傑作 我孫子武丸の代表作「殺戮にいたる病」によって頭をぐちゃぐちゃにかきまわされたという話
30年以上前の書籍なので、ネタバレは記載する
でも、できれば前知識なしで読んでから訪れてほしい…
いま、作品があふれかえっているから類似する結末や、トリックをみたことはあるかもしれないが、それでも一定以上の衝撃は受けるはず。
内容がタイトルからもわかるように、かなり過激な小説になるので、R18のタグをつけさせていただいた。
以上の点を納得いただいた方のみ、この先をスクロールいただきたい。
殺戮にいたる病 あらすじと感想
この物語は主に3人の登場人物で構成されている。
時代は、AV機器の話や、喫茶店に麻雀のビデオゲーム台があるということや、女児連続殺人事件などの発生したことが書かれていたので、1980年後半から90年前半にかけてだと思われる。
稔
本作の主人公で、メインとなる連続快楽殺人犯。性的趣向がゆがんでおり、サイコパスといえる。
雅子
母で専業主婦。一男一女の母親であるが、息子の思春期の成長がきがかりであり、彼に彼女がいるのか、どれぐらいの頻度マスターベーションしているかも含めて、執拗に彼の部屋にこっそり入って調べていた。
樋口
元刑事。9歳下の妻が乳がんによって先立ち、訪問看護のようなことをしていた女性が何者かによって殺された。
最初の読後感としては、あっけにとられた。
正直何が起こったのか、読解力が幼い私には全く理解できなかった…
読むことにかなりのカロリーを必要とする作品であり、そんなわけないとわかっていても、我孫子武丸氏が、本当のサイコパスに引率してその現場を目の当たりにしたことを書いたのではないか?って思えるぐらい迫真の描写だったわけだ。
読む前から、本作が叙述トリックというのは知っていたし、「イニシエーション・ラブ」みたいな終わりなんだろうなと思っていたら、間違いではなかったが…
ある意味、あの狂気的な描写の数々は、この叙述トリックを隠蔽するための工作だったのかとさえ思えてくる。
我孫子氏はノベルゲームを少しでもかじったことがある人なら多分知らない人はいないと思う。
あの「かまいたちの夜」の脚本家だ。
428のあるショートエピソードも担当された経験があり、一見すると感動的な命を懸けたヒューマンドラマにみえて、実は結構ドロドロの執着的な恋愛にもみえるというなかなか考えさせられるシナリオだった。
本当に殺されている家族について
ここからは、ネタバレ
早急にネタバレ前提になるが、犯人の蒲生稔は20代の学生ではなく40代の大学教員であり、彼の妻が雅子だったことが判明する。
なぜわからないのかというと、劇中の稔と雅子のモノローグでそれぞれの存在を認識していない。
雅子のモノローグでは夫は登場するが、「夫」という記号だけで、不愛想で、父親らしい威厳を全く見せない。放任主義で、雅子は子供を生んでくれたこと、養ってくれたこと感謝しているが、それ以外は何も感じていない。
逆に子供に対しては、異常、異形といえるぐらい愛情をつぎ込んでいる。
20年ほどの結婚生活だから当たり前かもしれないが、お互いが特別な人、日ごろから意識する人として認識しているわけではないというのが、本作のポイント
ここはどの家族でも共有する認識だと思う。(稀に20年たってもラブラブの夫婦とかはいると思うが)
実は、雅子については家族で旅行して話し合おうかと考えるぐらいに家族への意識はある。
一方で、稔は家族の認識がない。子供はおろか、妻への言及もなく、彼の性経験の原体験は学生時代に悪ガキにつれられて、シンナーでキメ○○をした女性とのある意味、トラウマになっている。
それからインポテンツでなければ、複数の女性と性経験を重ねたが、彼にとってたぎるような恋はなかったようだ。
私は、子作りのためにセックスをしたことがないため、それって経験として素晴らしいものなのだろうか?とは疑問に思う。
一方で母への思いは強めになっている。
つまり、稔から見て、自分の子供と妻を含めて3人はすでに死んでいるのと変わらない、ある意味殺してしまったようなものといえる。
叙述トリックの隙間について
本作が、叙述トリックとして優れているのが、雅子が息子の名前を読んでいないことや、稔に妻の存在をいわないという正解を言わないのは当たり前として
かたくなに見せない、隠すということをやっていない点にある。
例えば、雅子が稔が死体の一部を切り取ったゴミ袋を発見したのが、息子の部屋であることがまず隙間として用意されている。
稔は初回の犯罪では、女性に膣内射精をしたり、乳首を噛んだりして昭和から平成でなければ、証拠を残しまくっている行為だが、以降は、証拠隠滅のためにできる限りのことはしている。
また前後の描写で稔が、「彼女」を愛でてから無造作にゴミに捨てるということはしていない。
これはリアルタイムで読みながらも、なぜ庭の土に埋めているのに、ゴミ箱にあったんだろうな?と不思議だった。
答えは、長男の信一が父の足取りをおって、庭にうめてあることを突き止めて取り出して、捨てたということになる。
信一は責任感が強く、母に負担をかけず自分1人で事件を解決しようとしていた。
他のサイトを見ると、それぞれの描写が、引き戸と開き戸で部屋そのものが違うのがおかしいなどの指摘があった。
あと、これは男性読者しかわからないが、マスターベーションの頻度もヒントになっている。
雅子は息子が大学生になってもマスターベーションの頻度についてゴミ箱のティッシュから常に把握している(ちょっと引く)
最近になって、全くしておらず彼女ができたのだと自分で解釈している。
一方で、稔は屍姦シーンをビデオにとって、自宅で鑑賞してなんども○○している。つまりティッシュはたくさんゴミとして出ている。
信一の自慰の頻度が減った要因も父の犯行をしって、それどころではないといのは後から考えるとわかる。
また細かいことをさらうと、15,6歳の女性以外はすべて稔に対して女性はほぼ丁寧語で接している。年下とか同世代であれば崩すが、徹底しているため年齢は上だったんだろうなと考えるのが筋になる。
30代ぐらいでしたねっていうのもヒントだった。
はぁ、リアルタイムでわからなかったのが悔しい(笑)
このような細かい隙間をいくつも用意していることから、本作はおそろしい描写がもりこまれているが、繰り返し読みたくなるほどの魅力がある。
どんでん返しをカモフラージュするミステリーとしての面白さ
冒頭でいきなりエンディングを提示して、「稔が犯人です」という情報を読者は共有することになる。
つまり、本作はエンディングから逆行して、いかにして稔が逮捕されたのかというところに重きをおいた作品になっている。
コロンボや古畑任三郎のような倒叙ミステリーというカテゴリーになる。
倒叙ミステリーを成立させるうえで、重要なのが犯人は割れているため、ミステリーのドラマやトリックそのものに魅力がないといけない。
古畑がトリックに重きを置いているとしたら、殺戮は、人物描写、心理描写になる。
稔の異常な愛に対する妄執は全くもって理解できないものの、もしかしたら自分にもそのような性的趣向があるかもしれないと思わせるだけの圧倒的な威圧感がある。
息子(本当は夫)の犯行だと思い、いままでの人生がすべて否定されパニックを超す雅子の心理描写は、稔に比べれば一般人も理解しやすい状況だ。
そして、あたかもチュンソフトの「街」「428」のように、3人のキャラが事件の真相という1つの結論に向けて、収束していく様子が実に痛快かつ快感なのだ。

