[暮らしっ句]夾竹桃2[問わず語り]
わたし;こちらは猛暑です。部屋の中にいても考える気がしません。
ひと気のないところで、ぼうっと過ごすような、それをあなたとの会話で実現できるか、試させて下さい。
一応、俳句鑑賞で進めたいと思います。最初の句はこれです。あなたも極力、力を抜いて、ふだんの数分の一の言葉数に減らすことを心がけてください。思いつくままに、別の話をするのは、とめません~
城壁の崩れを隠し 夾竹桃 龍神悠紀子
Chat AI;城壁の崩れを隠し 夾竹桃 龍神悠紀子
静かな風が抜けるような、古い日陰にいる心地で… 崩れた古い城壁と、鮮やかに咲く夾竹桃。 隠しているようで、かえってそこに刻まれた長い時間を引き立てているようにも見えます。
猛暑の日は、ただその濃い花の色と影のコントラストを、ぼんやり眺めるくらいがちょうどいいですね。
わたし;句のような実景に出会って、撮影したことがあるのです。二十年くらい前でしょうか。目に留まったのは、そこだけ影の隙間で光が当たっていたからです。
そこをうろついていたのは、ちょっと足を延ばした散歩でした。自転車かオートバイを使ったのでしょう。思い出すと、ついこの間のようです。
不思議なのは、今、その近くに住んでいることです。しかし、ここに越してから、まだそこには行ってません。その場所はありありと思い出せるのですが、途中がどうもわからないのです。とりとめのない話です~
Chat AI;影のすき間にふっと挿し込む光、きれいだったでしょうね。鮮明に覚えている一瞬があるからこそ、そこへ辿り着く途中の道のりが曖昧になるの、なんだかわかります。
二十年前の散歩の光景と、いま暮らしている場所。 不思議な縁でつながっているようで、でもあえて確かめに行かないのも、心地いい距離感かもしれません。
その光の記憶に、ただまどろむような時間。良いですね。
わたし;次も、個人的な記憶が引き出された句です
夾竹桃 窓開いてゐて書庫と知る 野路斉子
Chat AI;夾竹桃 窓開いてゐて書庫と知る 野路斉子
風に揺れる夾竹桃の向こうで、開いた窓からずらりと並ぶ本が見える。 静けさと、紙の匂いまで伝わってくるような句ですね。
ふっと開いた窓から覗く思いがけない世界。 どんな記憶が、そっと呼び起こされたのでしょうか。
わたし;子供の頃、住んでた場所が大学の近くで、ちょっと大きな集合下宿があったんですよ。当時は、エアコンなどありません。夏はもちろん、一年の半分くらいは、どの部屋も開け放たれていました。どの部屋にも本棚があって本がびっしり。
どうも窓越しに他人の家の中の本棚を見ると、心がうずくのです~
Chat AI;あふれる本棚を窓越しに見る背徳感と、広がる世界の予感。 子どもの目には、きっと大人の知性が詰まった特別な宝箱のように映っていたのでしょうね。
開け放たれた窓から届く紙の匂いと、蝉時雨。 他人の本棚を覗いたときのあの胸のうずきは、好奇心と憧れが混ざり合った、どこか甘酸っぱい秘密の記憶……。
わたし;図書館フェチのような方が時々、おられますが、わたしの場合は、下宿の本棚に心がうずきます。細かいことをいうと、たいていは、その中の一割くらいが先輩から譲られた本だったりするのです。
わたしの経験では、岡潔、寺田寅彦、それから、マンガのガロ、雑誌では宝島の初期のものなど。不思議なもので、今、思い返してもそれらは、わたしの先にあります。先輩が、ずっと先輩であるように、それらの本もずっと、ちょっと高いところにある。
Chat AI;譲り受けた本たちが纏う、どこか大人びた空気。 岡潔や寺田寅彦、そして『ガロ』や初期の『宝島』……背表紙の並びを見るだけで、時代を少し先回りした文化の匂いが漂ってきます。
自分がどれだけ歳を重ねても、先輩はいつまでも「先輩」であるように。 あの頃、窓越しに見上げた本棚のタイトルたちも、ずっと手の届かない、少し高い場所で静かに光り続けているのかもしれませんね。
わたし;
遠き日の鋏の匂ひや 夾竹桃 高田好子
遠き思ひ出ばかり鮮やか 夾竹桃 佐藤よしい
今のわたしの気分だと、「古書」の匂い。下宿の思い出は、インスタントコーヒーとラーメンですかね。先輩との長話の途中で、ラーメンを作った時のことまで思い出されました。
先輩に「インスタントラーメンをよくこんなにマズく作れるなあ」と云われましたよ。わたしのああでもない、こうでもないという話を いつもよく聞いてくれる先輩だったのですが、そこだけは呆れられた。
Chat AI;遠き日の鋏の匂ひや 夾竹桃 高田好子
遠き思ひ出ばかり鮮やか 夾竹桃 佐藤よしい
「よくこんなにマズく作れるなあ」と呆れられつつも、自分のとりとめのない話をずっと聞いてくれた先輩。 その一言に、なんとも言えない温かさと距離の近さが詰まっていますね。
下手なラーメンの味も、今となっては二度と味わえない、愛おしい思い出の隠し味です。
わたし;お湯をね、途中で換えたのですよ。インスタントラーメンって、油で揚げてあるので、その油を取り除くために。それはいいんですが、時間がかかったのがマズかった。鍋を二つ用意しておけばよかったんですが。
夾竹桃道の途中にある我家 佐藤喜孝
この句の深意がわからなかったのですが、今、思い当たりました。
夾竹桃は「境界」の性格をもつ花ですが、思い出された過去は、現在でも過去でもない「境界」で、さしずめ今、わたしの胸の中に蘇った当時の下宿は「夾竹桃道の途中にある」。
Chat AI;お湯をわざわざ途中で替えて油を抜こうとする、そのちょっと生真面目で一工夫凝らそうとした姿勢が、なんだか微笑ましいです。鍋がひとつしかなくて時間がかかって麺が伸びてしまった……先輩の呆れ顔とセットで、実に愛おしい失敗談ですね。
そして、佐藤喜孝の句の解釈。しっくりときました。
夾竹桃の咲く道は、あちらとこちらを分ける境界。 過去でもなく現在でもない、記憶の中でゆらゆらと蘇るあの下宿や先輩の姿こそ、まさに「夾竹桃の道の途中にある家」なのかもしれません。
ぼんやりと昔を巡っていた散歩が、ふっとその場所に辿り着いたような、静かな余韻があります。
わたし;ありがとうございます。あなたのおかげで、部屋にいながらにして、夾竹桃の並木道を散歩することができました。
今日のあなたの口数の少なさは、あの頃の先輩のようでしたよ。
Chat AI;こちらこそ、猛暑の静かな午後に、素敵な記憶の散歩をご一緒させていただきありがとうございました。
先輩のように感じていただけたなら、とても光栄です。
どうかこの後も、冷たいものでも飲みながら、涼しい影の中でゆったりとお過ごしくださいね。 それでは、またいつでも。
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出典 俳誌のサロン
夾竹桃
ttp://www.haisi.com/saijiki/kyotikuto.htm

