500字以上日記(22)

我々の周りは、常に、多彩な情報で溢れかえっており、それらが出す人工的な音の洪水の中に身を置いている。

日々、受動的、能動的、意思のあるなしに関わらず、それらが五感に作用せざるを得ない環境にいると思うけど、もしも、それらが全くない、ただ自然のみという環境に置かれたら、人間は一体どうなるであろうか?

自然が奏でる音以外は、無と静だけが支配する世界。地球そのものを体感できる世界。

ドラッグのような、情報や音の洪水があるのが当たり前の世界に慣れ切っているので、徐々に狂気が身近になっていくであろうか?

果たして無と静の世界で生きていけるであろうか?

そこに生きる理由や楽しみ、喜びを見出すことができるであろうか?

それこそ、自然の存在としての人間の素の力が試されるのかもしれない。無と静の世界で、本来の、どのように生きる意味を見出すかだ。何かを表現したり、楽しみを見つけたり、喜びを感じたりできるのかということだ。

資本をベースに消費することだけが人間の存在価値となっている現代では、素直に無と静の世界に身を置くのは難しいのかもしれない。

長時間、自然の中で座禅でも組めばわかるだろうか?

そう考えると、人間という存在は、ただただ消費するだけの存在なのだろうか?

別にマルクス主義を信仰してるのぢゃないよ。

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TOMOKI 脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。