ぼくの好きな先生と結晶性知能
小学6年生のときの担任が言っていた。「勉強をするのは君達若い10代が一番得意なんだ。大人になると記憶力はどんどん下がる。だから何でも吸収できる今のうちに頑張って勉強しなさい」と。
学生時代を経てさらに長年働きアラカンになった私が現在思うのは、あの担任の言葉は当時の一般常識と先生自身の実感と愛とを込めたしかし陳腐な、いや多分にありきたりな説教だったということだ。
念のため言うと、担任の言葉に自分の生徒に対する大きく誠実な愛が込められていたことにまったく疑念はない。しかし同時に付け加えると、「博士とか科学者とか言われる人たちはみんな大人だよな。みんな大人になってから深い学びや研究を達成しているじゃないか」と当時自分で考えたりもしていたのだ。だから、「はい。先生は僕たちに勉強してほしいんですね。わかりました勉強します。だからそんな取って付けたような理由は言わなくて良いですよ」という結論を出して自分なりに納得した。やはり念のため言っておくと、その担任の先生は今もって私の「ぼくの好きな先生」だ。太田先生は煙草が好きだった。美術の先生じゃなかったけど。
実際のところ、俗に「記憶力の低下」と表現される脳の変化の裏には2種類の知能の興亡があるらしい。
1971年というから私が小学校に上がる前年、キャッテルという研究者が、人間には流動性知能と結晶性知能の2種類の知能がありそれぞれがピークを迎える時期は異なる、と初めて提唱したという。前者は新しい問題に対処する能力や論理的思考力を指し、後者は過去の経験や学習を通じて蓄積された知識を活用する能力を指す。それぞれの生産性曲線は図のようになるらしい。

流動性知能のピークが30代半ばだという。だとすると結晶性知能のピークは70代だ。アラカンの私たちには結晶性知能があるのだ。それを活用しようではないか!
えっ? 結晶性知能は具体的に何をする知能かって? それはChatGPTが教えてくれますよ!
(800字)
このエッセイについて
作者意図
課題図書のテーマは勉強法ですが、その切り口であり根拠でもある「大人になってからの脳の変化」について、それを象徴的に実感として表現していた私の小学生時分の担任の言葉が思い出されました。そして、しばらく前に読んだ本に2種類の知能についての説明があったことを思い出し、中年以降に高まる結晶性知能をアピールして結びにしようと決めました。
厳密に言うと、記憶力自体と流動性知能は丸々重なっているわけではないので、話題を変えるところで❝俗に「記憶力の低下」と表現される脳の変化❞ と挿入してツッコミを防ぐ試みをしています(笑)。
また、課題図書で言う脳の変化が流動性知能から結晶性知能への変化と関連しているか否かもわかりません。しかし、どちらも大人になることで生じる脳の変化としては同じだと判断しました。
担任の太田先生に対する評価を、辛辣にしたり愛着を述べたりと両極端な表現を使って面白くなるよう工夫しました。最後の結びは、字数制限のため書けなかった「じゃあ結晶性知能で何をすれば良いのだ?」という当然の疑問へのフォローとして付けました。
完成までの経緯
課題本はkindleで1月25日に購入しました。実質二日間程度をかけて月末までに読了しました。しかし、何を書いたら良いかというアイデアが浮かばず、少し寝かせようと思っているうちにあっという間に時間が過ぎ2月20日になってしまいました。締め切り3日前です。アイデアのないままiPhoneのメモアプリにとりあえずの取っ掛かりとして担任のエピソードを絞り出し書いていきました。
それをパソコンに転送してワードに書いていくと、次のエピソードとしておなじく小学生の時にテレビ放映された中年の大学受験生のエピソードを思い出しました。中年でも、模試の成績は現役高校生に負けていないという話でした。それを書き加えて20日は終えました。翌日、流動性知能と結晶性知能の話を思い出して、それを後半として全体ができ上りました。しかし字数がオーバーしているし、深く読み込むと前半の二つのエピソードが内容でつながっておらず、不協和すらあると感じました。そこで中年の大学受験生のエピソードを削除して完成としました。22日に微調整を施して仕上げました。さらに「このエッセイについて」を書きました。
2つの知能の話を思い出して書いたと言いましたが、書き終わってみると課題本を読了してすぐにこの話を書くと予感されていたような気がします。担任のエピソードも「あまり面白く書けそうもない」という先入観がブレーキとなり書き始めなかっただけなような気がします。始めてみれば、案ずるより産むがやすしでした。この経験を今後に生かしていきたいです。
