いまのここがいちばんいいんだよ
「無欲」とはよく言うが、幸せな人は自ずと欲がない。
欲というものは、それによって現状よりもよくなるであろう状態を想定して惹起するのであって、その欲がないという事は、今のままでいい、もはや良くなる必要がない状態を言うわけだから、これは「幸せになることの放棄」であり、既に十分に幸せ、「余は満足じゃ」であることの裏返しである。
欲がないと言う場合の「欲」とは、一般的には「物欲」や「所有欲」「金銭欲」「支配欲」「色欲」などを指すことが多いが、それらはまだ「幸せな人」にとっては、枝葉末節な部類に属す。
人間が最も強烈に切望するものは、「幸せになりたい」という欲望であり、それすら成就できれば、先に挙げた諸々はもはやどーでもよい代物でしかない。
ところで、幸せな人当人は、文字通り「幸せ」なのだから、当然「幸せになりたい」という願望もなければ欲もない。
それがどういうことかと言えば、「向上心がない」という事である。
まさかの反文科省、反道徳、反倫理、反ヒューマニズムの世界観の登場だ。
もっと言えば「人として・・」の根源、喉元を探るような一撃だ。
そこに、向上心がなくて進歩はないじゃないか、野蛮人への回帰か? などといったブーイングが聞こえてこようというものだからだ。
ところで、人間の欲望にも、大きく二通りある。
一つは、先に挙げたような世俗的な、生臭い欲望────仏教などで「煩悩」としてそれの浄化や払しょくを試みてきたそれである。
そして、意外なようではあるが、もう一つ高尚なそれがある。
おなじく仏教での修行・修養がそうである。
それらは、前者が俗塵に汚れた心の状態を指すのに引き換え、求道心、発心、菩提心といった清く、尊い心の発現を期待する場合が多い。
後者はいわゆる「欲望」とは別の、むしろ真逆の「精進」と解釈されることが多いが、同じものであるというのが昔からの私の持論である。
それどころか、後者は前者よりも数倍、数十倍もの力と広がり、ディメンションを持った欲望であるとする。
一般に、人物、器量が大きい小さいというのは、実にこの「欲」の大小を言うのであって、決して人格を指しているのではない。
いわゆる凡夫は欲が小さいゆえに、自分あるいは自分周辺のことどもにのみ、精一杯貪欲に追及する。それがいわゆる「我欲」というもので、仏教では「煩悩」と称し、大半を占める一般大衆の”修羅の姿”として映った。
一方、欲自体が自分と言う「個」の存在では飽き足らず、さらに大きな世界、宇宙までを取り込もうとするものを、哲人とか賢人、聖人、菩薩、阿羅漢などと呼ばれることもあった。
あなたがもし、卑近な金勘定などよりも、宇宙とは何ぞやといった抽象的な概念に惹かれるとすれば、それはできた人物だからと言うのではなく、ただ単に常人以上に欲がデカいことの証左であるから、安心したまえ。
古人はうまいことを言ったもので、「英雄色を好む」である。
つまり、英雄や聖人と目される大人物は、煩悩的な小さな欲望を持たなかったのではなく、それらを卒業したわけである。
「もう生きてるだけで上等なんだよ」
そう言ったのは、山田五郎だった。
「俺はどこも行きたくないな。ここがいいよ」
そうも言った。
「普通に生きてて、普通に飯がうまく食えて、よく寝れてりゃ、それが一番よくて、何か特別なことをやろうって気が起きないんだよ。どこかに行こうとかじゃなくて、もう生きてるだけで上等なんだよ」
健康な方、お若い方はそんな気持ちにならないことだろう。
また、そうなっては危険なような気もする。
何もしたくない、と言うのではない。
あえて何かをすることによって、そこに愉しみや喜びを見出すという事がなくなったという意味だ。
なぜなら、いまが、いまここにこうしていることが幸せで、有難くてしょーもないからである。
山田五郎がその心境になったのは「病気になって以来」だという。
同氏は、2024年10月に原発不明癌に罹患していることが分かって以来闘病を続けていた。
同じ病でつい最近森永卓郎氏が亡くなったことから、覚悟はできていたのだろうが、普段何気なく生きていること自体への感謝、満足がふつふつと湧き上がってくるのだ。
それは「悟り」とかいうものではない。
あまりにも身近過ぎて、見えなかった眼前の世界が見えてきたという事なのだろう。それは、あらためて死を見つめなおしたものにしてはじめて到達できる境地なのかもしれない。
健康だけが取り柄みたいな私自身が最近、比較的大きな病を患ったこともあって、それは心底共感できるものとなった。
慢心は、身近な景色を見えなくするものだ。
おススメ!
私はもちろん山田氏のYouTube『山田五郎オトナの教養講座』をすべて見ているわけではないし、途中からの参入者だ。
このシリーズは、有名な画家、巨匠の虚像を剥ぎ取り、彼らを我々と変わらない等身大の人間にしてしまう意味で面白い。
その中でも、見始めてついつい引き込まれてしまった動画がこちら。
若干24歳で忽然とその消息を絶った版画家・藤牧義夫の謎に迫るミステリー回である。
山田五郎の職人技ともいえるその論理的な推理と検証には舌を巻く。
実に面白いのでぜひご覧になっていただきたい。
※山田五郎さんは、2026年7月14日夕方渋谷のご自宅で逝去された。ご冥福をお祈りいたします。
👇 参照(過去の拙稿=一部重複している部分アリ)
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東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。