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サバイバルアフターヌクレアウォー ────Ash to ashes, dust to dust



ドクター・モー2048年のナラティブ

それを「近未来」という言葉でぼかしたくはない。
なぜなら、我々はとっくに日々近未来を過ごしているからだ。
時には、我々の方がその近未来を超えることすらある。

西暦2048年。
遠くも近くもない未来。

これから記すのはその年に、この地上でDr.Mo(ドクター・モー)という人物が残したナラティブの断片である。
よって独断に過ぎるうらみは残るであろうが、ご承知置きいただきたい。
航海日誌ログブックが、いずれ改めてすべてをつまびらかにする日も来るだろう。

我々が住む地球は2035年9月6日を最後に、全面核戦争によって壊滅した。
壊滅したが、生存者はいた。
その話は深刻なうえに、少し複雑である。
複雑だが、徐々に分かることになるだろう。
今ここで確実に言えることは一つだけだ。
その年から、人類の営為は生活から生存に取って変わった。

「死の灰」はしばらく降り注いだ。
成層圏に堆積した核爆発によるすすが太陽光線を遮断するいわゆる「核の冬」が数年間続き、その間地上はすっかり凍土と化していた。
穴の開いたオゾン層を通して容赦なく差し込む紫外線が、空気を赤っぽく染めていた。
それらは陰惨と言うまでもなく教科書通りだった。

全面核戦争の力関係から、誰の目にも表向き超大国同士の最終戦に見えた。
未だにそういう位置づけであるため、それについて疑うものは少ない。
しかしすでに疑おうが信じようが、同じことになってしまった。
あらかたが灰燼と化してしまったからだ。

真相は別にあった。
それは内部からの侵略によるものであった。
もちろん、最初は宇宙(他の星)からの侵略である。
さかのぼること2万5千年ほど前から始まり、大規模なそれは少なくとも数回、漸次行われてきた。

奴らはまず、この地球惑星ほしの国家の中枢に入り込んだ。
エリート集団に取り入り、同化した。
あるいは宗教や秘密結社の深奥に入り込み、これを変容した。
そしてがん細胞のように内部で増殖し、しまいにはその宿主を乗っ取るというやり口である。
もちろん「宿主」とは権力者、ひいては国家を指す。

プラトンの記述に残るアトランティス大陸の沈没、古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』に克明に記載された核戦争、デカン高原、モヘンジョダロ、ハラッパ―など土壌や建造物に見る超高温によるガラス化現象・・。
近くではヒロシマ、ナガサキ・・。
それらの悲惨はなんらの「教訓」ともならず、ただ史実が刻まれただけである。もしくは、神話として伝承されただけである。


火星の亡命政府

この地球惑星は、めでたく「世界政府ワンワールドオーダー」を樹立していた。
国名は残ったが、もはや国家は存在せず、世界政府の一元管理のもとにあった。素晴らしいことではあるまいか?

世界政府は、悪魔崇拝を旨とした。
そう聞くと禍々まがまがしくとらえる向きもあるだろうが、それは誤った先入見から来る悪魔に対するはなはだしい侮辱である。
────少なくとも、この政府ではそう教わることになる。
おそらくは半年もすれば、悪魔に対する認識も、現今の我々にとっての「神」へのそれと何ら変わらない風になるだろう。

もちろん、悪魔により侵略され、すでに乗っ取られる寸前であることに逸早く気づいていたものもいなかったわけではない。
生命科学~比較人類学を専門にしていたMo博士もその一人だった。博士らは現今の社会がすでにそうした「ウイルス」に侵されていることを喝破していた。そして、近い将来核戦争ヌクレアウォーか、それに代わる細菌汚染パンデミックなどで地球惑星は壊滅するだろうというのが、もっぱらの見方だった。

ボロボロにはするが、殲滅はさせない。
ギリギリ生かすことで、労働力だけは搾取する。

「農民は生かさず殺さず」

彼ら支配者の目的は、この地上の”無駄飯食い”の一掃であった。
若しくは優生学に基づいた粛清だった。

Mo博士とT教授は、これに真っ向から反対し、何よりも民衆にそうした危険な国策を周知させることを急務と考えた。
と言う以前に、そもそも政府のトップが異星人エイリアン由来のエンティティであること、我々を支配する目的でそこにいることを知らしめないことにはすべては始まらなかった。

この意見は当然「反体制」として弾圧され、一部の間でしか支持されず、主流の政府関係者、学者、識者らによる見解は後述するように別な脅威に向けられていた。

Tは、声明文をまとめ、国連でそれを発議するまでこぎつけたが、これは当局の手で阻止された。
Tは捕まり、投獄された。
その後、獄中死したとされているが、おそらくは消されたのだろう。

もはや世論をただすには手遅れであることを悟った博士らは一刻も早い地球脱出計画を策定、心あるものに向けてそれを提唱した。
これに賛同したのが、かつて’20年ころのナチスドイツと、地底のアガルタ人らが協定して形成されていた離脱文明の存在だった。先進科学を持ったこの文明は、’47年にハイジャンプ作戦下の南極で米バード少佐らをハイテク兵器で迎え撃ったその張本人である。

その後宇宙開発を手掛けていたメガ企業の中の一社も加わり、テラフォーミングや今でいうアルテミス計画のような案を模索した。一般大衆には秘密にされたが、公式発表の裏では、すでに月面ではさながら予行演習のように様々なプラン(下の記事は一例)が検討、実施されていたのである。

それらは主に火星で実用化されるための下準備、もしくはカモフラージュであった。
それはこの地球上でのバイオテクノロジーにも大きく貢献した。この間で最大の収穫は、宇宙農業の完成で、人工太陽と地下灌漑設備を駆使して、災害時での食料に困らないだけの収穫を可能にしたことだったからである。

火星表面を走行する、生命探査を目的とした欧州の探査車「ロザリンド・フランクリン」のイラスト。 (画像提供:ESA/ATG medialab)

しかし、計画が進むにつれてわかってきたさらなる驚愕の事実があった。
ウイングメーカーとして知られる叡智あふれる古代種族によって、火星の地下にはすでに19世紀ころには広大な居住施設が整っていたのである。
それは同時に、農業はじめ、様々な産業を成り立たせるためのインフラが整備されていたことをも表していた。
願ってもない幸運に後押しされ、予想された核による脅威を逃れるためにMo博士を含む人類約3億人近くが、そこへと送り込まれることとなったのである。

これが地球脱出組による、いわば火星での亡命政府の樹立である。

しかし、わずか3億人である。すでに世界人口は90億人に達しようとしているさ中、あまりにもそれは少なすぎる人員だったが、そこは、それだけの人数であれば清々と収まる快適空間コロニーだった。

それが2035年の8月のことである。
移住は3回に分けて宇宙船を利用して行われた。
それには計画を後押ししてくれたアガルタ人、他星のヒューマノイドの知見とテクノロジーも大きく寄与していた。


全体主義という心地のよいゆりかご

さて、地球残留組である。
Dr.Moらとともに地球から別天地火星へと逃れた3億人を除く、何と約80億人の大所帯がそのまま地球に取り残された。

エリートらは早くから「イベント」と言われる大きな節をこの地球は経なければならないことはわかっていた。
それは、太陽フレアによるものなのか、地軸の転換による転変地変なのかはわからなかったが、近々確実にやってくることだけはわかっていた。
彼らは地下に核シェルターを建設し、大都市の大深度地下トンネルは縦横無尽に張り巡らされて、避難の準備はほぼ盤石だった。当然前述の宇宙農業も組み込まれていた。
もっとも、そこに入るには彼らエリート専用という枠があり、多くても30億人の収容が限度だったのだが・・。


地表の話に戻ろう。

隣人も当人と同様の境遇であることから、
全体主義はむしろ優しい素振りをして始まる。

この惑星では、20世紀後半にイングランド人によって『1984』という小説が生まれている。
実はこれは、「小説」もしくは「創作」「作品」の体をとった一種のレジスタンスだった。

当時の地球惑星の実社会は末期的な様相を呈していた。
小説発祥の国からして、痴呆気味の前首相に代わって小児性愛者が新たな首相の座に就いたかと思う間もなく、瞬く間に失脚、政局は”回転ドア”と揶揄されていた。

かと思えば、その国家を転覆するためにカルトによって送り込まれたスパイが、ぬくぬくと涼しい顔をして”他国”の首相になったりするような「嘘のようなホント」が罷り通っていた。
政治ではなく「茶番」が市民権を得て、それはもはや興行になっていた。

『1984』の作品では、全体主義社会のシミュレーションを装って、それを警告するはずであったのだが、しかし皮肉なことに、それは次第に現実社会に親しく浸潤していく結果となった。

現実がむしろ雄弁に作品の内容をトレースするようになった。
いや、正しくはその逆である。
まるで作品が現実の写し鏡でもあるかのようにだ。
それに気づくころには、同時代のモノであれば、もはやだれでも「1984」の任意のフレーズを諳んじれるまでになっていた。

↑もしまだ見てなかったら必見だど🤔


1984Night&Day

間もなく人々は、むしろ国家による規制がなければ気持ちが悪いとまで言い出すようになった。それほどに、全体主義は媚薬的な効き目があった。

実にこの事実は重要である。

茹で上がることがないカエルとして耐性を手に入れた個体は、次はむしろ次第に常軌を逸した劣悪な環境に住むことも可能になり、そればかりか、そこからもはや外に出たいとさえ思わなくなるものなのだ。

具体的にはそれがどういった効果をもたらしたかって?

彼ら────正しくは人類の残り半分────は、あろうことかこの地球惑星から一歩たりとも外へ出ることをせず、核の爆風吹き荒れるに身を任せる道を選んだのだ。

もっとも、その洗脳は致命的なまでに徹底され、彼ら民衆は、国が、政府がまさか自爆することで、自分たちの命を絶つような真似はしないと固く思い込んでいたからではあったのだが・・。

「信ずるものは救われる」

多くの民衆の拠り所であった献身的な信仰心は、尊いものだった。
しかし、その対象は悪魔だった。
悪魔にとってはむしろ労せずして、獲物はわざわざ向こうから用意した網に飛び込んできてくれたのだ。


人類と言う失敗野郎!

Dr.Moには長い間の懸案事項がある。

それは、ひょっとして人類のやってきたことはすべて失敗だったのではないか? という問いであり、同時に、それはきわめて個人的な答えでもあった。すなわち、失敗である。

そんな言い方に語弊があることは百も承知の上でだ。
それ以前に、そんな大雑把で子供じみたことを言いだすのは、性急で内容の検証もろくにしていない暴言であることまでも承知の上だ。

全部承知の上だ💨
オンザアンダースタンドだ💨💨(だからこれまでどこにもそんな私見を漏らしたことがない)

しかし、博士は自らの研究に一区切りがついたとき、
いや、それどころか、散歩に出たとき、
食事の合間、
家人や仲間と語っているとき、
読書に疲れたとき、

折に触れてその言葉を反芻した。
独白を借りた形で。


人類は失敗した。
人類は失敗したのだ。


部分的にではない。
ほかならぬ人類の失敗に「部分的」もあったものではない。
特定銘柄の損切り見送りではない。
すべて失敗である。

それにはもちろん烙印が押される。

核戦争という大判のそれである。
これこそが、過去の負債すらもチャラにしてしまう人類の総清算である。


科学・宗教では1ミリも救われなかった

取り返しがつかないものに、同じ語句を繰り返さない。
すでに取り返しがつかないからだ。
それは、取り返す必要性すらもない。
もはや取り替えるタマがないからだ。

要は、こういうことだ。
失敗の土台の上に、どんなきれいごとで取り繕うとしても無駄だし、それは醜いことだ。

おそらくそれは
その先、すなわち人類の「未来」とやらに付き合おうとするのなら・・
多くの同志を失うことになるだろう。

科学でも宗教でも、それらの統合した何かでも・・
これまで人類は救われたことは一度たりともなかった。

だれもこの事実を認めたがらない。
むしろそういう場所から席を立つ。

その代わり、人類は「理想」を愛する。
到達点ではなく、
その途上にあって、

「あの山を越えれば天国がある」

と死ぬまで呟いていることが好きなんだ。
(「山のあなたの空遠く・・」)

天国に至ることではない。
いつまでたっても、
”天国に至ろう”とすることが好きなんだ。

一切の宗教が、
天国よりも
天国の景観を、
その門前の景色を・・、
聖人や達者よりも
その佇まいを、
言説を、
仕草を・・、
崇め、奉ってきた。
それが死角である。

それを眩いばかりの美しさで飾り立てようが、
そこにどれほど荘厳な哲学や真理があろうが、
それらには何らの力も効力もない。
なぜなら、天国にそんなものはないからである。

ところが人類は「やり直せる」と言う。
失敗を恐れないのではない。
つまり、失敗を失敗と認めていないのだ。
認めないで歩みだそうとしている。
それはひとり傲慢以外の何ものでもない。


核戦争なんて簡単だよ

なにせ核戦争を経験済みの惑星だ。
よくキチガイが核のボタン(”原子フットボール”)を押すという。

ちょっと待て、それを押したら核戦争

である。

ハエ・蚊退治にキンチョール! とは違う。
少なくともアマゾンブラックフライデーで、足踏み健康器具ゲッチューのポチっとな、ではない。
そんなことは小学生にだってわかるというだろう。
であれば、この惑星の住人の大半が未就学児なのだ。

敵国攻撃のためではない。
それは核戦争招来のためのワンプッシュである。

しかも、それをすでに押している星である。
それは負い目ではない。
誇りである。
何せ経験と実績に裏打ちされているからだ。
以て何をかいわんやである。


経験やらかし済みは強い。
それに勝るものはない。
行っちゃってるからである。

その政府にはもはや「警告」はない。
代わりに「統制」「管理」「制約」はある。
何しろ「経験済み」という範例、錦の御旗がある。

その政府は、

言葉遣い
衣服の乱れ
髪型
お辞儀
爪の長さに至るまで
その他あらゆる人間の行動を規制できる。

その政府は、
そのようなことを「気の迷い」と言い切れる。
そのうえ、「気の迷い」がひいては核戦争にまで発展するのだと言っても、だれもそれを否定できない。
未経験だからだ。

人類の思考行動の「最後の審判」が核による業火である。
そして、そこから人類は二つに分類される。

核を経験済みなのか、
未経験なのか、

未経験であれば100%経験済みの訓戒を飲み込まなければならない。


”未来世紀ブラジル”サンパウロ

モー博士ら一行が、火星のコロニーを発ち、懐かしくも変わり果てた地球に着いたのが2048年11月。
核戦争後、初になる上陸のため、博士ら4人は慎重に小型宇宙船エンターサプライズ号を降り立った。

表向きの任務は「核分裂下での生命現象の維持とその変容」という生命科学の案件ではあったが、モー博士の心中には、私的だがさらに大事な用件が転がっていた。

それは、朋友Tの痕跡、とりわけ「声明文」として識者・リーダーに向けて用意されていつつも結果未発表に終わった書面を探す事だった。

友人Tの記録を探しに研究室に戻ったモー博士とその一行


ここはブラジル・サンパウロ。
都市圏の人口は2300万人を数え、往時のNYを上回った。
地球上でもっとも猥雑な場所────モー博士はよくそう語った。

(・・それにしても、あの『1984』の、形を変えたパロディ版ディストピア映画が”本家”イギリスで制作されたのは良いとして、そのタイトルにここ『未来世紀ブラジル』を冠したのは卓越したセンスだな。極度の独裁政治は深刻な顔をしたパロディに見えるものである。)

と、Dr.Moはこんな時に妙なことを思う自分に苦笑いした。
ともあれ、この地が彼と死んだ朋友Tの仕事場であり、根城だった。


高圧の可搬型発電機を搭載した電源車をビルに横付けし、まずは電気を復旧させるところから始めた。
空調やエレベーターなどを含むインフラで、まだ使用可能なものは動き始めた。
PCも電源が入った。

もちろんデジタルコンテンツでは流せない。
それはわかっていた。
Tが残したという声明文の形態だ。
おそらくは暗号化しているか、肉筆だろう。
当局に発覚したら即刻無期か死刑であるのはいわずもがなだからだ。

Dr.Moは、死んだ朋友の生きた痕跡を探していた。
懐かしい研究所に入ると、そこは少し文具店のような安心できる匂いがした。
そういえばTの奴、生前にこう言ってたな。

「おれの遺言はパピルスに書いて、鉛製の棺桶にでも入れておくさ」

パピルスは、つまり旧式のやり方、紙とボールペンか何か・・当然漏洩・拡散を避けたそれを指すのだろう。
「棺桶」とは、放射能を遮蔽する容器の比喩か。

Dr.Moは、ふと、片隅にたたずんでいる仏の座像が目に留まった。
海外ではこうしたさながらオーパーツ的な珍品が、よく平気で書斎に飾られていたりする。分けても、ここブラジルはとりわけ新興宗教を含む様々な宗教の坩堝だった。Tが仏教徒であったかどーかは不明だが、エキゾチックなムードの演出でそうした調度を揃える向きも多かったから珍しいことではなかった。

爆風は窓ガラスを吹き飛ばしはしたものの、どうやら室内の調度は辛くも生き残っていたようだ。
案の定、像の下部には蓋があり、それをねじ開けると中から茶封筒が出てきたではないか。

レシピが繋ぐ友情

そうして声明文一式が入った封筒を仏像の底から引き出すと、中でガサっと固形物の音がした。
封筒から転がり出たそれは、やや古いUSBのチップだった。

「おや? まだ文句が言い足りないのか?」

試みに近くにあったPCにそれを差し込んでみると、2、3回明滅してモニターはnoteのサムネ画面を映し出した。
生きていた。
もちろんインターネットは断線したままだからそれはオフラインの、おそらくは録画されたものなのだろう。
自動で投稿画面が開かれると、そこにYouTubeの動画が展開した。

まさかのグルメ動画だった。
「サイコーの目玉焼きを作ってみた❤」とあった。
ハートが付いていた。

「やあ、みんな!」

懐かしい顔がそこにあった。
それはTの息子のジョナサンだった。
学校の中等科に上がるころ、まだ15,6歳ころに会ったままだったが、変わらない。

奴は両親とともにサンパウロにしばらく住んでいた日系二世だった。
未だに生存の確認ができていないまま、行方が不明だ。
えらく髪が黒い。
そして多い。

「今日は親父ミーパドリ直伝の特製目玉焼きの作り方を公開しちゃうよ!」

「いいかい? ここが一番大事なんだ。ケッコーみんなが見落としちゃうのが、タマゴ え・ら・び・・・」

「もちろん放し飼いがよき・・」

途中から、たぶん映像を追っていなかった。
音声も耳に入っていなかった。
ただ、相変わらず軽い💦
軽快というよりも軽薄なテンポは確かに伝わってきた。

すると突然Dr.Moは後ろ向きになって肩を震わせていた。

泣いているのか、笑っているのか?

どちらもだった。

「このヤロー、そ、そ、そ、、そのレシピ・・・」

Moは突然そう大声で叫んだ。

「学生時代にこの俺が奴(T)に教えたもんじゃないかぁー」

嗚咽が込み上げてきた。
そして何度もこう繰り返しては、拳骨をデスクに打ち付けていた。

「パクリやがってー」

「やあみんな、今日も元気に言ってみよう『まいうー!』」

泣いていた。
笑っていた。

そして怒ってもいた。


朋友Tの最後の言葉

同行の白人女性Rが、封筒の中身をそっと差し出した。

それはT直筆の書面だった。
スペイン語が混ざったようなポルトガル語で几帳面に書かれていた。


《避難勧告の声明declaração

この惑星は監獄である。それのみならず、ゴミダメである。ここに集まるのはクズだ。Este planeta é uma prisão. Não só isso, é um antro de imundície. Só a escória se reúne aqui.

────モー博士は、手首で額の汗を拭うと、そのまま自然に周囲を一度見回した。一糸乱れぬ文章は続く・・。

他の星での凶悪犯罪者、変質者、小児性愛者、サイコパスがここに”流されて”きた。
悪魔教の裸踊りと化したポップアーティスト、偏向と腐敗をあらわにした国営放送、ガス抜きとスピン報道が専門のニュース番組、カネで抑え込まれてすっかりおとなしい学者・芸術家の群れ、卑俗でコケ脅かしの芸術と、古臭い殻を脱しきれない学問、アカデミズム。

彼らは、リーダーと呼ばれている。
または、電波が及ぶ界隈ではインフルエンサーと呼ばれている。

いずれにせよ、そうした連中がそこにいるということは、そのまま他の星では擁しきれなかったからであることの証左である。

連中はこの星へと”廃棄処分”されたのだ。

────途中挟んで申し訳ない。これはまんま『エイリアンインタビュー』である。それにしても「裸踊りと化した」ねぇ・・。

連中が作る100年と持たないような文化文明に、未だ一緒になって踊っている阿呆ども。彼らはこの星ではしばしば「大衆」と誤訳される。
なぜ”誤訳”というかは、この星以外ではそんな呼び名は存在しないからである。

救いようがない。
救われたためしもない。

君らは、時折首をかしげる。
リーダーの挙動・言動に疑義を持つ。
そうではない。
君らがいて連中がいる。
おそらくこの星で断罪されるべきは、連中ではない。
およそ8割がたを占める君ら「不感症」の人間もどきだ。

君らは何らの疑問も持たず、何の怒りも持たず、ただ粛々と朝のルーティンのようにひねもす同じ動作を繰り返す。
君らは何の抑止力にもならない。
上流からやってくる雨水をそのままやり過ごし、
濁流・鉄砲水としつつ一般社会という下流地域に流し込み、氾濫させ、暴れまくるに任せる。

悪の萌芽はまだ悪ではない。
君らがそれに栄養を与え、立派な悪に育て上げる。
悪がではない。
表向き「善人」の仮面をかぶった能無しの、一般大衆の、
その手を汚させて、悪は完成する。

いいか、見捨てろ。
見捨てることが正解であるということが分かるまで、
まだこの惑星ほしはあと100年ほどかかるだろう。

それまで、またぞろやっているのだ。
十年一日のように。
熱病の如く
理想主義のたらたらを・・。

いま、君が描いている理想、夢、ビジョンは一切実ることはない。
君のその畢生のロジックにせよ、頬をかすりさえしない。
過去の叡智を蒸し返すな。

それらは何ら効力がなかったから、いまこうしてそこにあるだけだ。
燻っては不完全燃焼で、その骨子だけが残っている。

見捨てろ!


悪は君の善良さを食って巨悪となる

────T による完膚なきまでに斬りつける言葉の刃は、直接悪魔・支配層に向けてのものではなかった。
それは、むしろ善良で従順な人類────その大半を占める一般大衆へ向けてのものだった。

それは一見、人類に対する呪詛のようにも取れるし、人の善意の何もかもひっこめての諦観のようにも取れる。

しかしそれは、愛ではなかったか? それは希望ではなかったのか?
そうであるかもしれないし、違うのかもしれない。
ただ人類がそこまで駄目だとは思いたくはない。

しかし、彼の言う言葉のどこに間違いがあるのだろうか?
何人も畏れ多くて指摘しなかった人類の叡智と呼ばれるものは、いわば過去にガラクタで使い物にならなかったそれではないのか?

それで救われる?
それを持ってやり直そう?

既に何億回となく唱えてきたセリフだ。
つまり、何億回となく人類は救われていなければならないではないか?

なるほど、連中・悪魔のやることは酷い。
容赦ない。

では、我々人類は被害者なのか?
被害者だったのか?

「あいつがこんなに悪いことをしたんだ」

また泣き言か?
被害者が好きなのか?
無能にもこれからもそうなのか?

その深いところでの居直り、開き直り。
それこそ悪魔よりも根の深い性根の悪さだ。


この手紙を君が今見ているという事は、
そう、おそらくはイベントの後のことで、そこにはもう私はいない。
そこにいないばかりか、私はもうこの世にいない。

この手紙を探しあてた君は、
たぶんモー博士、あなただろう。

うれしい。
素直にうれしい。
来てくれるのはわかっていたよ。

ありがとう。

早いとこ・・・そう、
とっとと見切り付けて、ここを立ち去るのだ。

Ash to ashes, dust to dust(灰は灰に、塵は塵に)

Y・Takagi

それは、葬儀で埋葬の際に神父が唱える文言で締めていた。
なんとなく、「この手紙を君が今見ているという事は」とまったく同じくだりが、昔観たSF映画にもあったような気がした💦 
その辺いかにもT らしい。

ここで登場する「イベント」という言葉は核戦争を指す。
しかし、当時の地球上の有識者の間では核の脅威よりも、むしろその頃ピークに達していた太陽フレアによる太陽嵐の猛威が最も懸念されていた。それによる電磁パルスの乱れ、異常気象、さらには人工衛星などの軌道への干渉、電気・通信など既存のインフラへの影響などである。
さらにはもっと甚深な銀河系規模の一大転換によるポールシフトを警告する科学者もおり、それらの全部、または部分をイベントと呼ぶこともあった。
今になってみると、それら諸説は核から世論をそらすためのスピンだったのかもしれない。

それらを差し置いて、核戦争が先にやってきてしまったからだ。

Dr.Mo(ドクター・モー)の身体は再度小刻みに震えていた。
それが、予想を超えて過激な文面だったからではない。
むしろ、それは博士自身がかねてより心中で燻っていた感慨を、そのまま痛いほど代弁していたからである。

「さすがにTだ」

Dr.Mo自身、かつて下のようなメモを残している。

呪縛

呪縛

古来からの伝統、習わし、道徳、因習
それによって封じこまれた思考、あるいは性向
とりわけ万人が愛し、崇拝し、祭り上げてきた聖賢の言動、思想、悟り
良くも悪くもそれらが私たちの自由を奪ってきた。

あなたはそれによって心の平安を得たという。
それら伝統が文化に深い陰影を与え続けてきたという。
真理は不変なものだという。
しかし、どうしてそうであるのであれば、今日のこの世界の腐敗、狂乱、欺瞞、不幸、そして悲しみの様なのだろうか?

それらは、”少しはまし”になったのだろうか?
いや、それは十年一日のごとくだ。
まったくそれらが無価値、無効力であったことは火を見るよりも明らかではないか?
であるとすれば、それこそ最重要問題である。

もし真理というのであれば、刻一刻と変化してゆくものこそ不変の真理である。
それは、今あなたで始まるものである。
決してそれに十字架を打ち付けるような真似をしてはならない。
銘文を刻み込んではならない。
不動の信条にしてはならない。
信念にしてはならない。
それらが、争いや騒乱を招くからである。

                          2024年9月24日


※画像:Pixabay+グーグルGemini Nano Banana2

※参考:以下の過去記事を参考にしました。

前後編あり、長大であるが、どーいうわけか私の書いたものの中で一番読まれているもの。異星人から見た地球惑星および人類観が忌憚なく示されている。とりわけ「監獄惑星」という逃げ場のない世界観が本作の骨子になっており、そのまま本編ではDr.MoやT教授の思想の源泉になっている。その救いようのない人類の本性を炙り出したことで、とかく物議を醸す「エイリアンインタビュー」ではあるが、昨今の地に堕ちた政局の腐敗ぶりや恐ろしいばかりの人心の荒廃などの諸相を見るにつけ、ひょっとするとここで述べられている荒唐無稽は真実なのではないか? と思わせるリアリティがある。

一部アイディアをもとにリライトしています。

※後日譚:その後の政府のあり方、および核戦争による実質の生存者数は今現在確実な数字として残っていない。それらはこれからの我々が決めることだからだ。

※注意:このお話はフィクションである。
しかし、フィクションを借りた「今」である。



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Monikodo 東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。