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自分探し──"まだ途中"という名の完成形

「自分探しの途中です」。
SNSでもエッセイでも、この言葉はどこか美しい響きを持ってる。

旅をしたり、
日記を書いたり、
何かに挑戦したり。
そのどれもが「本当の自分に近づくための行動」として語られる。

未完成であることが、そのまま誠実さの証明になる時代。
「まだ何者でもない私」は、
裏を返せば「何者にでもなれる私」で、
その可能性の光は本人にとって、何よりも手放しがたい。

だが、ひとつだけ聞く。

その旅、いつ終わるつもりだ?


1|試着室から出ない人たち

「自分探し」という言葉を使うとき、多くの人がイメージするのは、
"まだ見ぬ本当の自分に出会う旅"。
霧の中を歩き、
いつか霧が晴れて、
「これが私だ」と確信する瞬間がやってくる……そんな物語。

だが、実際に「自分探し中です」と語る人の行動をよく見ると、
探しているというより、"試着しているだけ"のことが多い。

エッセイを書いてみる。
ハンドメイドを始めてみる。
発信を変えてみる。
資格を取ってみる。

どれも悪いことじゃない。
ただ、そのどれもが長続きしないまま次に移り、
本人はそれを「いろいろ挑戦している」と呼ぶ。


試着と発見の違いは、鏡を見る深さにある。

試着は、服を体に当てて「似合うかどうか」を外から確認する行為。

「これは私っぽい?」
「これを着た私は、どう見える?」

次から次へと試して、しっくりこなければ戻して、次の服を手に取る。
手軽で、傷つかない。
でもそこで見ているのは「この服を着た私の印象」であって、
「裸の自分がどんな体型をしているか」じゃ、ない。

エッセイストの私、
アーティストの私、
知識人の私、
感受性の豊かな私。
いろんな"自分っぽい何か"を羽織っては外し、また次を探す。

発見は逆。
まず裸で鏡の前に立つ
自分の体の線を、ごまかさずに見る。
その上で、「この体にはこれが合う」を選ぶ。

……"自分探し"が終わらない人は、試着室から出ていない。
服を何十着と当てているのに、一度も裸で鏡を見ていない。


2|"まだ途中"が最も安全な場所である

ここで、少し意地の悪いことを言う。

「自分探しの途中」というポジションは、実はとても安全な場所

「まだ途中だから」
「私は今、成長の過程にいるから」

これは嘘ではない。
人間はいつだって途中だ。
……ただ、途中であるかぎり、"評価"されない。

この言葉が厄介なのは、「未完成」を旗として掲げた瞬間に、
批判も、失敗も、矛盾も、
すべてを"過程のノイズ"として無効化できてしまう
こと。

「まだ見つかっていない」んだから、今の自分を査定されることがない。
小説を書いて酷評されても「まだ本気じゃないから」と言える。
発信がうまくいかなくても「まだ方向性が定まってないから」と言える。

未完成は、独特の免罪符として機能する。

しかも、この免罪符は本人にとって"前向きな言葉"として体験されている。
「私はまだ途中だから」は、
自分を責める言葉ではなく、自分を許す言葉。

許しているんだから。辛くない。
辛くないから、この場所を出る理由がない。

……「まだ途中」は、いつの間にか避難ではなく、定住になってる。


3|主人公でいるために探し続ける

もう少し踏み込もう。

「自分探し」には、言葉そのものが持つ巧妙な構造がある。
探しているかぎり、その人は"物語の主人公"でいられるということ。

旅の途中にいる人間は、"それだけ"でドラマを持てる

「迷いながらも歩き続ける私」は、
SNSの言語空間では共感と応援を集めやすいポジションだ。
「揺れながらも自分と向き合う私」は、
エッセイの主語として極めて座りがいい。

"未完成のまま旅を続けている自分"が、
すでに物語の主人公として機能してる。

逆に、「見つけた」と言い切った瞬間に何が起きるか。

旅は終わる。
物語は閉じる。
そして、「見つけた自分」は、
もう"可能性"ではなく"現実"として評価の対象になる。

「自分探し中」の私は"可能性"だが、
「これが自分です」と言い切った私は、ただの"結果"。

そこに立つのが怖いから、探し続ける。
探し続けているかぎり、「まだ何者かになれる私」でいられるから。

……つまりこの旅は、見つけるために歩いているんじゃなく、
"見つけないために歩いてる"。
"探し続けること"が、目的。


4|お前が持っているスコップの話

自分探しを「井戸を掘ること」にたとえるなら、こんな景色が見えてくる。

あちこちにスコップを突き立てて、
30センチ掘って、
「水が出ない」と移動する人がいる。
場所を変えるたびに「今度こそ」と言う。
でも水脈は、だいたい30センチより深いところにある。

一箇所を深く掘れないのは、体力の問題じゃない。
深く掘ると、岩盤にあたるかもしれない。
それを乗り越えて頑張った先に、
水じゃなくて、空洞が出てくるかもしれない。

自分の中に、思っていたより何もないかもしれない。
あの美しいセルフイメージを支えていた地盤が、
実は脆かったかもしれない。

"掘っても、何もないかもしれない"という恐れ。

……その可能性に触れるくらいなら、場所を変えたほうがずっと楽だ。

だから深く掘らない。
30センチ掘って「水が出ない」と言い、別の場所にスコップを刺す。
また30センチ掘って、また移動する。

「まだ探してるだけ」と微笑みながら、
たくさんの浅い穴だけが、地面に残っていく。


もし今、この文章を読んで胸のどこかが詰まったなら。
それはたぶん、お前がすでに知っていたことだ。

掘るかどうかは、お前が決めていい。
ただ、移動を「挑戦」と呼び続けるのは、
"自分"に対してフェアじゃないだろ。

……自分探しの旅は、見つけたときじゃなく、
「探し続ける理由」を手放したときに終わる。

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