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モラハラ・ワンオペに絶望していた私が「自分」を取り戻すまで

「今、あなたに伝えたいこと」

この記事を開いてくださり、
ありがとうございます。

これは、かつて仕事・家事・育児、
そして夫からのモラハラ
という四面楚歌の中で、
絶望し、
消えてしまいたい
と願っていた私が、

今の
「自由でゆとりのある生活」
を手に入れるまでの、
長い長い闘いの記録です。

もし今、
あなたが同じような環境で
苦しんでいるなら、
この記事を読み終わる頃には、
少しだけ
心の荷物が軽くなって
いるかもしれません。

私があの時、
職場の同僚や友達の助言に救われたように、
今度は私が誰かの助けになれたら。
そんな思いを込めて、
私の真実を綴ります。

第一章:理想のママという呪縛と、モラハラ夫の正体


当時の私は、とにかく必死でした。

「子供たちが将来、
良い方向に進めるように。
そのためには私が、
完璧で良いママでいなきゃいけない」

そう自分に言い聞かせ、
仕事と家事と育児の三足のわらじを、
一歩も立ち止まることなく
回し続けていました。

でも、家の中は戦場でした。
夫は看護師という職業柄、
現場での肉体的・精神的なストレス
が凄まじかったのだと思います。

彼は常に
「仕事が嫌だ、辞めたい」
とこぼしていましたが、

看護師以外の仕事では
今の給料を維持できない
ことも理解していました。

その行き場のないストレスの矛先が、
すべて私と家庭に向かったのです。

家ではただ「休みたい」。
その身勝手な欲望が、
モラハラやパワハラという形になって
私を襲いました。

暴飲暴食を繰り返し、
趣味のDJ機材や大会への参加費用、
散財には
一切の躊躇がありませんでした。

夫は決して、
家族が嫌いなわけではなかったのです。
むしろ、
極度の寂しがり屋で
「かまってちゃん」
でした。

だからこそ、
子だくさんな家庭を望み、
子供たちが喜ぶ顔が見たくて
おもちゃやお菓子を無秩序に買い与え、
甘やかしました。

でも、
彼は「育児」はしません。
彼がするのは
「可愛い子供を甘やかし眺める」
だけ。

面倒なしつけや、
日々のルーチン、
散らかった家の片付け
はすべて私の仕事でした。

さらに、
夫の「かまってちゃん」ぶりは
私の精神を削りました。

通勤中も仕事帰りも、
ひたすら電話をかけてきて
自分の話をし続けるのです。

私が疲れ果て、
上の空で返事をしようものなら
「話聞いてるか?」
と確認され、
適切な相槌を求められる。

仕事が彼を
「モラハラ夫」
に変えているのだ、
仕事を辞めれば優しい夫に戻るのだ……。

そう頭では分かっていても、
現実は残酷でした。
彼が仕事を辞めれば
生活は破綻します。

私も同じように働き、
家事も育児もしているのに、
なぜ彼だけが家庭でストレスを発散し、
私はそのゴミ箱に
ならなければならないのか。

不満はマグマのように
溜まっていきました。

第二章:理解できなかった同僚のアドバイス

限界が近づいていた頃、
職場の年上の同僚に
夫の不満をぶちまけました。

返ってきた言葉は、
当時の私には
到底受け入れられないものでした。

「看護師の夫は有料物件だから、
別れないほうがいいよ」

耳を疑いました。

有料物件?
どこが?

私たちの生活費は、
最低限でも
月14万円かかっていました。

私が仕事に復帰すると、

夫は
「共働きなんだから
生活費は割り勘にするべきだ」
と言い出し、

家庭に入れるお金を
月7万円に減らしたのです。

手取り25万円前後ある夫の残りの給料は、
すべて彼の趣味に消えました。

DJの大会に出るための県外への旅費、
DJ教室代、
作曲依頼料。

貯金はゼロ。

割り勘にする条件として
家事・育児も折半にしましたが、

彼は
「これは女のやることなのに」
とブツブツ文句を言いながら、
渋々やるだけ。

これのどこが「有料物件」
だというのか。

さらに同僚はこう続けました。

「今は辛いけど、
離婚しなくてよかった
と思える時がくるよ」

「子供たちを一日くらい
お風呂に入れなくても、
洗濯をしなくても
死なないから、
休んだほうがいいよ」

そんなこと、
できるわけがないと思いました。

洗濯をしなかったら、
明日保育園に持たせる服がない。
タオルが足りない。

夫は予備を買うための貯金すら
持っていないから、
私が買い足せば
私の貯金が減るだけ。

一日休めば、
翌日に二日分の洗濯をするのは私。

結局、
自分が苦しくなるだけ。

それに、
保育園の連絡帳には
「持ち物が足りません」
と丁寧な指摘が書かれるのです。

夫には何も言わない先生たちが、
迎えに行った私には注意をしてくる。

「いい母親だと思われたい」
という見栄もあって、
私は
「わかりました、気をつけます」
と笑顔で答え、
自分で自分の首を絞めていきました。

世の中の誰もが
「女が子育てをして当然」
と思っているのではないか。

私はダメな母親なのか。

暗闇の中で、
逃げ場を失っていました。

第三章:限界と、逃亡。空を見上げた日


子供が二人になると、
ついに
理想の家庭を
維持する限界が来ました。

夫の希望で
「防犯上いいから」
と決めた2階の角部屋。

エレベーターのないアパートで、
一人は抱っこ紐、
一人は走り出す手を必死に繋ぎ、
もう片方の手には重い買い出しの袋。

「防犯も大切だけど、
なんでこんな思いをしてる
私を助けてくれないの?」

夫への怒りは
殺意に近いものに
変わっていきました。

家事の導線を見直し、
夫が動いてくれるという心理学の本を読み、
実践しました。

でも、
夫は余計に調子に乗るだけ。

改善の兆しは見えません。
私は決意しました。

「離婚するために、自立しよう」と。

以前働いていた病院に連絡し、
土曜日半日・日祝休みの
内視鏡室で働かせて
もらうことになりました。

人見知りで口下手な私にとって、
未知の世界である内視鏡室は
恐怖でしたが、
自由を手に入れるためなら
何でもできました。

一週間で業務をマスターする
と自分に課し、
メモ魔のようにメモを取り、
イメトレを繰り返しました。

二週間後には
指導役がいなくなり、
私が現場を切り盛りする
ようになりました。

周囲の看護師たちからも
「あなたがいてくれて助かる」
と認められるようになり、
仕事だけが私の心の拠り所になりました。

しかし、現実は追いかけてきます。

保育園からの「発熱」の呼び出し。

職場に頭を下げて早退し、
子供を迎えに行き、
小児科へ行き、
帰宅して夫が帰る前に家事を済ませる。

帰宅した夫は、
食卓を見て
「また同じメニュー?」
と吐き捨てました。

夫が入れる生活費は7万円のまま。
手取りの残りはDJの夢に消えていく。
私は自分の手取り13万円から、
生活費を払い、
残りはすべて子供の将来のために
貯金していました。

「だったら家事・育児も
完全に半分にしましょう」

私はエクセルで
家事・育児の時間を分単位で可視化し、
タイマーで計測して、
夫に突きつけました。

玄関にはスーツケースを置き、
「ルールを破ったら今すぐ出ていく」
と示しました。

世間体を気にする夫は、
しぶしぶ従いました。

しかし、
その顔には不満が張り付いていました。

「女がやることなのになんで俺が……」

夫が家事を楽にするために
食洗機やホットクックを
買ってくれたものの、
その言葉を聞くたびに
殺意が湧きました。

私は
夫と同じ空間にいるのが耐えられず、
夜な夜な車の中に
避難するようになりました。

そんなある日、
プツンと糸が切れました。

「何のために生きているのか」

「私は家族の奴隷なのか」

「私が頑張らないと
生きていけない家族なんて、
もういらない」

私は、子供たちすら見捨てて、
実家に逃げ帰りました。

実家は、
4年放置されたボロボロの空き家でした。

埃まみれ、
湿気で壁はひび割れ、
照明は今にも落ちそう。

でも、
私はそこにレジャーシートを敷いて、
ただ横になりました。

カーテンのない窓から、
広い空が見えました。

涙が溢れて止まりませんでした。

「ああ、自由だ」

あんなに狭い世界で、
責任感という名の鎖に
縛られていた自分。

広大な空の下で、
自分の悩みなんて
ちっぽけに思えたのです。

数日間、
誰のためでもない
「自分のための掃除」
をしました。

自分が心地よく過ごすための空間。
生きるって、こういうことだったんだ。

その頃、
アパートでの生活を維持できなくなった
夫は
実家に身を寄せたようでした。

彼から届いた
「今は休んだらいいよ。
元気になったら、
また一緒に住もう」
というメッセージ。

それを見た瞬間、
拒否反応が強く出ました。

「元気になったら、
また私が犠牲になれっていうこと?」

私はアパートを完全に退去し、
別居生活をスタートさせました。

第四章:霊視が変えた「私の人生の残り時間」

別居を始めると、
夫は子供たちを連れて
私の実家に来るようになりました。

以前のような生活に戻ろうとする彼を、
私は容赦なく追い返しました。

「私の家のルールを守れないなら、来るな」

夫は実母に
子供を押し付けようとして揉め、
結局どこにも居場所がなくなり、
次第に私のルール、
私の機嫌に合わせるように
なってきました。

別居されたことで、
彼は初めて「離婚」の二文字を
現実のものとして恐怖し、
家庭に目を向けるようになったのです。

でも、
金銭的な不安は消えませんでした。

私は
漫画の転売、
中国輸入、
YouTube……
あらゆる副業に手を出しましたが、
離島という立地の送料の壁や、
時間の不足でどれもうまくいきませんでした。

そんな時、
友達に勧められて半信半疑で行った「霊視」。

そこで言われた言葉が、
私の人生を根底から覆しました。

「あなたの寿命は60歳です。
45歳で癌が見つかります」

衝撃でした。

定年まで必死に節約して貯金して、
その後でやりたいことをやろう
と思っていたのに。

私の人生、
あと何年あるの?

一方で、
不摂生な生活をしている
夫の寿命は72歳だというのです。

「なんで!?
真面目に生きてきた私が先なの!?」

怒りと悲しみの後、
猛烈な
「生への欲求」
が湧いてきました。

「老後のために
今を犠牲にするなんて、
もうやめた。
今、この瞬間を
最高に楽しく
生きなきゃ損だ!」

霊能者は
私の性格を言い当てました。

「あなたは
真面目で責任感が強すぎる。
旦那さんは、
あなたを下に見ていて、
コミュニケーション力
が欠如している。
離婚して親権をあなたが持ち、
正しい方向に導けば、
子供たちは幸せになれる」

私は決意しました。

「人見知りで口下手だから」
と諦めていたけれど、
もっと給料の高い仕事に転職しよう。

今の私なら何だってできる。

45歳で癌になるなら、
それまでに一生分の思い出を
作ってやる。

第五章:転職と、対等な夫婦への脱皮


私が選んだのは、
重度訪問介護の仕事でした。

知らない人の家に一人で入り、
24時間態勢でケアをする。

人見知りの私にとっては
最大の試練です。

でも、
コロナ禍でも仕事が安定し、
給料も高い。

夫と交互に休みを取れば、
子供たちの面倒も見られる。

私は
「印象がよく見える身なり」
を徹底的に研究し、
コミュニケーションの「相槌集」
をノートにまとめ、
戦場へ向かう兵士のような気持ち
で面接に挑みました。

結果は、採用。

ダブルワークを経て、
現在は重度訪問介護一本で働いています。

この転職が、
夫婦関係に決定的な変化
をもたらしました。

私の給料が上がったことで、
夫に対して完全に
「対等」な立場で
物言えるようになったのです。

「私はこれだけ稼いでいる。
夫と同等、
だから、
家事も育児も平等に協力してもらう。
それが嫌なら私の家から出てって」

私が自信を持って
生き生きと働く姿を見て、
あんなに変化を嫌った夫も、
ついにキャリアアップのために
転職を決意しました。

そして、
あのお金にルーズだった夫が、
私の提案した
「米国インデックスファンドへの投資」
に興味を持ったのです。

「私にお金を預けてくれたら、
10年後には
二人とも仕事を辞めて
早期リタイアできるよ」

そう伝えると、
彼は意外にも
素直に給料を
預けてくれるようになりました。

今では
毎月25万円の積み立て投資
を継続しています。

かつて
暴飲暴食や趣味DJに数十万円使い、
貯金するのを
あんなに渋っていた夫が
嘘のようです。

今、
貯金をするようになった夫を見て、
心から思います。

「離婚しなくてよかった」

あの時、
感情に任せて離婚していたら、
今の金銭的・時間的なゆとりは
なかったでしょう。

同僚が言っていた
「有料物件」
という意味。

それは、
彼の
「看護師という資格の安定性」
と、

私が
「彼を正しくコントロールする力」
を掛け合わせた時に
初めて発揮される価値
だったのです。

第六章:貞子から忍者、そして「楽しむママ」へ


振り返れば、
私の人生は
「演じること」の連続でした。

元々は引きこもりで、
人とのコミュニケーションが
怖くてたまらなかった私。

病院で働き始めた当初は

「貞子」や「ロボット」

と呼ばれ、

「死んだような顔をしてるから
明日には辞めるだろう」

と陰口を叩かれていました。

でも、
部活で培った
「目上の人を敬う」
「給料分は働く」
という根性だけで、
仕事を淡々と覚えました。

声は小さくても、
気配を消して
先回りして
仕事を片付ける私の姿を見て、
いつしか先輩たちは私を
「忍者」
と呼んで頼りに
してくれるようになりました。

内視鏡室で磨いた「相槌の技術」。

「はい」
「へぇー」
「そうなんですね」
「あぁ〜」

相手に合わせてトーンを変え、
ノートに書き留めたフレーズを使い分ける。

それは偽りの自分かもしれませんが、
その技術があったからこそ、

今の重度訪問介護の現場で、
利用者様と信頼関係を築けています。

今は、
かつて私が恋焦がれていた
「やりがい」を、
仕事以外でも
見つけることができています。

きっかけは、
家族で行ったディズニーシーの帰り道。

バスで
中国の方に席を譲ってもらった娘が、

「ありがとうって中国語でなんて言うの?
もっと感謝を伝えたい」

と目を輝かせたことでした。

私は学生時代に挫折した
中国語の学習を再開しました。

今は子供たちと一緒に、
中国語や英語を勉強し、
多言語交流会に参加しています。

「子供たちのために、
良いママでいなきゃ」

そう思っていた頃の私は、
いつも眉間にしわを寄せていました。

でも今は違います。

「ママ、中国語でこれなんて言うの?」
「今度は海外のディズニーに行こうよ!」

楽しそうに
私の後を追ってくる子供たちの笑顔。

私が自分の人生を
楽しみ、
学び、
挑戦している姿
を見せることが、
何よりの教育だと気づいたのです。

第七章:今、あなたに伝えたいメッセージ


長くなりましたが、
これが私の今日までの歩みです。

今、もしあなたが、
仕事・家事・育児・モラハラ
に押し潰されそうに
なっているなら、
この言葉を贈らせてください。

  1. 「良いママ」を辞めても、世界は終わりません。
    洗濯物が山になっても、お風呂を一晩抜いても、子供は死にません。それよりも、あなたが笑顔でいられること、あなたが倒れないことの方が100倍大切です。保育園の先生の視線なんて、あなたの人生の責任を取ってくれない人の評価に過ぎません。

  2. 相手を変えようとするより、自分の環境と「武器」を変えてください。
    夫の性格を変えるのは至難の業です。でも、自分の収入を上げること、自分の居場所を作ることは、あなたの努力次第で可能です。経済的な自立は、最大の心の防波堤になります。

  3. 「いつか」ではなく「今」を生ききってください。
    人生の残り時間は、あなたが思っているより短いかもしれません。老後のための節約も大切ですが、今この瞬間に子供と笑い合うこと、自分がやりたかったことに一歩踏み出すことを、後回しにしないでください。

私は
45歳で癌になる
かもしれません。

60歳で
人生を閉じるかもしれません。

でも、
今の私には後悔はありません。

あの時、
私を支えてくれた同僚の
「洗濯しなくても死なない」
という言葉。

「今は辛いけど、
離婚しなくてよかった
と思える時がくる」
という予言。

そのすべてが、
今の私を作ってくれました。

あの時、
どん底にいた
私を救ってくれたみんな、
本当にありがとう。

そして、
今この文章を読んでいるあなた。

あなたも、絶対に大丈夫。

まずは今日、
何か一つ
「自分のためだけのこと」
をしてみてください。

温かいコーヒーをゆっくり飲む。
空を眺める。
それだけでいいんです。

あなたの人生のハンドル
を握っているのは、
他の誰でもない、
あなた自身です。

子供たちの未来を照らすのは、
完璧なお母さんの姿ではなく、

人生を楽しんでいる
「あなたという一人の女性」
の背中です。

いつか、
あなたが
「あの時、踏ん張ってよかった」
と笑顔で言える日が来ることを、
心から願っています。


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