【LIFE】気にしてしまうわたしが仕事を休むとき
※同記事を誤って消去してしまいましたので再現してアップしています😭
この前、長女がマイコプラズマにかかったと思ったら、
今度は次女がインフルエンザに😭 おまけに自分自身も、なぞの頭痛😓
今週は職場をちょこちょこお休みすることになってしまいました。
以前、「お休みをとる」がすごく苦手だった私、「ちょっと上手になったのかも」と気づき、書いてみました。特に、子どもや自分のことでお休みしがちで気が引けている方に読んでいただけたら嬉しいです。
お休みを取るのって、気を使いませんか?
子育て中だと、この時期はどうしても感染症をもらってくることがあります。
子どもだけでなく、自分も体調を崩してしまい、休みが長引くこともある。すると、申し訳なさや不安が先に立って、なんともいえない後ろめたい気持ちになることがあります。
以前の私は、休むのがへたっぴでした。
休む連絡を入れるとき、気持ちが重くなり、ギリギリまで迷って、結果的にドタキャンのような連絡になってしまう。
かえって迷惑をかけ、自己嫌悪に陥る。引け目を感じ、気まずさを溜め込んで、だんだん萎縮していく―そんな流れを、何度も繰り返していました。
働き続けるうちに、少しずつわかってきたことがあります。体調が悪くて休むこと自体は、そこまで引け目を感じすぎなくてよかったんだ、ということです。
年数を重ねている人ほど、「お互い様」という感覚を持っているように感じます。一人分の穴なら、短期間であれば調整がつくことも多い。
以前の私は、引け目を感じすぎるあまり、上司の顔を直視できなくなり、かえって関係をぎくしゃくさせてしまうことがありました。それは、相手が望んでいることでもなかったんですよね。
様子をこまめに伝えること
大切なのは、過剰に「申し訳ない」と思うことよりも、影響を最小限にする行動をとること。復帰したら気持ちよく挨拶をして、淡々と働く。それで十分なのだと、今は思います。
周囲が本当に知りたいのは、「明日は来られそうか」という見通し。
ただ、直接聞くのは気を遣うものです。
だからこそ、「体調を見ています」「今のところ感染症の症状は出ていません」―その程度でも、こちらから伝えるだけで、周囲の不安は和らぐ。
その大切さは、職場に残っている立場だと実感します。
逆に、通院したはずなのに報告が来ない、病院に行くのを拒む、などの人を見ていると、管理者としてやきもきする、そんな感覚がよくわかるようになってきました。
以前の私は、「私のことなんて誰も関心ない」と思い込み、報告も最低限でいいと考えていました。でも実際には、誰が出勤するかしないかは、事務的に大切な情報なんですよね。自分の存在を過小評価していたのだと思います。
自分の不調サインに気づくスキル
以前は、具合が悪いのに言い出せず、限界になってからバタッと休み、かえって長引くこともありました。そもそも、不調に気づくことができなかった。自分より周りの人が気づいて「なんか顔赤いよ」なんて言われたり。
今は、不調のサインに早めに気づくことを意識しています。
最近は、「今、喉がピンポイントでイガイガし始めた!」とか、「ちょっと熱っぽい?」とか、「なんかあくびがやたら出てるな」など、小さなサインに気づけるようになりました。
「自分の不調になるべく気づかないようにしている」、そんな人もいるかもしれません。長い目で見ると、自分を丁寧に、よく診てあげることのほうが、自分に幸せをもたらす、そう感じます。
「休むかも」アピールをさりげなく
そして、ちょっとした不調サインに気づいたら、さりげなく周囲に伝える。
一番言いやすい人に、
「なんかさっきからちょっと頭が痛いんですよねー」とか。
子どものことでも、
「子どもの学校で感染症が流行っていて。怖いなー」とか。
ちょっとしたアピールをしておくと、いざというときに言い出しやすくなります。これができるようになって格段に楽になりました。
これができるためには、普段からちょっとずつ、自分や家族のことを雑談で話しておくとやりやすいですね。
私のように気にしてしまう人のために
こうして少しずつ、以前ほど「お休みいただきます」が重たいものではなくなってきました。
こういうことを自然体でやり取りできる人も多いと思います。でも、私のように気にしすぎてしまう人も、きっといると思い、書いています。
働いているうちに、上司の立場に近くなり、感情ではなく事務的に対処することの大切さがわかって来ました。
とはいえ、引け目が勝手に強くなってしまう感じも、とてもわかります。
けっきょく、「体調に問題がないときは、ちゃんと働けている」。そう思える積み重ねが、引け目を少しずつ薄くしてくれる気がします。
一朝一夕では難しいかもしれないけれど、時間をかけて、少し楽になることはできる。これは、その途中にいる私からの、ささやかな実感です。
