メモリとストレージ・記憶の「器」がまだ小さかった頃の話 - - パソコン黎明期の記憶
はじめに
今のPCやスマートフォンは、何でも覚えていてくれます。
動画も写真も、あるいは数万通のメールでさえも、一瞬で取り出せるのが当たり前になりました。
しかし、かつてデジタルな「記憶」は、とても脆くて高価な宝物のようなものでした。
電源を切った瞬間にすべてが消えてしまうという、あの独特の緊張感を覚えている人は、もう少なくなっているかもしれません。
かつてのコンピュータが、どのように情報を「覚えて」いたのか。
少しだけ時計の針を戻してみたいと思います。
1.記憶の役割分担:メモリとストレージ
コンピュータには、大きく分けて二つの「記憶装置」があります。
作業中の書類を広げるための机、つまり主記憶装置(メモリ)。
そして、作業が終わった書類をしまっておく引き出し、つまり補助記憶装置(ストレージ)です。
この役割分担は、黎明期から現代まで変わらない基本構造なのです。
しかし、昔はこの「机」が切手のように狭く、「引き出し」は重くてすぐ詰まってしまうものでした。
技術的には、CPUという処理装置が直接やり取りできるのがメモリで、それでは容量が足りないから別の場所に保存しておこう、というのがストレージの存在意義です。
この二つのバランスをどう取るかが、当時の設計者やユーザーにとっての最大の悩みでした。
2.主記憶装置:1キロバイトを巡る、美しき格闘
メモリの世界は、かつて「KB(キロバイト)」という単位が支配していました。今では考えられないほど、その領域は切実なものでした。
当時は「いかに少ないメモリでプログラムを動かすか」が技術者の腕の見せ所だったのです。
(1)容量の壁
初期のPC(PC-8001やApple IIなど、8ビットCPUを使用したPC)は、標準で16KBや64KBといったメモリしか積んでいませんでした。
「64KBの壁」という言葉が生まれるほど、1MBに遥かに満たない容量が世界のすべてだった時代です。
これは現代のデジカメで撮った写真一枚の、百分の一にも満たない広さです。
そこにOSを載せ、プログラムを載せ、データを開く。
まさに「ハガキの上に、百科事典を広げる」ような工夫が必要でした。
【参考】CPUのアドレス空間
・8ビットCPU:Intel 8080,Z80, M6502など
データ幅:8ビット
アドレス幅:16ビットが多い
→ 64KB のアドレス空間
・16ビットCPU:Intel 8086など
データ幅:16ビット
アドレス幅:20〜24ビットなど
→ 1MB(20ビット)
・32〜64ビットCPU:x86-64など
データ幅:32〜64ビット
アドレス幅:実装上は48ビット〜
→ 256TB〜
(2)メモリ増設
増設という行為も今よりずっと儀式的だったように感じます。
マザーボード上にある空きのソケットに、ムカデのような形をしたICチップを慎重に差し込む。
静電気で壊してしまわないか、指先の感触に神経を研ぎ澄ませたものです。
・DRAMとSRAM
高価なSRAM(静止型)に対して、安価だがリフレッシュが必要なDRAM(動的)が主流になりました。
当時はマザーボードのソケットに直接ICチップを差し込んで増設することもありました。
・SIMM(シム)の登場
90年代に入ると、複数のメモリチップを基板に載せた「SIMM」が登場して、30ピンや72ピンといった規格でメモリ増設が一般的になりました。
(3)プログラミングの美学
プログラミングの美学もここにありました。
メモリが足りなければ、動かない。だからこそ、当時のエンジニアたちは、無駄なコードを一文字ずつ削り、いかに「狭い机」で優雅に躍らせるかを競っていました。
それは、制約があるからこそ生まれる、工芸品のような知恵だったと言えるでしょう。
3.補助記憶装置:物理的な手触りのある保存
一方のストレージは、情報を物理的に「形」として残すための場所でした。
「電源を切っても消えない場所」の確保は、黎明期において最も苦労した部分でなのす。
最も親しみ深かったのは、カセットテープやフロッピーディスクといった磁気メディアです。
(1)カセットテープ(CMT)
データが音として存在していた、少し不思議な時代です。
専用のデータレコーダーを使用して、カセットテープにプログラムを保存していた頃は、「ピー、ガー」という音を聴きながら、数KBのデータを読み込むために数分間待つのが日常でした。
(2)フロッピーディスク(FD)
やがてフロッピーディスクが普及し、情報の持ち運びが現実的になりました。
8インチから始まり、5インチ(ペラペラ)、そして3.5インチ(硬いケース)へと進化しました。
OSの起動すらフロッピー数枚を入れ替えて行う「ディスク交換の儀式」がありました。
あの「ガシャッ」という挿入音は、これから新しい世界を読み込むという合図でもあったのです。
(3)ハードディスク(HDD)
初期は「高嶺の花」でした。
20MB(GBではなくMB)で十数万円することも珍しくなく、物理的に重く、衝撃に極めて弱い精密機械でした。
今の感覚なら、高級ブランドの時計を買うような決断が必要だったのです。
それでも、フロッピー数十枚分をひとまとめにできる魔法の箱として、誰もが憧れたものです。
今のSSDのような無音ではなく、ディスクが回転する独特の風切り音と、ヘッドが動くシーク音が、パソコンが生きていることを実感させてくれました。
(4)CD-ROM
90年代半ば、マルチメディアブームと共に普及しました。
640MBという「無限」とも思える大容量に当時のユーザーは驚愕したものです。
(5)RAMディスク
物理ドライブではありませんが、低速なHDDやFDを補うために、貴重なメモリの一部をストレージとして扱う手法が流行しました。
4.当時特有の概念:不便が育んだ「お作法」
黎明期には、今のOSでは隠蔽されてしまった、むき出しの概念がいくつもありました。
一つは、メモリの「バンク切り替え」や「EMS」といった拡張手法です。
CPUが直接扱えるメモリ量には限界があったため、小部屋をいくつも用意して、スイッチで切り替えるようにして使っていました。
これは、限られた空間を最大限に活かそうとする、先人たちの執念の産物です。
もう一つは、データの「物理的な保護」です。
フロッピーディスクの角にある書き込み禁止ノッチ。あれを指先でスライドさせたり、シールを貼ったりすることで、物理的に上書きを防いでいました。
データという目に見えないものを守るために、最後は「手触りのある物理」に頼っていたのが、今思えばとても人間味に溢れています。
おわりに
技術が進化して、メモリやストレージは「意識しなくていいもの」になりました。
それは素晴らしい進歩なのですが、同時に、一文字や一画素を大切に扱っていたあの頃の感覚が、少しだけ恋しくなることもあります。
机が狭かったからこそ、私たちは工夫をし、引き出しが重かったからこそ、本当に残すべきものを選び取っていたのかもしれません。
潤沢なリソースに囲まれた今、あえてあの不便だった時代の「知恵」を思い返してみるのも、悪くないのかもしれません。
書籍の紹介
・パソコン新世紀 32ビット・パソコンの時代 (講談社文庫) Kindle版
脇英世 (著) 形式: Kindle版
講談社 (1987/7/15)
32ビットCPU搭載機の登場で、パソコンは新しい局面に突入し、確実に新世紀を迎えた。コンピュータ界の巨人IBMがパソコン市場に参入するに当たり、16ビットCPUを採用して大成功したが、1987年4月、ふたたびIBM衝撃の発表である。コンピュータ界の巨人が放った新パソコン戦略とは?
( ※ 書籍の解説等は原則としてリンク先(Amazon)における解説をベースに記載しています。詳細内容はリンク先を参照願います。)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
・僕らのパソコン 30年史 ニッポン パソコンクロニクル Kindle版
SE編集部 編集
翔泳社(2012/12/20)
写真で振り返る、ニッポンのパソコン歴史教科書。30年以上を通して変化したパソコンを2部構成で、写真を多用し世相にも触れながら、時間の流れの中で大きな変化をわかりやすく解説。第1部を年代ごとのトピックの解説にあて、当時の開発者や関係者への「証言(ターニングポイント)」を盛り込み、開発秘話などを明らかにしている。第2部では、PCアーキテクチャなどをテーマごとにまとめている。
( ※ 書籍の解説等は原則としてリンク先(Amazon)における解説をベースに記載しています。詳細内容はリンク先を参照願います。)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!