蝶の舞う家と、背中の勲章。1mmの隙間に魂が激突した日
私が足を踏み入れたその家は、異様な光景に包まれていた。壁、床、柱、
いたるところにカラフルなポストイットがびっしりと貼られている。
それはまるで、家の中に無数の色鮮やかな蝶が舞っているかのようだった。
現場の監督が、どこか投げやりな様子で苦笑いを浮かべる。
「このポストイットがある場所はね、施主さんのチェックが入ったところ。業者さんに全部手直ししてもらうから」
「この数を、ですか?」
「そう。ちなみに色で緊急度が分かれててね。
赤は超緊急、黄は緊急、ピンクは要注意、青は『よく見て』だってさ」
おいおい、災害現場のトリアージじゃないか。
トリアージの基準で言うなら、この家はもう死んでいる。
恐る恐る自分の担当箇所を確認すると、赤が1枚、黄色が2枚、そして青が20枚も群生していた。
「監督、この赤いやつ、何がいけないんですか?」
「それ? 隙間が1mm空いてるのが許せないらしいよ」
1mm。 その言葉を聞いた瞬間、私のなかの「サムライの魂」にカチリと火が着いた。
「……僕は嫌だ」
私は監督に背を向け、そのまま現場を後にした。
営業所に帰ると、すでに監督の上司から、私のところの所長へ電話が入っていた。
「トミセンスの怒る気持ちも無理はない」と所長は理解を示しつつも、
「ただ、先方もなんとか始末をつけてほしいと言っているんだ」と困り顔。 私は「絶対に無理だと思いますよ、あの現場は」と捨て台詞を吐き、自分のデスクに戻った。
すると、隣の席のYさんから怪訝な顔で声をかけられた。 「トミセンスさん、背広の背中がポストイットだらけですよ」
驚いて上着を脱いで裏返してみる。そこには、青色のポストイットが5枚、綺麗に張り付いていた。
どうやら、あの家にいる間に「よく見て(要注意)」の烙印を、私自身が背中にペタペタと貼られていたらしい。
結局、その現場は最終的な話し合いの末、クレーマー気質の施主へ「最新のサイクロン型掃除機」を現物支給することで、どうにかこうにか幕引きとなった(当社の非ではないと、今でも信じているが)。
ポストイットは確かに便利な商品ですが、あの使い方はよろしくないですね。
