自分に許可を出す生き方をしたい
あとがないつもりで始めた動画投稿
昨年の春、保護して8年間うちにいてくれた愛犬が亡くなり、そのあとしばらくして新しく後輩犬を迎えることとなった。
しかし犬との生活はそれなりに費用がかかる。
「せめて自分の分くらい稼いでもらおうか」
そんな甘い発想をきっかけに、その年の秋から動画制作とyoutube投稿を始めたりした。
過去には機材の記事を書いたりもした。
始めたのが去年の9月だったから、ちょうど一年。
それまでだって何度もやめたくなったけれど、続けてきた。
最初の頃は「アラフィフで今の会社にだって希望を持てないなら、もうこれ(動画投稿)で収益をめざすしかないんじゃないか」っていう思いだけで。
続けやすい、伸びやすいといわれるペット動画でも、それは叶わなかった。
一年かけてチャンネル登録者数170人。
170人のファンがいると思えばすごいけれど、収益をめざすとなるとこの伸び方は正直言って厳しい数字だ。
あきらめる事が怖かった
通常であればチャンネル開設してからしばらくは週に2〜3回の投稿頻度が勧められるという。
さすがに、それはムリだった。
独身でもない、フルタイム勤務。家事だってしなきゃならない。
そんな中でなんとか週一投稿をキープしていた時期があったけれども、
なにかを「なし得た人」からしたら、それでも「甘い」と言われるのだろう。
わたしは、根っからの飽き性でこれまで資格取得勉強からブログアフィリエイトから、いろんなことに挑戦してきたけれども、どれも続かなかった。
最初はやる気満々だけど、いつの間にか手を付けなくなる。
活躍の場を満足に与えられず眠っているテキストや機材たちを見ると、それらを買って満足して終わってる自分を鏡に写しているようで、そのまま心をえぐられるような気分になる。そんな自分が嫌いだ。
だから、こんどこそはそんな自分を見たくないという思いだけで投稿を一年つづけてきた。
やめることは、怖かった。
また、買ってちょっとだけやって、何もなさず、終わる自分を直視させられるのが怖かった。
動画もまた失敗だったことを認めるみたいで、機材はまだ手元に残しておきたいという気持ちが全然なかったわけじゃないけど、結局勢いでフリマで売却。
なんとかやめることが出来た。
やめることは、後退ではない
動画をやめたら、自分に何ができる?
そんな思い詰めた考えすらあった。
けれど、自分の内面に向き合いつづけてみて。
「私は本当に動画が好きなのか?」
アラフィフの自分探しほど滑稽なものはないかもしれない。
けれども、この歳で自分の好きなもの、嫌いなものがいまだに分かってないところがあるのは事実だ。
やめることは、後退ではない。
ただ、「向いてない」「面白くない」と感じることがまた一つ分かっただけなんだ。

「〜ねばならない」病は怖い
振り返れば私は物心ついたころから、つねに「こうあるべき」「こうでなければならない」という思考に取り憑かれ続けていた気がする。
すべての物事には正解があると思いこんでいた。
答えを調べて、それを目指して突き進んでいけば幸せになれるとすら思っていた。
ところが、世の中にはむしろハッキリしない、わからない事だらけ。
そこに明確な答えを求め続けることは無理があると理解できたのも大人になってだいぶ経ってからかもしれない。
実際、「曖昧さ耐性」という心理学用語もあるようだし、ChatGPTのOpenAIはデザイナーに曖昧さ耐性を求めるらしい。
こういった『答えの出ない宙ぶらりんの状況に耐える力』のことを、心理学では『曖昧さ耐性/不確実性への耐性(tolerance of ambiguity)』などと呼びます。
— 持病があっても幸せに暮らす @じぞう (@panicOK_bot) September 19, 2025
近年では科学やテクノロジーの発達により、「問えば一瞬で分かる/すぐに答えをもらえること」が増えました。… https://t.co/bg9QOR6ZRW
カルトみたいに明確な答えがある方がラクで飛びつきやすいもんね。
「〜ねばならない」と一旦思い込めば、後は何も考えずに突っ込むだけだから。
幼い頃から「正答を探す」「原因を見つける」といった思考を訓練するためか、答えのない問いや原因のはっきりしない現象を「グレーなままにしておく」「判断を保留にする」といった振る舞いを苦手とする人が多いように思う。
— 山本健人(Takehito Yamamoto, 外科医けいゆう) (@keiyou30) May 22, 2023
大人になると、むしろ結論に飛びつくことが危険なケースは多いのだが。
当然、動画制作をしたからといってYoutubeに投稿しなくてもいいし、絶対収益をあげなければいけないわけでもないのである。
なんだか当たり前のことすぎるけど。
「〜しなくてもよい」を口癖に
まあ、自分でいうのも何だが
常に完璧を求められる子供時代を過ごすと、しなくても良いことが世の中の大半を占めているなんて夢にも思わなかったわけで。
Youtubeの動画制作をやめて、再び時間が余るようになってしまったので、今度はなぜか「ITパスポート」という資格取得のテキストを買って読んでいる。
きっかけは、旦那のPCがブルースクリーンになることが増えたのでクリーンインストールする際に、バックアップ取ったりだとか、保存したWindows Image Backupからのデータの取り出し方とかを一つずつ調べてやっていた。
その際、一回は体系的に学んでおいてもいいかなと感じてテキストを買ってみたんだけど、以前の自分なら「テキスト買った=絶対合格しなきゃ!」という思考に支配されていたと思う。
「体系的に勉強したいだけだし、まあ試験はできれば受けるくらいでええか…」
そんな感じで、自分に許可を与えたら、不思議と勉強が出来る気がする。
今までずっとそうだったのかも、と思うと、だいぶ損した気もしないではないけど。
そんな気付きをできただけでも、人生前進か〜。
