「ご苦労さま」と「お疲れさま」、殿様と楽屋が生んだ、ふたつの労い - - 言葉遊びの遊悠エッセイ
朝の9時過ぎ。オフィスでパソコンの電源を入れたばかりのタイミングで、すれ違った同僚から
「あ、お疲れ様です〜」
と声をかけられました。思わず
「お疲れ様です!」
と返しつつ、首をかしげてしまうのです。
待てよ、まだ出社して10分だし、何も疲れるようなことしてなくないか?
日本人は、どうやら疲れていなくても「お疲れさま」と言うらしいのです。
もはや「こんにちは」や「どうも」と同じような、人と人との間にある摩擦を減らすための滑らかな潤滑油です。
けれども、この「お疲れさま」と双子のように並んでいる「ご苦労さま」という言葉を混ぜこぜにして使うと、途端に人間関係のエンジンが奇妙な異音を立て始めてしまいます。
このふたつの言葉、似ているようでいて、生まれも育ちもまったく違います。
「ご苦労さま」のルーツをたどると、いきなり時代劇の世界にぶつかります。
漢字を眺めれば分かる通り、
「ご・苦労・様」
なのです。
相手に掛けさせた苦労を労う言葉なのですが、その背景には殿様と家臣の姿が透けて見えます。
「大儀であった」
「苦労をかけたな」
という、上から下への労い。構造として、自分が上で相手が下、という位置関係が最初から組み込まれているのです。
だからもし、タイムトラベルでやってきた江戸時代の侍が現代のオフィスにいたら。
若手社員が社長に向かって
「社長、ご苦労様です!」
と爽やかに声をかける場面を目撃した瞬間、間違いなく顔をしかめるはずです。
「ぬふっ!? 無礼者!
お主、何ゆえ上様に向かって
『苦労を評価してやる』
などと不遜な口をきいておるのだ!」
と。
あわや刃傷沙汰になりそうです。
私たちが悪気なく使っている「ご苦労さま」には、知らず知らずのうちに、小さな「殿様ビーム」が含まれてしまっているのかもしれません。
一方で、「お疲れさま」の育ちはもう少し軽やかで、どこか泥臭いのです。
この言葉が社会に広まったのは、比較的新しく、昭和の高度経済成長期あたりのことです。
もともとは演芸界や芸能界の「楽屋言葉」だったというから面白い。
「お師匠さん、お疲れ様でございました」
と楽屋で交わされていた業界用語が、猛烈に働くサラリーマン社会へ感染し、定着していったのだといいます。
「お疲れさま」の根底にあるのは、上下関係ではなく共感です。
「共に同じ時間を過ごし、同じように汗をかいた仲間」という、横並びの連帯感なのです。
だからこそ、上司から部下へはもちろん、部下から上司へ使っても失礼になりません。同じ舟に乗っているのだから、お互いに「お疲れさま」で良いのです。
そう考えると、現代の私たちが直面するちょっとしたマナーの迷走も愛おしく思えてきます。
例えば、家に届いた荷物を受け取るとき。宅配便の配達員さんに何と声をかけるべきか。
「ご苦労さまです」
と言いかけて、ハッと口をつぐむ人が最近増えているそうです。無意識に「業者=下」という構図を作ってしまうのを避けるためか、
「ありがとうございます」や
「お疲れ様です」
に言い換える人が多いのだとか。
言葉の持つかすかな「上から目線」を、みんなの皮膚感覚が敏感に察知して、自然と変化させているのでしょうか。
言葉は辞書の中で静止しているのではなく、私たちの街角で生きているのです。
マナー本を開けば、「部下に『ご苦労様』はOKだが、上司にはNG」といった機械的なルールが並んでいます。
けれども、大切なのはテストの点数を取ることではない気がします。
なぜ「ご苦労さま」が上司に失礼なのかといえば、単にマナー講師が怒るからではありません。その言葉の歴史的な響きのなかに「相手をちょっと低く見積もるニュアンス」が紛れ込んでしまうからなのです。
言葉の服を着せるとき、相手に寒々しい思いをさせないための小さな配慮。
マナーとは要するに、お互いが気持ちよく過ごすための「優しさのドレスコード」なのでしょう。
朝一番の、誰も疲れていないオフィス。そこで交わされる
「お疲れ様です」
は、考えてみれば少し可笑しな文脈のバグかもしれません。
それでも、
「今日も一日、お互い無事に乗り切りましょうね」
という透明なエールだと思えば、悪くない響きなのかもしれません。
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