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議員になって一年。地域の中で見えてきたこと、感じた責任

議員として歩み始めて1年。政治や議員に抱いていた違和感、選挙への挑戦、町民への情報発信、そして三戸町での医師奨学金貸与条例改正案の議会による否決という事例について。
新人議員としての迷いや学びを、正直に振り返りました。
これから政治に関心を持つ人、選挙に挑戦してみたい人へのヒントになれば嬉しいです。

こんにちは、五十嵐淳です。
ちょうど一年前、私は三戸町議会議員としての第一歩を踏み出し怒涛の1ヶ月に翻弄されていました。
議員として迎えたあっという間の一年間。
今回は「なぜ立候補したのか」「実際にやってみてどうだったのか」、そして「これから」について、自分の言葉で振り返ってみたいと思います。

ちなみに画像の胡蝶蘭は、1年前にお祝いとして在京企業在籍時代にお世話になっていた静岡の会社の社長より送っていただいたものです(利害関係のない私的な贈与です)。
花が落ちてからも素人なりに世話して再び開花させることができました。


選挙に出ようと思ったきっかけ

正直に言うと、最初から「議員になりたい」と思っていたわけではありません。
立候補を決めたのは、選挙の2ヶ月前くらいだったと思います。今思うとかなりギリギリのタイミングでした。

3月5日の選挙告示に向けた立候補予定者説明会が開かれたのは2月8日。
それまで私は、公職選挙法にまつわる知識も準備もゼロ。
説明会の最中に、選挙ポスターや選挙ビラをどこに発注するか、
スケジュール的に間に合うのかを慌てて確認していたほどです。
伝えたいことの大枠は、「これまでのまちづくり活動で感じていた課題」や
「議員になってやりたいと思っていたこと」として言語化できていたつもりでした。
でも、それを選挙ビラや選挙公報、限られた媒体でどう表現すれば届くのか。
その方法を考え、形にしていく作業は想像以上に難しく、
実際、選挙前日にようやくYouTube用の動画を準備し終えたほどです。

当時の私は、政治や議員に対してあまり良いイメージを持っていませんでした。「何をしているのか分からない」「誰のためにやっているのか見えない」そんな印象がありました。

でも、だからこそ思ったんです。
「何をしているのか分からないなら、町民に活動が見えやすい人間が議員になってもいいんじゃないか?」
私はこれまで、地域のまちづくりやイベントなど、顔の見える形で地域に関わってきました。
その延長線上で、「見える議員」として町に貢献したいという気持ちが芽生えました。

また、もう一つの思いもありました。
「若い人や新しい人が、選挙や議会にもっと関心を持ち、挑戦することを選択肢にできるような空気を作りたい」
そんな想いも背負っての立候補でした。

「政治家」と名乗ることへの抵抗

議員になってすぐの頃、私は「自分が政治家である」と名乗ることにかなり抵抗がありました。
というのも、私の中にあった「政治」のイメージは、
見えない力学・足の引っ張り合い・パワーゲーム——そして、当事者や地域住民の声が置き去りにされたまま、
声の大きい少数派だけが動かし、低投票率の中で選ばれた限られた人たちによって進んでいく閉じた世界。
そんな世界に自分が加わってしまうのではないかという懸念がありました。
だから、「政治をやらない、まちづくりに関わる議員」という表現を好んで使っていました。

けれどある日、町民の方がこう言ってくれたんです。
「だからこそ、五十嵐くんには“政治家”って言ってほしいな」
また、尊敬する先輩議員が会議中に話していた、
「国政から地方問わず、議員になれば“政治家”だ。その自覚を持って活動すべきだ」
という言葉で意識が変わりました。

今の私はまだ、「政治家です」と言えるわけではありませんが、
「そう思ってもらえるような活動を続けていこう」
そう思えるようになりました。


議員としての一年を振り返って

当選直後はもちろん嬉しさや安堵もありました。
ただ、その気持ちが続いたのはほんの2〜3日程度。

すぐに現実が始まりました。
所属する委員会を決める初会議、3月議会の一般質問、予算委員会の準備、懇親会、勉強会……。
気づけば次から次へと予定が詰まり、あっという間に春が過ぎていました。

「気がついたら季節が変わっていた」そんな感覚でした。
そしてその繰り返しの中で、気づけばもう1年が経っていました。

1周して迎えた今年3月の議会では、ようやく
「事前にしっかり準備し、それぞれの議論にきちんと向き合えた」
という実感を持てた会期になりました。

まだまだ学びの連続ですが、「議員としての自分像」が少しずつ見えてきた気がしています。

印象に残った出来事:「医師奨学金貸与条例改正案」否決

この一年の中で最も印象的だったのが、
「三戸町医師奨学金貸与条例改正案」が2度にわたって議会で否決されたことです。

この改正案のきっかけは、三戸町で生まれ育った若者が、海外の医学部に進学することが決まったことにあります。
将来的に三戸町へ戻り、地域医療に貢献したいという強い意志を持った若者に、既存の制度では支援ができない。
その制度の壁を柔軟に見直す提案が行政から出されたものでした。

私は、これはシンプルに「次世代のための前向きな制度改革」と受け止め、
まさか否決されるとは思ってもいませんでした。

結果は、1度目の採決が賛成4、反対8(議長、欠席者1名除く12名で否決。2度目の採決が賛成6、反対7(議長除く13名で採決)で否決
修正案も付帯決議も出されず、完全な否決となりました。
調べてみると、行政提案が連続で完全否決される例は、全国的にも稀なことだそうです。
完全なる否決により、今後は医師奨学金貸与条例自体の必要可否の議論も出るのではないかなと考えています。

私は賛成の立場でしたし、気持ちとしては今も残念です。
けれども反対された議員の「それぞれの正義で判断した」という言葉には納得もしています。

何より今回、強く実感したのは、
「議員が出す一つの判断が、人の人生や地域の未来に影響を与える」という重さと怖さです。

改めて、「議員とはどうあるべきか」「自分にその適性があるのか」について深く考える機会にもなりました。

そしてこの否決の結果について、今も注視していることがあります。

短期的には、今回の意思表示が次回の選挙にどう影響するか
特に、当事者である若者たちやその世代がどう投票行動に表すのか、注目しています。

中長期的には、結果について失望した当事者や同年代の若者たちが三戸町とどう関わり続けるのか、それとも距離を置いてしまうのか
その変化こそが、今回の議論の真の影響だと思っています。

これからも「見える議員」でありたい

これからも私は、「見える議員」でありたいと思っています。
議会のこと、まちのこと、自分の想いをきちんと発信し続けていきます。

議員報酬は町民の税金から支払われている以上、情報の公開手段は人それぞれであっても、
「何をやったのか」「どんなことを考えているのか」については、町民に向けて報告するべきだと考えています。

私は基本的にSNSやブログでの発信をおこなっていますが、それに加えて、昨年12月には新聞折込で紙の議員活動報告書を出しました。
これは、普段SNSを利用していない世代や、地域で直接つながりのない方々にも、自分の活動を届けたいと考えたからです。

今後も年に2回程度、新聞折込での活動報告を継続していく予定です。
ありがたいことに、この考えに共感してくれている先輩議員もいて、いずれは複数の議員で一緒に発信できたらとも思っています。

そうした小さな積み重ねが、政治への信頼や関心を育てることにつながるのではないか。そう信じています。

そして、
「政治は誰か特別な人がやるもの」ではなく、
町のことを想い、動きたいと思う人すべてに開かれたもの
であることを伝えていきたいです。

もしこの記事を読んで、
「自分も挑戦してみようかな」と思ってくれる人がいたら——
心から応援したいですし、自分自身の活動の中身や、どのように選挙を戦ったのかといった実体験も、ぜひ共有したいと思っています。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
これからも、議員活動や自身が感じていることなどを見える化していきます。


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