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未来は、もう少しだけ選択肢が増えてほしい #未来の当たり前にしたいこと

幼い頃から、「おとな」の期待に応えるのは、それほど難しくなかったほうだと思う。

ついさっき、授業で話していたことを答えるのだから、答えられて当然。
手を挙げて、「おとな」が好きそうな"よいこ発言"をする。
背が高めだから、跳び箱は飛びやすいし、走るのもそこそこ速い。

「そうでない人」がいると気づいたのは、小学校中学年くらいだったと思う。

見下したことは、多分ない。いや、むしろ、「そういう人こそちゃんと話そう」と思っていた時点で、それは既に見下しているのだろう。
子犬や子猫に、プライドを張ったりしないのと同じように。

そんな世の中を舐め腐ったまま、今度は自分が大人になる。
実力主義の営業会社に入ったものの、思ったように営業成績が上がらない。

父が稼ぐ高めの収入に甘えていた私は、欲しいものを我慢する方法も、お金のやりくりも学ばないまま、大人になってしまった。

新卒入社から1年足らずで、会社を辞めていたし、気が付けば多重債務者になっていた。「自分は特別である / できる側である」という奢りはあっという間に打ち砕かれた。

いや、打ち砕かれた筈だったのだが、ずっと縋っていたというのが実態だろう。転職を繰り返し、自分が特別であれる場所を探していた。


そんな私も結婚し、子どもができた。
そこで、改めて思い出したことがある。

誰もが勉強や学ぶことが好きな訳でもないし、ましてや、得意とも限らない。私の基準が高すぎると、妻と何度もぶつかった。息子も娘たちもよく泣いていた。

ある日、家族全員で絵を描く機会があった。私は絵を描くのが苦手だ。
また別な日、大掛かりなアスレチックに行った。長女が身体を動かすことが好きだと知った。私はぜん息にかかってからというもの、歴が長い運動以外、全体的にあまり得意ではない。

日常を過ごしていると、色々なことに気づく。いや、今までは気にも留めなかっただけだろう。なぜならば、受験に影響が少ない教科は重要ではないと思っていたからだ。

学校教育は確かに、変わってきた部分もたくさんある。
長女の学級通信の内容は毎月非常に興味深く、長女も授業が楽しいと言っている。

それでも、子どもたちの絵や体育の時間で褒められたとか、という話は聞かない。
また、小学校高学年に上がるまでの授業の理解度が低いことは、「ガチャ」なのだろうか。

さらに、結局そのまま進んでも、個性を活かして働く方法を教えてくれる人は少ない。
もちろん、今は調べれば多くの情報にアクセスできる。一定、自己責任の文脈も確かにあるだろう。

ただ、それをやったことがある人も少ない。
だからこそ、私は自分自身がライティングをベースに個人事業主として独立したり、今もハイブリット(リモートと出社の併用)型の勤務体系を見せているつもりだ。

どうか、勉強や今までの「世間一般」の水準に達していない人の選択肢が増えることが、未来の当たり前になってほしい。
当然、それは「やりたいことだけをやればいい」世界じゃない。

自分が得意なことを持ち寄って、真剣に成果に対して知恵を絞る。
一方で、業態にもよるとは思うが、出社がどうとか会議がどうとか、今の体制や状況では生産性が低くなっているのにも関わらず、変わり切れないことが生み出す弊害が少しでも少なくなっていればいいと思う。

狭いコミュニティで、お互いをけん制し合うようなことではなく、自分がやりたいことを実現するための自己実現の可能性が溢れる未来のために、私も自分ができることを少しずつ進めていこう。

まずは、子どもたちにいろんな仕事があることや、働き方があることを伝えていく。

#未来の当たり前にしたいこと

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