文学は、何の役に立つのだろう ― 松山で子規と漱石に出会い直して2026年8月9日(日)
今日は、正岡子規についていろいろ調べた。
これまで私が知っていた子規の作品といえば、「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」くらいであった。正直に言えば、この句のどこがそんなに良いのか、よく分からなかった。ただ柿を食べていたら鐘が鳴った、と言っているだけのように感じていたのである。
しかし今日、子規の「写生」という考え方について知り、少し見方が変わった。
子規は病気によって身体を自由に動かすことができなくなり、病床から目の前にあるものをよく観察し、それをそのまま言葉にしていった。美しいものだけを美しく描くのではなく、そこにあるものをよく見て書く。その姿勢が、俳句だけでなく短歌や文章にもつながっていったのである。
そう考えると、「柿くへば」という句も、単なる出来事の報告ではなくなる。柿を食べたときの味覚、秋の空気、法隆寺の鐘の音、その瞬間に子規が感じたものが、一つの短い句の中に置かれているのかもしれない。
私は大学では神戸大学教育学部英文学科で学び、その後大学院へ進み、アメリカにも一年間留学した。
大学院時代には、英文学やアメリカ文学を専門とする先生方の授業を受けた。特にアメリカ文学の先生の授業は、私にとって大きな試練であった。受講する人が少なく、先生と男性の学生と私の三人で文学作品を読んだことを覚えている。
難しい英語を辞書を引きながら必死に読み続けた。男性同士の愛や、最後には殺し合い、相手を食べてしまうような、当時の私には理解しがたい作品も読んだ。
「私はいったい、何のためにこんな文学を読んでいるのだろう。単位を取らなければならないから読んでいるだけではないか。」
そんなことを思いながら、それでも最後まで先生についていった。
あるとき先生が、私たちを食事に連れて行ってくださったのか、自宅に招いてくださったのか、そこはもう記憶が曖昧である。ただ、そのとき先生が、
「僕のやっていることは、世の中の役には立たないからね」
という意味のことをおっしゃった。
私はその言葉を聞いて、「ああ、先生も分かってやっているんだ」と妙に納得した。
そして私は、いつの間にか「文学は世の中の役に立たないものだ」という気持ちを持つようになった。
ところが今、松山に来て、正岡子規と夏目漱石の名前をいろいろな場所で目にするようになった。
子規と漱石は、学生時代から交流があり、後に松山で愚陀佛庵に一緒に暮らした。私は以前、ボランティアガイドの方に案内していただいて、その場所まで行ったが、休館日で中を見ることができなかった。
今度は見てみたいと思っている。
なぜ、子規と漱石は文学を学び、文学を書いたのだろう。
文学は、食べ物を作るわけでもない。病気を治すわけでもない。戦争を止めるわけでもない。生活を直接便利にするものでもない。
それなのに、なぜ人は何百年も前の人が書いたものを読み続けるのだろう。
夏目漱石の『吾輩は猫である』も、昔読んだことはあるが、今となっては細かい内容をほとんど覚えていない。それでも、なぜ漱石の作品がこれほど長く読み継がれているのか、今になって少し気になってきた。
そして、これまでよく知らなかった正岡子規についても、松山に来たことで初めて興味を持ち始めた。
子規は病気に苦しみながら、それでも目の前にあるものを見つめ、言葉にした。
それを考えると、文学とは「世の中の役に立つか、立たないか」だけでは測れないものなのかもしれない。
すぐに役に立たなくても、人の感じ方を変えることがある。
昔は何とも思わなかった一句が、何十年も経ってから、自分の人生や経験と重なって違って見えることもある。
今日、私は「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という一句を、以前とは少し違う目で見た。
それだけでも、文学は何かを私の中に残していたのかもしれない。
松山に来なければ、私は子規について、ここまで考えることはなかったと思う。
今日は子規記念博物館へ行ってみたかったが、午後には麻雀に少し顔を出すことになっている。左腕もまだ痛いので、今日は無理をしないことにした。
子規記念博物館は道後公園の中にある。
また元気な日に、ゆっくり行ってみよう。
そして、子規と漱石が文学を通して何を見つめていたのか、自分なりにもう少し考えてみたい。
文学は、本当に「世の中の役に立たない」ものなのだろうか。
今の私は、少し違う答えを探し始めている。
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