【エッセイ】 - 0 - 『数字の向こう側』
皆さんは「0」と聞いて何を思い浮かべますか?
僕は「斜線」です。
正確に言うと、0の中に入っている斜線。
もっと正確に言うと、Oと区別するために書かれる、あの一本線です。
昔から、0の中にスラッシュが入っている表記が好きだった。
ただの0ではない。斜線入りの0。それだけで、急にかっこよく見える。
パソコンに強い人が書いていそうだし、理系の人がノートの端に書いていそうだし、何かしらの設計図や暗号に出てきそうな気配がある。
ただの数字なのに、一本線が入るだけで急に専門性を帯びる。
僕はそれがかっこよくて、必要もないのに0にスラッシュを書いていた時期がある。
別に、Oと0を間違えたら大事故になるような現場にいたわけではない。
プログラミングをしていたわけでもないし、製図をしていたわけでもない。パスワードを紙に書いて誰かに渡すような場面も、そんなにはなかったと思う。
子どもの頃には、意味より先にかっこよさで真似したものがいくつかある。
虹の色を「せきとうおうりょくせいらんし」と言えること。
筆記体をやたら使いたくなること。
筆算の線をやけに丁寧に引くこと。
そういう、小さな背伸びの一つとして、僕は0にスラッシュを書いていた。でも、あらためて考えると少し不思議である。
0は「何もないこと」を表す数字だ。
りんごが1個ある。
りんごが2個ある。
りんごが0個ある。
0個ある、という言い方は冷静に考えると妙だ。
ないのに、ある。
何もない状態に、わざわざ0という数字を置いている。
それだけでも十分不思議なのに、その0は時々、Oと間違われないように中に線を入れられる。
何もないことを表す数字が、何者かと間違われないために、自分の中へ一本線を抱えている。
なんだか健気である。
アルファベットのOと、数字の0。たしかに似ている。
手書きになると、なおさら似ている。
急いで書いたOは0に見えるし、丸く書いた0はOに見える。
文字と数字は別の世界の住人みたいな顔をしているのに、紙の上ではあっさり隣人になる。
近づきすぎた結果、「いや、自分は文字ではなく数字です」と主張するために、0は線を入れられる。
2とZも少し似ている。
手書きのZに横線を入れる人がいる。あれも、2と間違えないためなのだろう。
Zの真ん中に一本線が入るだけで、急に海外の答案用紙みたいな雰囲気になる。こちらもまた、ちょっとかっこいい。
2とZ。0とO。
数字と文字は、思っているよりも近いところにいる。その距離の近さを調整するために、僕たちは線を引く。
似ているものを、似ているままにはしておけない。
これは数字です。これは文字です。
これは0です。これはOです。
一本線は、ただの装飾ではない。
区別のための線であり、輪郭のための線であり、自分が自分であることを示すための線なのだと思う。
そう考えると、0の中に入るスラッシュが少し違って見えてくる。
僕はただ、かっこいいから書いていた。
でも本当は、あの線にはちゃんと役割がある。
0は空っぽを表している。でも、空っぽのままだとOに見えてしまう。
だから線を入れる。
空っぽであることを、空っぽのまま見分けられるようにする。
不思議な話だ。
何もないなら、何も書かなければいいはずなのに。でも、何もないことを伝えるためには、0が必要になる。
そしてその0がOと間違われないためには、さらに一本線が必要になる。
何もないことを示すために、手間がかかっている。0は、空白そのものではない。
空白に名前をつけたものなのかもしれない。
何もない、という状態を、そのまま放っておかずに、ちゃんと数の世界へ連れてきたもの。
だから0は強い。
1や2のように、何かがあるわけではない。
でも、0がないと、何もないことを表せない。それは、考えれば考えるほどすごいことだと思う。
算数を教えていると、0の扱いには気をつかう。
0を足しても変わらない。
0をかけると0になる。
0では割れない。
子どもたちからすると、0は少しずるい数字に見えるかもしれない。
何もしない顔をして、急に全部を0にしたりする。
いるのかいないのか分からないのに、いざ計算に入ってくるとかなり影響力がある。
0は、静かな顔をして場を支配する。それなのに、見た目はOと似ている。
何もないことを表す数字なのに、うっかりすると文字に見えてしまう。だから線を入れる。
「僕は0です」と名札をつけるみたいに。考えてみれば、人間にもそういうことがある気がする。
外から見ると同じように見えるものでも、本人にとってはまったく違うことがある。
黙っていることと、何も考えていないことは違う。
余白があることと、空っぽであることは違う。
何も言わないことと、言えないことも違う。
でも、見た目だけでは区別がつかない。だから人は、どこかで線を引く。
これは違います。
これは自分です。
これは、ただの空白ではありません。
そう示すための線が必要になる。0の中のスラッシュは、少しだけその感じに似ている。
ただ丸を書いただけでは、Oかもしれない。でも斜線を一本入れると、0になる。
何もないことを表す数字が、その一本線によって、ようやく自分の輪郭を持つ。
僕はたぶん、その感じに惹かれていたのだと思う。もちろん、当時はそんなことまで考えていない。ただ、なんかかっこいい。それだけだった。
でも、数字の好きなところは、あとから理由が追いついてくるところだ。
なんとなく好きだったものに、大人になってから意味を見つける。ただかっこいいと思って真似していた斜線入りの0にも、Oと区別するためという理由がある。
そしてその理由の奥には、何もないことにさえ輪郭を与えようとする、人間の几帳面さがある。
0は何もない。でも、何もないことは、何も意味がないこととは違う。
空欄と0点が違うように。
沈黙と不在が違うように。
白紙と余白が違うように。
0は、何もないことをちゃんと置いておくための数字なのだと思う。
0は0でなければならない。
そのために、時々、真ん中に一本線が入る。
たった一本の線。
でもその線があるだけで、丸は数字になる。
空っぽは、輪郭を持つ。
何もないことが、そこにあるものとして立ち上がる。
0の中に線を引くことは、ただの背伸びではなかったのかもしれない。空っぽに見えるものを、空っぽのまま見逃さないための、小さな印だったのかもしれない。
どうやら0の向こう側には、空っぽであることにすら、一本線で輪郭を与えたがる僕たちがいるらしい。
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