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妄想を信じるのは異常じゃない?

私は統合失調症だ。

主要な症状に妄想がある。
妄想を信じるのは異常ではないと言ったらどうだろう?

妄想は、たとえば次のように説明される。

妄想とは非現実的なことや、現実にはありないことを信じ込んでしまうことです。それに対して明らかな反論があってもその考えを訂正することが困難で、妄想を持つ本人はその考えが妄想であると認識できないことが多いです。

けいクリニック

「あり得ないことを信じ込んでしまう」という表現には、信じ込むことが異常の中核だというニュアンスがある。しかし、私の実感としては、そう信じること自体が異常なのではない。信じるという「判断」ではなくたとえば「アイドルが結婚の約束をしてくれた」ということがありありとリアルに感じられること、そのクオリアの強度が異常なのだ。
もし正常な人が患者が感じているのと同じ強度のクオリアを感じたとしたら、その人もその「約束」を信じるに違いない。すなわち、信じることが異常ではなく、信じてしまうほどクオリアが強いことが異常なのだ。

ただし、哲学的にはこの私の考えには問題がある。それは、意識上でクオリアを与える側と受け取る側(信じる意識)を分割できないからだ。赤いリンゴを見て「美味しそうなリンゴだ」というクオリアを感じているとき、そのクオリアだけが所与の実感として与えられている。そのクオリア自体と「美味しそうなリンゴだ」という判断自体とを切り分けることは難しい。脳の中に、クオリアを受け取ってリアルだと判断をくだすホムンクルス=小人はいないからだ。

面白いことに、治療に使われる抗精神病薬の働きにおいては、この哲学的問題は回避されている。ドパミン仮説では神経細胞間でドパミンという神経伝達物質が過剰に伝わると症状が出るとされ、薬はドパミンを遮断するのに使う。おそらく、伝わるドパミンが多いほどクオリアが強くなるのだろう。遮断されればクオリアの強度が正常に近くなり、妄想が消えるのだ。

(799字)

このエッセイについて

作者意図

私が自著『手記 私はいかにして統合失調症から回復したのか~統合失調の人とその周辺の人々へ』の出版企画書を城村先生とブラッシュアップしていた当時のことです。

先生から今回の課題本を紹介され、「統合失調症について、脳内で起きている出来事をこの本のように考察する内容を入れたらどうか?」という提案を受けました。若いころ、この課題本については三分の一ほどを読んでいてそのままになっていたこともあり、先生の意図はすぐにわかりました。

自分で考え今回のエッセイの原型のような考えがまとまりました。そこで「信じ込むことが異常なのではなく、それをリアルに感じすぎてしまうことが異常なのだ」という考えを主治医に伝えてみたのですが、「いや、『脳内にマイクロチップを埋め込まれた』みたいなことを信じることのほうが異常だと思う」と反論され、私自身の考えをひっこめてしまいました。自著にも書きませんでした。

今回、ふみサロの課題本になったので、良い機会だからもういちど自分の考えを振り返り、多少アップグレードさせてエッセイにしてみました。

完成までの経緯

この作品は第1稿です。

課題本全体を読み直すのに思いのほか時間がかかり、読了したのが締め切り日の夜八時でした。作者意図に書いた意図はありましたが、別のアイデアが出るかもしれないと思い、少し考えましたが、あまり浮かばなかったので、この内容で行こうと決めました。

内容自体は書けたのですが、字数制限内に収めるのに苦労し、2時間半くらいで完成させました。


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