手放したら、息ができた― 私のワーク〈ライク〉バランス
「このままだと、また適応障害になっちゃいそうだよ。大丈夫?」
妻ががんで入院していた6週間。自分の切り盛りが100点満点だったとは思っていない。それでも、子どもたちと協力して、学校の行事も家事も何とか乗り切っていたと思う。
そして、ついに目指していた報酬を上回る副業案件が走り始めていた。妻が退院後、働けなくなるかもしれないことを見据えた目標金額だ。
副業先で扱うプロダクト、担当させていただくお客様の規模、そして、会社自体の考え方など、そのまま業務委託から正社員としての転職を考えるくらい、理想の職場だった。
だから、なんだかんだうまくやれているはずだったし、最初の報酬が振り込まれ、その次の月の請求書を出すときには本当にワクワクしていた。
本業と合わせて2倍近くの年収が見えてきた。いよいよ、ひと昔幸福度が変わると言われた基準ラインに届くという確かな手ごたえがあった。
実際に、有料ツールを契約したり、PC周りの備品を新調することもできた。しかも、今までのようにコスパ最優先で選ぶものではなく、本当に自分が必要な機能を満たしているものを買えるようになっていた。
しかし、妻が退院して数日。
精神的にかなり疲弊している私に対して、妻がかけてくれた言葉がそれだった。
Slackの通知に怯える
いつからだろう、少しずつ自分でも精神が蝕まれているのを感じた。
最初は、自主的な前のめりな動きだったと思う。
元々考えていなかった出社も「この会社ならば」と行くようになった。業務に必要だからとモバイルモニターもすぐに購入した。
社内ルール強化に伴い、社内外問わず定められた時間内のレスを意識するようになり、気がつけば後回しにするのが怖くて即レス気味になっていた。
焦る意識と拘束されている意識が強くなり、考えられないミスをした。あろうことか、自分が本業で在籍している企業の名前で返信してしまった。社会人人生20年のなかでもさすがに経験がないことだ。
スピードは当然求められるが、要求されるクオリティも高い。プロダクトのことも熟知していないとその水準には届かない。上手くやりたいのにできていない。「自分の能力が足りていない」という気持ちが強くなってきた。
5年前に適応障害で休職・復職を経験してから、習慣化や仕組み化に注力し、ことさら自身の状態に気を配り、内省を大切にしてきたつもりだった。だが、気がつけば、Slackの通知が怖くなっていた。
「また何か指摘が入る。修正で工数が取られる。」
気がつけば、内省のためのノートも万年筆もしばらく手に取っていなかった。
指摘が続くなか、さらに信頼を取り戻そうと、妻が退院した翌週からは週3日の出社を約束していたのだが、いざ出社しようと思ったら吐き気がする。
認めるしかなかった。
「理想」に見えたものを手放す
意を決して、直属の上司に相談した後、業務委託先の会社の動きは早かった。元々、業務委託であって正社員ではない。幸い引継ぎ対象の社数も多くなく、比較的スムーズに担当企業すべての引継ぎが完了し、貸与PCを返すに至った。
本業で扱っているサービスに「クオリティが低い」と散々ダメ出しをしてきた。もっと自社サービスのクオリティにこだわり、顧客にも高いリテラシーが求められる商材で勝負したい。そう思っていたのに、足りなかったのは自分の実力という現実は覆しようがない。
さらに、前のめりで食らいつく姿勢を見せ続け、それに一定評価いただいていたからこそ、短い期間ではあったものの、「責任感がない」と思われるのも嫌だ。
ただ、それでも、自分自身が崩れてしまっては元も子もない。一度"そこ"まで行ってしまうと、再度働けるようになるまで時間がかかるのはわかっている。そして、今は業務委託の立場だ。
誠意を持って伝える決断ができたのは、私が休職していた5年前、子どもたちがまだ幼いなかで、たった一人で家庭を支えてくれた、妻の一言があったからだった。
生まれたのは「余白」ではなく、必要な時間だった
引継ぎが落ち着いてきたころ、明らかに心持ちが変わってきた。まず、スマホのGoogleアカウントから、業務委託アカウントを外す。顧客から直接連絡が来ることはほとんどないし、万が一あったとしても後任の方がいるため、こちらが即レスに目を光らせる必要はない。
もちろん、引継ぎに際して必要なことはしっかり行う。それでも、気持ちが大きく変わっているのを自分でも気づくことができた。感謝を綴るノートを開く。万年筆やシール、スタンプやマスキングテープで彩る。コツコツと続けている『あつまれどうぶつの森』をプレイする。
空白が多くなっていた、毎日の習慣として自分で決めた項目を一つ一つこなしていく。1項目はそれほど時間がかかるものではない。それでも、まるでカラカラの土に水をあげるように、身体中に沁み込んでいくのがわかった。
この時間が、そして、「しっかりと自分が決めたことをこなしている」という感覚が、自分にとっていかに大切だったのか、再認識することができた。
それでも、手を伸ばしてよかったこと
理想を追い求めて、何とか形になった今回の業務委託案件。結果的に数ヶ月で終了という形になったが、それでも手を伸ばしてよかったと思う。
一つは、「理想」の輪郭に触れることができたことだ。自分が理想としている環境とは何か。今回の件で、自分に足りないものや、今後どのような企業がよりフィットしていそうかという、「理想」の解像度を上げることに繋がった。
そして、もう一つは妻のがんとの向き合い方だ。健康診断には引っかからず、発見が遅れた。急に目の前に実体を現した「がん」について、調べ始めた。手術も色々な可能性があったが、大きな副作用はなく戻ってきてくれた。それでも、通常の型でないことがわかり…。
全容が見えず、毎回出てくる情報に一喜一憂した。二人で、子どもたちが大きくなるまでのことを何度も話し合った。子どもたちに手伝ってもらいながら家事をこなし、新年度は学校関連の動きも多い。そんなタイミングで新しい業務委託案件がスタートするのもどうかとは思っていたが、結果的に助けられていた。
義母の逝去などもあり、本当にてんやわんやの6週間だったが、てんやわんやだったからこそ、あっという間に過ぎたのだろう。毎週行っていた30分の面会は、毎回一瞬のように過ぎていった。
そもそも今回の副業は、妻のがんがわかったからこそ、今後妻がアルバイトに出なくてもそれ以上の金額を稼ぐために始めたという動きでもあった。理想の職場の輪郭や、求める報酬を得た際の生活など、たくさんのことを教えてくれた。
〈ライク〉は自分で掴みにいく

適応障害以後、「ワークライフバランス」という言葉は意識していたが、今回テーマになっている「WORK」と「LIKE」のバランスというのは目からウロコだった。
確かに、仕事も生活も、その時間のなかでやっていることは、スパッと『ワーク』か『ライク』かに分けることはできない。そこには、グラデーションがあった。
例えば、同じ夕飯づくりを例にとっても、親子丼やカレーなど、自分が得意な料理は工程も頭に入っているため、「やりたい」寄りだ。
一方で、料理をするための前準備である食器洗いはかなり「やるべき」寄りだし、得意なレパートリーが続いている中で、他の料理にしなければと思っている料理は、材料の買い出しから大いに「やるべき」に位置している。
ただ、個人的には診断結果にある「やりたいことで、輝く。やりたいことを中心に据えながら、やるべきことも自分の力で前向きに担えている」というのがかなりしっくりきたし、凄く嬉しい言葉だった。
理想を諦めない
現在、私は43歳。
転職市場ではマネジメントなどのハイレイヤーの経験がないと一般的には厳しい状況だ。だが、よく考えると、ファーストキャリアから十年の営業職時代も、転職の度に「無理だ」と言われ続けてきた。
その後、個人事業主として独立するときも、そこから再度正社員になるときも、温かい言葉以上に否定的な言葉を投げかけられることもあった。
ただ、それでもカスタマーサクセスとしての経験や、ベンチャー企業での立ち回り方、そして、営業職も含めたキャリアが役立つ企業はあると信じている。
旧態依然のものに囚われずに、未来を見据えて最適な行動を取ることを信条としてきたはずだ。そうは言っても、仕事にのめり込んで視野が狭くなるときもあるので、少しでも長い時間妻と一緒に歩んでいきたい。
私は、最も理想に近いと思っていた仕事を手放して、ようやく息ができた。
もしあなたが今、どこかで息苦しさを感じているなら——その「やるべき」の中に、手放していいものはないだろうか。
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