィキペディアのメールによる確認と解説もご覧ください。)
著者情報みあたらず



水野忠邦像:椿椿山画、天保年間 
首都大学東京図書情報センター所蔵「水野家文書」
(パブリックドメイン/http://www.lib.metro-u.ac.jp/mizuno/mizuno.files/image/org/mi000004.jpg, Caption)

**江川太郎左衛門英龍自画像:江川文庫蔵
パブリックドメイン/ファイル:Autoportrait of EGAWA Hidetatsu.jpg
(相賀徹夫編『日本大百科全書 第3巻』 小学館、1985年4月20日、401頁)

***鳥居耀蔵の墓(東京都文京区吉祥寺):撮影・投稿:遠枝 、2018年10月3日
CC 表示-継承 4.0/ファイル:Tomb of Yozo Torii in Kichijoji.jpg

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■参考文献

■著者プロフィール


野口良平 のぐち・りょうへい
思想史家、文筆家。
著書に『「大菩薩峠」の世界像』(平凡社、2009年、第一八回橋本峰雄賞受賞)、『幕末的思考』(みすず書房、2017年)、最新刊に『列島哲学史』(みすず書房、2025年)がある。
訳書にルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ 米国一〇〇年の精神史』(共訳、みすず書房、2011年)、マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』(みすず書房、2019年)。

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(けいこう舎編集部)

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