パソコン以前・世界初のデジタル計算機「ENIAC」と真空管が変えた計算の世界 - - パソコン黎明期の記憶
その機械が動き出すと、街一帯が停電する
まるでB級SF映画のようですが、これは1940年代のアメリカで本当に囁かれていた都市伝説です。犯人の名はENIAC(エニアック)。世界初の汎用電子計算機、つまりコンピュータのご先祖様にあたります。
重さはなんと30トン、広さは家一軒分。現代の私たちがポケットに入れているスマホのルーツは、驚くほど大食いで、不器用で、とてつもなく巨大な「怪物」でした。
この怪物の心臓部でチカチカと光っていたのが「真空管」です。今ではレトロなオーディオアンプくらいでしか見かけないガラスの球が、なぜ現代のIT社会を切り拓く主役になれたのでしょうか。
そこには、技術者たちの泥臭い執念と、アナログからデジタルへと舵を切った歴史の大きな分岐点がありました。
ギヤの摩耗を嫌った人類が、電気の速度に賭けた日
ENIACが生まれる前、計算機といえば歯車を噛み合わせた機械式や、電圧の強弱で計算するアナログ式が主流でした。潮の満ち引きや大砲の弾道など、自然界の「連続する変化」をそのまま測るには、アナログ計算機はとても直感的で便利だったのです。
しかし、そこには致命的な弱点がありました。歯車は使えば使うほど摩耗しますし、電圧は回路の熱やノイズでどうしてもブレてしまいます。つまり、計算結果に「あいまいな誤差」が紛れ込んでしまう。より遠くへ、より正確に大砲を撃ちたいという軍事的な要請の前で、この誤差は無視できない問題になっていきました。
そこで人類は、あえて現実世界のなめらかな変化を捨てて、割り切ることにしました。「0か1か」「電流が流れているか、いないか」という不連続な世界、すなわちデジタルの誕生です。
最初はパチパチと物理的にスイッチが切り替わる「リレー」という部品が使われました。しかし、機械的な動きには速度の限界があります。もっと早く、圧倒的に早く計算したい。その欲望に応えたのが真空管でした。中に可動パーツを持たず、ガラス管の中を飛ぶ電子の動きだけで電流をコントロールする。この「光るスイッチ」の採用によって、計算速度は一気に数千倍へと跳ね上がることになります。
部屋そのものが頭脳だった、150平方メートルの狂気
そうして1946年、アメリカのペンシルベニア大学で産声をあげたENIAC。その姿は、およそ現代のコンピュータとはかけ離れたものでした。
約1万8,000本もの真空管が、壁一面のパネルにびっしりと並んでいる光景を想像してみてください。消費電力は150キロワット。これは現代の一般的な家庭が何十軒も同時に電気を使うようなレベルです。当然、部屋の中はすさまじい熱気に包まれ、夏場でなくても室温は50度近くまで上昇したといいます。技術者たちは汗をかきかき、巨大な怪物の機嫌を伺っていました。

けれども、その働きぶりは文字通り革命的でした。それまで人間の数学者が20時間かけて必死に解いていた弾道計算を、ENIACはわずか30秒で処理してしまったのです。大砲の弾が発射されてから着弾するまでの時間が約30秒ですから、弾が飛んでいる間に計算が終わってしまう。
それまで「コンピュータ(計算手)」といえば、机にへばりついて計算尺を動かす「人間の役職名」でした。しかしENIACの圧倒的なパワーを前に、その言葉は完全に「機械の名前」へと上書きされることになります。
ビジネスや組織のあり方が、テクノロジーによって根底から変わる。まさに元祖DXとも言えるパラダイムシフトが、ここにあったのです。
キーボードのない部屋で、ケーブルと心中する
現代のITエンジニアがENIACの時代にタイムスリップしたら、きっと絶望するに違いありません。なぜなら、そこには「ソースコードを書く」という概念も、それを記憶しておく「メモリ」さえも存在しなかったのですから。
別の計算をさせたいとき、技術者たちはどうしたか。数日かけて、数千本ものジャンパケーブルを巨大なパネルに手作業で抜き差しし、ダイヤルを一つずつ回して「物理的な回路」を組み替えていたのです。プログラムを組むとは、文字通り配線作業そのものでした。
この過酷で緻密な作業を支えたのは、かつて人間の計算手として集められていた6人の女性たちでした。彼女たちは図面を読み解き、どの穴にケーブルをさせば正しい答えが出るのかを、文字通り這いずり回りながら模索したのです。

さらに、運用はトラブルの連続でした。数時間に1本という高確率で、どこかの真空管がパーンと音を立てて寿命を迎えます。システムが急停止するたびに、技術者たちは広大な回路の海へ飛び込み、切れたガラス管を目視で探し出さなければなりませんでした。
現代のエンジニアが画面のログを見てバグを探すように、当時の技術者は「物理的な電球切れ」と戦っていたわけです。なんとも泥臭く、しかし人間味に溢れた現場だと思いませんか。
怪物の弱点が残した、未来へのギフト
ENIACと真空管の時代は、長くは続きませんでした。「巨大で、熱く、すぐ壊れる」という弱点は、裏を返せば、人類に対する強烈な宿題だったのです。
この弱点をなんとかしたいというエンジニアたちの執念が、やがて真空管に代わる小さな「トランジスタ」を生み出しました。そしてそれらを1枚の板に詰め込む「IC(集積回路)」へと繋がっていきます。
もしENIACという不器用な怪物が、その圧倒的な計算速度で未来の可能性を示してくれなかったら、人類はこれほど必死に部品を小さくしようとはしなかったことでしょう。
私たちは今、指先ひとつで世界中の情報を検索し、誰かとつながることができます。それは、あの熱気渦巻く部屋の中で、切れた真空管を探して右往左往していた先人たちの足跡があるからに他なりません。
スマートフォンが少しだけ熱を帯びたとき、小さな画面の向こう側に、かつて部屋中を埋め尽くしていた30トンの怪物の影を感じてみるのも、悪くないかもしれません。
写真の元情報
・ ENIAC-01
【徒然メモ】ENIACと真空管の時代
1. 【技術の転換】アナログからデジタルへの変革
この時代は、長さや電圧などの「連続する量」で計算していたアナログ計算機から、0と1の「不連続な数値(デジタル)」で処理する計算機へのパラダイムシフトが起きた瞬間です。
(1)「歯車や回路」から「電子の動き」へ
・それまでの計算機は、歯車を回したり(差分機関など)、微分解析機のように電圧の強弱(アナログ量)を測定したりして計算していました。
・ENIACは、電気のON/OFF(スイッチング)というデジタルな状態を電子的に作り出すことで、圧倒的な超高速化を実現しました。
(2)「真空管」という革新的なスイッチ
・物理的に動く「リレー(電磁継電器)」によるデジタル計算機もありましたが、速度に限界がありました。
・機械的な可動部を持たない「真空管」を採用したことで、電流の切り替えスピードが数千倍に跳ね上がりました。
2. 【怪物マシンの誕生】ENIACのスペックと圧倒的なスケール
世界初の汎用電子計算機「ENIAC(エニアック)」がどれほど規格外の存在だったのか、その規模感を示す事実です。
(1)巨大な「部屋」そのものが計算機
・総重量:約27〜30トン
・設置面積:約150平方メートル(一般的な一戸建てや、広めのオフィス一フロア分)
(2)1万8,000本の真空管が放つ熱と電力
・約18,000本の真空管、7万個の抵抗器、1万個のコンデンサで構成されていました。
・消費電力は約150kW(現代の一般的な家庭、数十軒分以上)。
・稼働させると「部屋全体が強烈に熱くなり、周囲の街が停電する」という都市伝説が生まれるほどでした。
(3)驚異的な計算速度
・弾道計算(大砲の弾がどこに落ちるか)を目的として開発されました。
・それまで人間の計算手が「20時間」かけていた計算を、わずか「30秒」で終わらせ、人間を驚愕させました。
3. 【黎明期の苦闘】驚くべき運用実態とプログラミング
現代の「パソコン」からは想像もつかない、当時のエンジニアたちの過酷な運用の裏側です。
(1)プログラムは「配線の踏み替え」だった
・当時は、現代のようにキーボードでコードを打ち込んで記憶させる仕組み(ストアドプログラム方式)はありませんでした。
・計算内容を変えるには、技術者が巨大なパネルの前で無数のケーブルを物理的に抜き差しし、ダイヤルを回す必要がありました(準備だけで数日かかることも)。
(2)日常茶飯事の「真空管の寿命(バグ)」
・数時間に1本のペースで真空管が寿命を迎え、破裂したり焼き切れたりしました。
・計算がストップするたびに、技術者たちは広大な回路の中から「どの真空管が切れたか」を目視や手作業で探し出していました。これが文字通りの「ハードウェアのメンテナンス」でした。
4. 【現代への遺産】ビジネス・IT・社会への影響
この時代が、のちの「パソコン黎明期(1970年代〜)」や現代のIT社会にどうつながっていくのかという視点です。
(1)「計算手(Computer)」が人間の役職から機械の名前に
もともと「コンピュータ」とは、手計算を行う「人間の計算手」を指す言葉でした。ENIACの登場以降、その役割は完全に機械へと置き換わっていきました。
(2)軍事から商業・科学への橋渡し
戦時の弾道計算としてスタートした技術ですが、後に天気予報、原子力の研究、そして人口統計など、ビジネスや社会を支えるデータ処理の土台となりました。
(3)「もっと小さく、もっと信頼性を」という情熱の原点
「真空管はデカい、熱い、すぐ壊れる」という最大の弱点を克服するために、のちに「トランジスタ」が発明され、それが「IC(集積回路)」となり、やがて1つのチップ(CPU)になって「パソコン」へと小型化していきます。ENIACの弱点こそが、テクノロジー進化の最大の起爆剤でした。
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( ※ 書籍の解説等は原則としてリンク先(Amazon)における解説をベースに記載しています。詳細内容はリンク先を参照願います。)
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