ボクには才能がない。
ボクには才能がない。
ボクは、さまざまな活動をしている。ラジオ、ブログ、イラスト、作曲、大喜利、写真、動画作成などなど。
しかし、どれもこれもパッとした成果は残せていない。時々、万インプレッションに達する事もあるが、大概は数千インプレッションに留まる。YouTubeに至っては0回再生を毎度量産しているアカウントすらある。
基本的には、ボクに目ぼしい才能は無さそうである。才能があれば、ボクはとっくに何らかのスターダムに登り詰めているだろう。ミュージックステーションの階段を自慢げに駆け下り、タモリに『髪切った?』と言われていただろう。
最近は、ボクよりも遥かに年下の才能を持つ者たちが、下からどしどしとライジングしていっている。芸能界にしろYouTuberにしろ、34歳のボクよりも年齢の低い人たちが、登り詰めていく。
この人おもしろいなぁ、素晴らしいクリエイティブを作るなぁと思い、年齢を確認すると、大抵は年下である。きっと、才能があるヤツっていうのは、30歳になるまでには、何らかの成果を上げるのだろう。
才能とは、実に理不尽なモノなのである。
ニンゲンを形作る為の神の調合は、実に雑である。部屋の隅のほこりを見逃すボクの掃除くらい雑である。調合の仕方に悪意さえ感じられる。
努力は必ず報われるとはいうが、それは嘘である。たいていの努力は、圧倒的な才能を前にして脆く崩れさる。それは人間が蟻を踏み潰すごとき、歴然の力の差を表す。
ルッキズム格差を思えば、それが可視化されやすいだろう。吉沢亮のような比類なきイケメソもいれば、ジャバ・ザ・ハットみたいな3重アゴのブサイクおじさんも存在する。
ここには、残酷すぎる格差があるだろう。
吉沢亮は生まれた瞬間から女にモテる事が決定しているし、ジャバ・ザ・ハットおじさんは、生涯童貞のまま世の中を呪いながら死の床に就く事が決定してしまっている。
ルッキズムは特にこれが顕著だが、顔以外の才能にも、ボクはこれが言えると思っている。大体のことは、初めから決まっているのである。努力して成功したと言い張るヤツも、たいていの場合、才能を持っていたのである。
大谷翔平は、たいへんな努力をしている。これは認めよう。しかし、それ以前に、たいへんな才能をもっている事を忘れてはいけない。成功する地盤には、絶対的に才能が必要なのである。
しかしながら、ボクにはその才能がない。
↓才能がないボクの音楽
↓才能がないボクのイラスト

↓努力は報われないがやる価値はある(メイン垢)
