野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第5話 本居宣長(8)
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8
宣長は、中国由来の文物を否定して日本文化を肯定した、いわば「日本ファースト」の頭目のようにも考えられているが、それは正確な理解とは言えない。
時と所を超えて存在する「人の心」に注目した宣長は、これを、漢意、大和心、真心という三層構造をもつものとして理解している。後年の随筆集『玉勝間』(1795-1812刊行)で宣長が説くところを、理路を整理しながらとりだしてみよう。
《道とはそもそも学問によって知られるものではない。それは、漢意を捨て去り、よかれあしかれ、生まれながらに誰にでも備わる「真心」に向き合い、その語りかけてくるものに耳をすませることによってのみ、知りうるものである。ただし、自分のいう漢意とは、中国かぶれ、中国崇拝のことだけを指すのではない。今の世の人びとの判断や価値観が、漢籍や書物から得た概念や知識にしか支えをもたないことを指す。
列島で培われてきた平常心すなわち「大和心」は、明らかにこれとは違うありかたをもつはずなのだが、その大和心も今では、「漢意」にすっかり縛られてしまっている。漢学に対抗して「国学」などと言い立てるのも、漢意の悪しき影響なのだ。大事なのは「国学」ではなく、列島ならではのただの「学問」を起すことである。(驚くべきことに宣長自身がそう述べている。)
列島発の学問の土台となすべきは、「漢意」ではなく「真心」である。だが「真心」は簡単に手に入るものではない。「漢意」に覆い尽くされていない時代の文献の研究こそは、人が一切の先入見を排して「真心」に至り、その存在を確かめうる方法であり、また訓練の場なのである。》
ここで宣長がのべていることは、かつては生活世界のためにあった学問が、いつしか生活世界を脅かす性格をもつにいたったプロセスを検証し、もう一度学問を生活世界によって基礎づけ直そうとしたドイツの哲学者フッサール(1859-1938)のもくろみを、先取りしているようなところがある(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』)。

(1900年、撮影者不明、パブリックドメイン)
宣長は、漢字列で記された『古事記』のテキストを、用例の厳密な吟味を重ねながら解読し、よみくだしていった。
『古事記』(712)は、ほぼ同時代に編まれた公式の史書『日本書紀』(720)とは異なり、当時の国際水準である中国語(漢文)ではなく、地方語をもとにした新しい言葉(日本語)の創造の企てである、変体漢文によって書かれていたので、長いこと『日本書紀』よりも一段劣ったテキストとして扱われてきた。
宣長の研究には、蔑視されてきた正当なものの復権、というモチーフがこめられていた。
たとえば冒頭の「天地初發之時」。「天地」を「アメツチ」とよむか「アメクニ」とよむか。宣長は最初「アメクニ」としたが心もとない。そこで真淵に問うと、クニには境界があるが、ここの用例では境界のない土地全体を指しているので、「ツチ」がよいという。こうして、「アメツチハジメテヒラケシトキ」という解読文ができる。こうしたプロセスの一つ一つが、「真心」に発し、先入見を取り去りながら「真心」をめざす実践だと考えられたのだ。

「階段の上が狭いロフト(仕事部屋)で、家族が近づけないようになっています」*

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※ ヘッダー写真:本居宣長 撰『古事記傳』巻1,[天明5-8 (1785-1788)] [写].
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2545184 (参照 2025-08-02)
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◆参考文献
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◆著者プロフィール
野口良平(のぐち・りょうへい)
1967年生まれ。京都大学文学部卒業。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。京都芸術大学非常勤講師。哲学、精神史、言語表現論。
〔著書〕
『「大菩薩峠」の世界像』平凡社、2009年(第18回橋本峰雄賞)
『幕末的思考』みすず書房、2017年
『列島哲学史』みすず書房、近刊(2025年9月)
〔訳書〕
ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』共訳、みすず書房、2011年
マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』 みすず書房、2019年
〔連載〕
「列島精神史序説」(「月刊みすず」2020年7月号~2022年9月)
「幕末人物伝 攘夷と開国」(けいこう舎マガジン)!!!!!!
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