40代を過ぎて、なぜアートなのか、なぜ小説だったのか。ようやく腹落ちしてきました
今日は、40歳になるまで一度も美術館に行ったことがなかったわたしが、なぜアートに傾倒するようになったのか。
そして、人生をかけて取り組み続けるものが、なぜ「小説」だったのか。
過去にも色々考えてまとめてきましたが、今回、仕事仲間の方に言っていただいた内容も含めて、ようやく腹落ちしてきたので、改めて言語化したいと思います。
なぜアートだったのか
結論から言うと、疎かにしていた身体の感覚を研ぎ澄ませたことで、閉じていた感性が開いたということです(「開眼した!」みたいな話ではないのでご安心ください)。
過去にまとめたnoteはこちらで。アートを好きになった経緯をまとめたものですが、「それは〇〇だから」と言い切れなかれておらず、今思うとまだ解像度が粗かったなと思います。
※とは言え、このnoteも間違いなく魂を込めたもので、コメントいただいたことがとてもうれしく、大切なご縁に繋がったnoteでした。
わたしは、これまで効率を重視してきましたし、職業柄もありますが、『マトリックス』や『ソードアートオンライン』のような電脳空間ですべてが完結する世界を、どこかで理想だと思っていました。身体は生命維持さえできればいい——それくらいの感覚だったのかもしれません。
話は変わりますが、適応障害で休職した際に、まず始めたのは自分が好きだったことを思い出すこと、でした。あれほど時間を費やしたゲームも最初はなかなかやる気が起きなかったのですが、はじめに「これ面白そう」と手が伸びたのは、木製の立体パズルでした。
そこから大学時代の友人からもらって、ずっと組み立てていなかったガンプラを引っ張り出して完成させ、時を同じくして、相当なお金と時間をゲームセンターに費やしたガンダムゲームの家庭版を遊ぶようになりました。
そう、それらは手を使う身体感覚の回帰でした。
また、すっかり遠のいてしまいましたが、スポーツがあまり得意ではないインドア派のわたしでも、幼少期に親に連れていってもらったスキーと、小学生から習い事ですべての級をクリアした水泳だけは大好きです。
これも、全身運動、つまり、身体感覚です。
そして、決定的だったのが初めて自発的に行った美術館であるモネ展。
少しばかりの予備知識で目の当たりにした、本物のアートに圧倒されました。
お土産ショップのポストカードでは再現できない。現代の印刷技術でも本物のあの衝撃は再現できないのかと。
わたし史上初めて、「アナログがデジタルに勝利した日」と言ってもいいかもしれません。
ただ、これもスポーツやライブ会場など、「生」の凄さを全く体験してこなかったわけではありません。ですが、インドア派のわたしが知らず知らずのうちにそのドアを固く締めていたようです。
わたしは、日本の景色は3種類に大別できる=どこ見ても大体おんなじと言い張っていました。そんなわたしに、全国の美術館やそして最も大好きな印象派があるフランスへ足を運びたいと心から思えるきっかけになりました。
なぜ、小説だったのか
こちらも、折りを見て振り返ってきたものの、なかなかうまく言語化できていない自覚がありました。
結論としては、「エイヤで終わらないものに取り組みたかった」というのが理由でした。
結論だけだと、ちょっとわかりにくいと思うので、少しかみ砕いて説明させてください。
10年以上営業職で転職を繰り返した末に、「ここで勝負したい」と思えたのが「文章」でした。なかでもインタビューライティングは、企画から深掘り、再構成まで自分の強みが活きる分野です。
ただ、そうしたライティング関連の仕事を食い扶持にはできませんでした。だから今は、需要の高いカスタマーサクセスやPMを軸にしつつ、応援したい企業の広報や採用支援をライフワーク的にやらせてもらっています。
そうして、ふとした時に浮かんだのが、「デザイナーとアーティスト」の違いのような問いでした。仕事として役に立つ文章とは別に、"自分の想いとして残しておきたいもの"は何なのだろう、と。
元々、この灯火アカウントも、そうした「アーティスト」的に自身の考えを発信する場として始めたものです。
その延長線上にあったのは、普段仕事やタスクをこなす考え方では決して届かない領域でした。
例えば、マーケティング的なものは、数字の解像度は上げるべきだとは思いますが、凝り固まって考えを貫くというよりは、実際の結果を受けて仮説の検証を進めて改善するという動きのほうが強いような気がします。
また、PM的なポジションでは、タスクを分解して割り振ったり、調整や交渉に入ったりするのですが、これも最初の大枠を考えるのは大変ですが、ある程度型やガワはあるので、少し腰を据えて行えば大方方向性は見えます。
ですが、小説ではわたしの経験不足もあると思いますが、そうはいきません。いえ、小説に限らず「創作」や「表現」に携わる方たちは基本的に同じではないでしょうか。
それは真っ白いキャンバスに絵を描くなんてものではなく、キャンバスのサイズや素材、絵具の種類、使用する道具、そして、当然テーマ、どう落とし込むか。
仮に公募などであれば、一定決まっているものもありますが、それでも圧倒的な自由度の高さと、多くの部分を自分で決める必要があるものです。
「パパっ」とは終わらない創作に心を惹かれ、そして、わたしは自分のメイン領域である文章でそれに取り組みたいと思った形でした。普段から妄想のように考えていることは、正直アイディアの種のようなものばかりで、実際に物語にしようと思うと、どれだけ頼りないものだったか思い知りました。
それでも、決めることや考えることの多さからかなり負荷がかかりますが、やっぱり、自分がやりたいことはこれだと思える。それが小説でした。
学生の頃から小説を書いていらっしゃる方からすると、「何を当たり前のことを」と思われるかもしれません。
ただ、わたしにとっては、中学の授業で挫折し、自分には無理だと物語の世界を封印することにしました。ひたすらロジカルに解説したり、わかりやすく伝える文章を仕事にしてきた一方で、本当にやりたいことは理路整然としたものでも、 読んでくれた人に意図的な行動を仕向けるでもない。
余韻を残したり、小説だからこそ描ける問題提起やテーマを描きたいのだと強く感じました。
ということで、久しぶりに自身の核となる部分のアップデート記事でした。
また、どこかのタイミングでアップデートをかけることがあるかもしれませんが、そのときどきで自分が思っていることは出し切っているつもりです。
あなたの「本当にやりたいこと」につながるヒントになれば、これほどうれしいことはありません。
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