#いまあなたに伝えたいこと(25) 神戸で出会った中国人の親友 ― 華僑の家族と、働くことを初めて考えた日々
大学時代、私には中国籍の大親友がいた。
彼女は身長はそれほど高くなかったが、とても美しい人だった。
頭も良く、何でもよくできる人だった。
彼女の家は神戸で大きな中華料理店を営んでいた。
しかし、ある時期に詐欺のような出来事に巻き込まれ、家族は大きな困難を経験していた。
父親と兄はアメリカへ働きに行き、家族はとても苦労したと聞いた。
それでも家は売らずにすんでいたし、姉も働き、母も家族を支えていた。
彼女の母親は日本人だった。
華僑の家庭には、外からは見えにくい複雑な背景がある。
彼女と話していると、私は初めて「働くこと」や「労働問題」というものを考えるようになった。
私は公務員家庭に育ち、父は教員だった。
周りにも教員が多く、給料は高くなくても安定している、そういう世界しか知らなかった。
けれど彼女の話を聞いていると、世の中にはまったく違う働き方や苦労があるのだと気づかされた。
彼女は中学まで、中国系の学校に通っていた。
日本の学校ではないので、よくこう言っていた。
「私は日本の中学を出ていないのよ」
高校から日本の学校へ進み、大学は神戸大学に入った。
中国語ができたので、英語もとてもよくできた。
勉強をすれば、どんどん身についていくタイプの人だった。
当時は、外国籍では公立学校の教員になることが難しい時代でもあった。
そのため、教員になる道は最初から考えていなかったのかもしれない。
彼女が選んだのは航空会社だった。
当時の 日本航空、いわゆる「スチュワーデス」である。
今でいうフライトアテンダントだ。
当時はとても倍率が高い人気の職業だった。
彼女はそれに合格した。
早朝勤務や深夜勤務のときには、タクシーで送り迎えしてもらっていた。
そんな姿を見て、私はすごいなと思っていた。
神戸という町だったからこそ、彼女のような友人と出会えたのかもしれない。
神戸には外国人も多く、さまざまな文化が混ざり合っていた。
そういえば、神戸大学には韓国籍の先輩もいた。
一つ年上だったと思う。
その先輩は大阪で小学校の先生になった。
韓国籍の人が多く住む地域の学校だった。
当時、大阪では外国籍の人でも教員になれる制度が一部あったのかもしれない。
正直、当時の政治のことはよく覚えていない。
けれど、そうした出来事を思い出すと、
国籍と仕事という問題は、昔から日本の社会の中にあったのだと思う。
昨日、コンビニで外国の言葉を聞いたとき、
そんな昔のことを、ふと急に思い出した。
若い頃に出会った人たちのことは、
年月がたっても、思いがけない瞬間に心の中によみがえるものだと思う。
神戸で出会った友人の家族のことも、
華僑という社会のことも、私は結局すべてを知ることはなかった。
けれど、あの頃に出会った人たちのおかげで、
私は世界の広さを少しだけ知ったのだと思う。
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