『無駄』を愛せ。『無駄』が人生の可能性を広げるから。
最近、とあるゲームにハマっている。
そのゲームをやる為の休日を待ち侘びている感覚すらある。この感覚を感じるのは、とても久しい。大人になってから、ゲームを少し面倒だと感じるようになっていたからである。
一刻も早く家に帰ってゲームがやりたい。それこそがボクの生き甲斐だ。とでもいうような子どもの頃のゲームへの渇望感が薄れてしまっていた。『所詮、ゲーム』とでも言わんばかりの冷笑的でつまらない大人になっていた。『ゲーム内でモンスターを狩ってお金を稼いで、何になる?』みたいな考えを持ってしまっていた節がある。ボクがなりたくなかった大人になってしまっていた節がある。
ゲームは、心の余裕がないとできない。何せなかなか根気が必要だからである。今回、ボクがハマったゲームはゴリッゴリのRPGで、コツコツとレベル上げをしたり、村人たち全員に話しかけて、仲間を増やしていくという極めて面倒な作業をやらなくてはならない。
『タイパ』を重視し、さまざまな予定をピラミッド式に積み上げて、充実感を得ようとする意識高い系ビジネスマンには、絶対にやれない代物である。RPGにのめり込むには、時間を棒に振る勇気が必要なのである。モンスターとエンカウントする。モンスターを倒す。経験値を得てレベルアップする。これを延々とループさせる勇気が、社会人にはない。資本主義に毒された人類は、これをすべて『無駄』とカテゴライズしてしまう。
たしかに、これは『無駄』である。しかし、ここには『ゆとり』がある。せこせこと働いて、プライベートも充実させなきゃと生きている人には、心に『ゆとり』がない。余白がない人生というのは、一見すると、充実感が伴っていて楽しそうだが、ボクからすれば、ゆとりが無さすぎて、逆に面白くない。無駄を愛し、ゆとりを愛す心にこそ、人生の鮮やかさは宿ると思っている。
その心をボクはこのゲームに出会って思い出した。会社で昇進し名声を得て、お金を稼ぎ、キャバクラで豪遊する。ビジネスマンのテンプレを目指す。そんな資本主義のパッケージに収まってしまって良いのだろうか。ボクはここに、一石を投じたい。あえてビジネスとはかけ離れた、資本主義には一切結びつかない『無駄』な事をやってみる。というのも、なかなかオツな時間の使い方である。それこそが大人の余裕ではあるまいか。
ボクは目の前にぶら下げられたニンジンを必死に追いかける馬にはなりたくない。それよりも、ニンジンは適度に追いかけつつ、目の前に広がる美しい景色を楽しんだり、時には蝶々を追っかけたりする馬になりたいのである。
資本主義にその身をやつすと、視野がギュンと狭くなってしまう。『お金』に取り憑かれ、それにまつわるモノしか目に入らなくなる。そんな狭い望遠鏡で世界を観ていて、人生を充分に楽しめるとは思えない。だから、ボクは『無駄』だと言われようが、モンスターを倒し経験値を獲得しレベルアップし、新しい必殺技を身につける人生にしたいと思う。
寄り道こそが、我が人生である。

↓人生何をやっても良い。(メイン垢)
