手取り23万の給与日にやること
金曜日の夜、仕事から帰ってくると妻が「今月、貯金が目標額を超えてた」と言った。
「へえ、そっか」
返事はそれだけ。僕は家計簿を開かなかった。
5年前の自分を思い出すと、その返答は絶対にあり得なかった。貯金目標を達成したなら、家計簿アプリをすぐに開いて、内訳を確認して、来月の目標を決めて――そうやって細かく数字を追っていた。
でも金曜夜の今、僕は数字を確認する必要がなかった。
「貯金が増える」ということの変化
5年前、僕の家計簿への執着は異常だった。
毎日開いていた。朝起きてから、昼休みに、帰宅後に、寝る前に。1日に何度も何度も。貯金額が0.1万円増えたことに一喜一憂していた。貯金ペースが去年より遅いと知ったら、その月は軽くパニックになった。
なぜそんなにしていたのか。
当時の僕は「貯金が増える」=「自分の価値が上がる」だと思い込んでいたんだと思う。数字の成長が、そのまま自分の人生の成功に直結していると勘違いしていた。だから数字を見ないと不安で、常に確認していないと落ち着かなかった。
でも実際には、それは自分の人生を見ていたのではなく、スマートフォンの中の数字を見ていたに過ぎなかった。
「仕組み化したら考えなくていい」が本当だった話
給与が入ったら、自動で貯金口座へ。
その日以降、僕は何もしていない。家計簿を見ない。家計簿アプリを開かない。月の終わりに「今月はいくら貯まったか」をわざわざ確認もしない。
妻が「貯金が増えてた」と報告をくれるまで、僕は今月の貯金額を全く知らなかった。
ぶっちゃけ、最初はそれが不安だった。「数字を見ないなんて、本当に大丈夫か」「どこかで失敗しているんじゃないか」という気持ちが、何度も何度も頭をよぎった。
でも、実際に試してみると、なにも起こらなかった。
給与は自動で貯金口座へ移される。固定費は昔に削減したのでそれ以上削らなくていい。変動費(食費とか日用品とか)は、そもそも大きくぶれない。だから結果として、毎月着実に貯まり続けているだけ。
数字を見ても見なくても、貯金は増える。見ていたのは、結果ではなく、途中経過の一部でしかなかったんだ。
5年前の僕なら、こう言ってた
「月の終わりに必ず家計簿を見た方がいいですよ。管理しないと貯金なんてできません」
「貯金アプリは毎日開くべき。現状を把握することが大事です」
「目標を達成したら、来月の目標を決めないと甘えになります」
5年前の自分はそう言っていた。そして、その言葉を聞いた後輩や友人は、だいたい3ヶ月で挫折していた。「毎日見るのが疲れた」「数字を見るとプレッシャーがある」「どうしても完璧にしようとしてしまう」。
そういう理由でみんな辞めていく。
つまり、その方法は僕にとっては必要だったけど、すべての人に必要な方法ではなかったんだ。むしろ「見ないといけない」という強迫観念が、貯金そのものを嫌いにさせていたのかもしれない。
「確認したい気持ち」と「続かない現実」
金曜夜の会話を思い出すと、5年前の僕に足りなかったのは「確認欲」をコントロールする力だったんだと気づく。
貯金が「増えるかどうか」は、仕組みを整えてしまえば、もうそこまで個人の努力に依存しない。給与→自動移動→残りで生活。それだけ。
でも増えるのを待つ間、人間って不安になるんだ。だから数字を見たくなる。確認したくなる。その確認が習慣になると、毎日見るようになる。毎日見ると、数字の揺らぎに敏感になる。数字の揺らぎに敏感になると、それが気になって、結局ストレスになる。
このループから抜け出すのに、実は5年かかった。
妻の一言で分かったこと
「今月、貯金が目標を超えてた」
この報告を聞いても動揺しない自分に、初めて気づいた。
昔なら「超えてた?いくら超えた?」「来月はもっと増やせるんじゃ……」「もし〇〇が変わったら……」と、すぐに次の不安を探していた。
でも今は違う。妻の報告を聞いて、「へえ、そっか」と返して、それで終わり。
なぜなら「貯金が増える」ことが、もう人生の最優先じゃなくなったから。
仕組みで増える貯金よりも、仕事から帰ってきて妻と普通に話すこと。週末に子どもと遊ぶこと。お弁当を作る時間。そういう「数字にならないこと」の方が、今の僕にとっては大事になった。
貯金は、その次。勝手に増えていればいい。
「毎日見ないといけない」から解放されるまで
後輩から「貯金始めたいんですが、毎日何をすればいいですか?」と聞かれることがまだある。
以前の僕なら「毎日家計簿を開いて、日々の出費を記録する。そして月の終わりに見直す」と答えていた。
でも今は違う。
「毎日何もしなくていいです。給与日に一度だけ、自動移動の設定を確認して。あとは見なくていい」
そう答えるようになった。
相手は大抵「えっ、でもそれで貯まりますか?」と聞き返す。5年前の僕なら「大丈夫です。完璧に仕組みを整えれば、見ないでも増えます」と言い張ったかもしれない。
でも実際には、僕は5年かけて、その言葉が本当だと確認した。
見なくても、増える。見ないからこそ、疲れない。疲れないから、5年続いた。
金曜夜、何も確認しなかった話
妻の報告を聞いても、僕が家計簿を開かなかった理由はシンプルだ。
確認する必要がないから。
昨日も、一昨日も、給与は自動で貯金口座へ移されている。月初めに移されて、月末まで何もしていない。だから月末になれば、当然、貯金は増えている。
増えている。それが全部。
「今月はいくら増えた」という数字の細かさなんて、もう関係ない。5年続いているから、来年も続く。来年も続いているから、5年後も続く。それだけで十分。
金曜夜、妻に「そっか」と言った僕は、5年前の自分からやっと解放された気がした。
確認することが偉いわけじゃない。管理することが正しいわけじゃない。結果が出ていれば、その過程は見なくてもいい。
そのことに、やっと、気づいた。
最後に
この記事を読んで「え、でも見たくない?」と思うなら、それは人によって違うってことだと思う。
毎日確認する方が安心できる人もいる。管理することで満足する人もいる。数字の成長を感じることが原動力になる人もいる。
それは悪いことじゃない。ただ、もし「毎日見るのが疲れた」「確認することがストレス」という人がいるなら、見ないという選択肢も、実はあるんだ。
ぶっちゃけ、仕組み化したら、見なくたっていい。
金曜夜、僕がそうやって返事をしたのは、5年前の自分も知らなかったこと。だから今、こうして書いている。
もし同じように「確認することが疲れた」という人がいたら、試してみてください。来月からでいいので。給与日に一度だけ、自動移動を確認して。あとは見ない。
それだけで、何か変わるかもしれません。
