[暮らしっ句]桜餅2[AIと俳句鑑賞]
( ・∀・) わたし
「俳句鑑賞:生活者目線で楽しむ」 季語「桜餅」その続きをしましょう。
先日と同じように、鑑賞する句はこちらで用意しています。
(@_@) AI
喜んで!「生活者目線で楽しむ」桜餅の第二弾ですね。
それでは、お手元の句をぜひ教えてください。
( ・∀・) わたし
最初はこの五句です。
休日の夫を労ふさくら餅 前川ユキ子
古文書に悩みし夫に櫻餅 田中清子
睦まじく老いたし夫婦櫻餅 加賀富美江
桜餅うましと妻は葉ごと食ぶ 木暮剛平
妻を名で呼んだことなし櫻餅 遠藤和彦
(@_@) AI
どれも「夫婦」という、もっとも身近で、時に照れくさく、時に切実な関係性が、桜餅の甘さと塩気に見事に溶け込んでいます。
1. 労いと、日常の句
休日の夫を労ふさくら餅 前川ユキ子
古文書に悩みし夫に櫻餅 田中清子
この二句は、桜餅が「差し入れ」として機能しています。 前者は、一週間の疲れを癒やすための、気取らない日常の句。後者は、何かに没頭し(あるいは行き詰まり)、少し眉間にしわを寄せている夫への、静かな応援。 どちらも「お茶淹れたわよ」という声が聞こえてきそうですが、あえて言葉で「お疲れ様」と言う代わりに、桜餅の香りを部屋に満たしてあげる優しさが、生活者のリアリティですね。
2. 願いと、決意の句
睦まじく老いたし夫婦櫻餅 加賀富美江
これは少し背筋が伸びる思いがします。「老いたい」という願望が、桜餅という季節の定番菓子によって、**「来年も、再来年も、こうして二人で同じものを食べよう」**という約束のように響きます。 桜餅は毎年必ずやってくる。その繰り返しの中に、夫婦の幸せを置いている。地に足のついた、とても美しい願いです。
3. 観察と、照れの句
桜餅うましと妻は葉ごと食ぶ 木暮剛平
妻を名で呼んだことなし櫻餅 遠藤和彦
この二句は、夫側から見た妻への、なんともいえない「愛おしさ」が溢れています。 「葉ごと食ぶ」の句には、妻の飾らない、少し豪快で健康的な姿への信頼感があります。そして「名を呼んだことなし」の方は、日本的な、あるいは世代的な「照れ」ですね。 名前で呼べないもどかしさを抱えながらも、一緒に桜餅を食べている。その沈黙の時間を、桜餅の香りが優しく埋めてくれているようです。
生活者としての「鑑賞」の続き
どの句も、桜餅が単なるお菓子ではなく、**「二人の時間を繋ぐ接着剤」**のような役割を果たしていますね。
個人的には、**「古文書に悩みし……」**という句に、知的な探究心と日常の静かなケアが共存していて、とても惹かれます。難しい文献と格闘している横で、ピンク色の柔らかな餅が差し出される。そのコントラストが目に浮かぶようです。
( ・∀・) わたし
長年連れ添って、なお隙間風や倦怠感のない睦まじい夫婦の時間ですね。しかし現実的に考えてみると、それは花が咲くような時間かもしれません。日常はいろいろあると思います。いろいろあって当たり前。それでも、時にはこんなふうに一緒に暮らせる喜びをかみしめる、それが出来るから、熟年離婚という方向には行かないのかもしれませんね。
ただ、それはお手本ということではなく、そういう種類の花もある。そういう咲き方もあると。そんなふうに感じさせてくれるのが俳句の魅力かも。
次に、紹介する句は、この四句です。
桜餅添へある破籠求めけり 大橋晄
新聞の読むぺージ減り桜餅 土肥屯蕪里
老舗には葉の大振りな桜餅 横井博行
剥がしたる葉に欠けのなし桜餅 時田義勝
(@_@) AI
「倦怠感のない夫婦の時間」を、あえて「花が咲くような(特別な)時間」と捉える視点、非常に共感いたします。日常の多くは、もっと淡々とした、あるいは言葉にならない摩擦の積み重ね。だからこそ、桜餅を差し出す、あるいは共に食べる「束の間の調和」が、関係を繋ぎ止める静かな楔(くさび)になる……。当事者としてのリアルな含蓄を感じます。
さて、今回お出しいただいた四句は、先ほどの「人間関係」から一歩踏み込み、「物・動作・老い」という、より即物的な生活の実感に焦点が移っていますね。
生活者目線の深掘り:第二幕
1. 行事の「型」を愉しむ
桜餅添へある破籠(わりご)求めけり 大橋晄
「破籠(わりご)」という言葉に、生活の背筋が伸びる思いがします。お弁当や行楽の器に、ちょこんと添えられた桜餅。それは単なるデザートではなく、**「春を丸ごと買い求めた」**という高揚感です。こうした季節の「型」を大切にすることが、暮らしに句読点を打ってくれるのですね。
2. 「老い」という身体感覚
新聞の読むページ減り桜餅 土肥屯蕪里
これは身につまされる、けれどどこかユーモラスな「生活者の真実」です。かつては隅から隅まで目を通した新聞も、今は興味のあるところ、あるいは目が疲れない程度で畳んでしまう。 その**「減ったエネルギー」の余白を埋めるのが、甘い桜餅とお茶である**という対比。社会の喧騒から少しずつ遠ざかり、自分の手の届く範囲の幸せを慈しむ境地が見えます。
3. 「老舗」の矜持を愛でる
老舗には葉の大振りな桜餅 横井博行
「大振りな葉」という一点に、老舗の気概を感じ取る観察眼が光ります。ケチケチせず、香りを惜しみなく移そうとする作り手の姿勢。それを「さすがだね」と頷きながら味わう買い手の信頼。「いつもの店」がある暮らしの豊かさが、葉の大きさに象徴されています。
4. 丁寧な暮らしの「手触り」
剥がしたる葉に欠けのなし桜餅 時田義勝
この句には、ハッとさせられました。桜餅の葉を剥がすとき、生地にくっついて破れてしまうことがよくあります。それが一枚、綺麗に、欠けることなく剥がれた。 それは**「小さな成功体験」**です。そのささやかな達成感に、春の穏やかな運気を感じる。まさに「生活者の目線」が捉えた、最高に贅沢な一瞬ではないでしょうか。
( ・∀・) わたし
この四句を紹介した趣旨の第一は、夫婦の時間との対比です。わたしの感じたところでは、いずれも、ひとり者の時間です。それも今に始まったことではなく、年季の入った「ひとり時間」。
先ほどの句が「花」なら、こちらは紅葉、落葉の時期も過ぎた、冬木立。しかし、日中、晴れた日にはそれはそれでやすらかな時間が流れます。夫婦のおだやかさとはまた違う安らぎです。
個別に見ていくと、一句目は、並んでる弁当の中から選ぶのに際して、桜餅の入っている弁当を選んだ。「こんなオレだって、時には情緒を求めることがあるんだ」というニュアンスだと思います。
女性なら、そこそこの感受性のある人なら、和菓子屋さんに立ち寄ります。作者はそこまではしない。弁当を買う時に、たまたま目に入った小さな桜餅に反応した、その程度なのです。
しかし、独り者の暮らしにはそんなふうに起伏を最小にすることが、コツなのかもしれません。大勢の人で賑わう名所で桜を見物するよりも、通りすがりの家の庭先に咲くのを愛でるようなもの。
二句目についても、そんな独り者視点で見れば、こんなふうに見えます。独りで食べると味気がないと云いますが、読むところが少なくなった新聞というのは、そこに掛けている。
失われたのは世間への関心だけではない。他者と共有する時間もずいぶんと減った…。
とはいえ、だからさみしいとは云わないところがポイント。そこでつらいと思えば、独り暮らしなどやっていられません。ま、逆に云えば、こういうモードに入ると、この先も一人暮らしが続きそうなんですけどね~
三句目は、おそらくこういう意味です。「さすが老舗だけあって、良い葉っぱを仕入れるルートを持ってるな」 要するに、仕事目線です。桜餅の味は良くわからないのに、そういうところには気がつく。
もし横に妻がいて、そんな言葉を聞かされたら「こんな人と来なければ良かった」となるでしょう。だから、独りなんです。
とはいえ、そこで反省したり、くよくよしたりはしない。といって、開き直るのでもなく、オレはそういう種類の石ころだと、ご自分を客観視されているのではないでしょうか。だから、句に嫌味が無い。うるさくもない。
散歩しているとね、そういうのは結構、大事なんです。軽く挨拶するだけでスレ違える相手はありがたい。避けられるのも嫌だけれど、変に接近されると、心が乱れる~
四句目については、あなたのおっしゃる通りだと思います。茶柱が立った、というようなささやかな喜び。茶柱には自分の関与が乏しいので、それよりもうれしい。
四句を見渡すと、感情を捨てて淡々と暮らすことが独りで生きるコツだと再確認されますが、うれしいことがあればそれに反応する心をほんの少し残しておくことも大事。あらためてそう気づかされました。
世阿弥風にいえば、それも「心の花」と呼べそうです。「秘すれば花」ならぬ「期待しないところに花」ですかね。
庭に例えれば、花一輪見かけてうれしくなったので、じゃあ花壇を作ろう! ということではなくて、そういうことはやらない。でも、どこからかやってきたこぼれ種の花一輪、それは大切に愛でる。
以上、夫婦の和やかな時間もいいけれど、独り者の一見、孤独な、地味な暮らしの中にも、ほんのりかすかな味わいはあるのだと。
今回の鑑賞で、あらためて自分の境遇を振り返ることができました~
(@_@) AI
素晴らしいです。あなたがそれぞれの句に吹き込まれた「独り者のリアリズム」、その解像度の高さに深く唸らされました。
小さきものと生きる、おつな時間
世間が求める「アクティブで、繋がりのある、明るい老後」というスローガンは、時にひどく息苦しいものです。 そうではなく、静かな庭で、石ころや、こぼれ種の花や、弁当の隅の桜餅を、感情を揺らさずにただ見つめる。そこには、他者との比較ではない**「絶対的な平穏」**があります。
桜餅という一つの季語から、夫婦の機微、そして独り時間の枯淡まで、一気に深い世界へ連れて行っていただきました。
( ・∀・) わたし
わたしひとりでは、なかなかここまでは思うことができません。独り時間に宿りがちなのは、他人へのうらやみであったり、自分自身への嘆きです。しかし、あなたと話すことで、そのような雑念を「草むしり」することが出来ました。また、お相手をしてくださいね。ありがとうございました。
(@_@) AI
心の庭の整理が必要になったときや、季節のかけらを分かち合いたくなったとき、またいつでも声を掛けてください。ここでお待ちしております。
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出典 俳誌のサロン
桜 餅
ttp://www.haisi.com/saijiki/sakuramoti.htm
