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『マテリアリスト 結婚の条件』映画感想文

恋愛から暴力へと、市場価値や条件だけで人間を見ると見落としてしまうもの


愛は数学ではない――「愛か条件か」という永遠のテーマを、『パスト ライブス』セリーヌ・S監督(ラストネームをイニシャルで呼ぶのが、主人公ルーシーが働くアドア社での顧客の呼び方)が、マーベル作品で主役を張ってきたチャーミングな主役トリオによって描く、現代の恋愛映画。王道設定のために、鑑賞前からどうなるか最後が読めるラストシーンへと、彼女らしく巧みに要素がパズルのようにはめ込まれていく語り口で進んでいくわけだけど、ある展開がそうした予定調和「お約束」を破っていた。そして、そこには『ドライブ・イン・マンハッタン(原題:Daddio)』を製作するなど、「(男社会に対する)女性」に自覚的なダコタ・ジョンソンが主役であることの意味をとりわけ強く感じた。


愛は、古来(原始人の頃)から変わらない。意表を突く、現代的・都会的な本作のイメージとは逆行するような対照的で、何より作品のテーマをセリフ無しで端的かつ雄弁に物語る象徴的な冒頭のシーン。結婚は原始時代から取引(ビジネス)だけど、そこには愛がなくちゃ。私たちには愛がないんじゃない、お金がない!決め手は、自分には価値があると思わせてくれるかどうか?結婚の条件=市場価値、そして統計学。相手を紹介したのは、希望する項目と合致していたから。愛は算数じゃない。

人間は好き勝手に組み立てられるオーダーメイド品でなく、完成品だから、この先50年我慢できる相手を?いや、ありのままを受け入れ、愛せるかどうか。それは、時に綺麗事なのかもしれない。ただ一方ではやっぱり、それこそが永遠不変の真実だと信じたい。相手がもし無一文になっても、それでも傍にいたい、一緒にいたいと思えるかどうか?その軸はあながち間違ってはいないのではなかろうか。信じてくれてなくていい、私は信じる(←ブックエンド方式)。


ただ、これは間違っても「"ロマコメ"」(ロマンスコメディ、ラブコメ)ではない。とりわけ、デートでの暴力を扱っている点で、意味を感じる。「既知のリスク」といった類の言葉で片付けられる、長年働いていればそういうこともあるという一種の諦め・放置感。そして、誰もが根本的な解決には乗り出さない。最初から「織り込み済み」とまでは言わないまでも、それよりカップルの成婚を祝うほうが忙しい社内。確かに、デート中の男性の言動までは約束できないかもしれないけど、そもそも「条件」や「市場価値」だけで見るのではなく、その人のひととなりを、その人自身をもっと見ておけば防げたかもしれない。こうなる前に気づけたかもしれない。という点で、本作のテーマにも通ずるものがある。

それは言ってしまえば、大富豪か貧乏=市場価値ゼロの俳優を夢見る元カレか2人の男性のあいだで揺れ動くという、往年の「月9」ドラマみたいな王道設定から、フジテレビ(に象徴される社会問題)自体を扱っているようでもあった。だから、本作は冗談でも、ただ「楽しかった」だけでも片付けてはいけない、片付けてほしくない、終わりにしてほしくない作品だとも思った。本作を「働く女性応援映画」と括るのはあまりに安易だけど、それでもやっぱりこうした厳しい面も踏まえて、何かしらエンパワーしている部分はあるなと思った。


ユニコーン=10点中10点「うちの会員が条件を下げないのは、あなたみたいな男性が実在するから」整形


P.S.『マダム・ウェブ』はダコタ本人的に不本意な作品だろう


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