「あとでやる」を増殖させない! - - 涼しい顔でタスクをこぼすための仕事術
「あの件、あとでメール送っておいてね」
すれ違いざまに声をかけられて、作業中の画面から目を離さないまま「あ、はーい」と生返事を返します。
よくあるオフィスの風景です。一日に何度も繰り返すやり取りかもしれません。
あの瞬間、私たちの脳の引き出しには、名前のない透明な書類がぽんと放り込まれているのです。メモを取るほどでもない、数分で終わるはずの小さな用事。それなのに、夕方になるとデスクの端や、チャットツールの未読マークが、まるで意志を持った生き物のように増殖しているのはなぜでしょうか。
今日も終わらなかった、とため息をつきながらPCを閉じる帰り道、私たちは決まって自分を責めてしまいます。意志が弱いからだ、とか、優先順位の付け方が下手だからだ、とか。
でも、少し視点を変えて考えてみたいのです。本当に私たちが怠惰なだけなのでしょうか。
「優先順位」という美しい幻想
私たちは新人研修のころから、重要度と緊急度のマトリクスを叩き込まれます。縦軸に重要性、横軸に緊急性を置いて、4つの部屋にタスクを分類する、あの有名なフレームワークです。
教科書としては美しく、完璧に思えます。しかし、いざ実戦のフィールドに立つと、このマトリクスは驚くほど簡単に機能不全を起こします。
現場のタスクは常に生き物のように動いているのですから。
一般のビジネスマンであれば、突然差し込まれる上司からの「ちょっといい?」や、クライアントからの緊急の電話によって、午前中に組み立てた優先順位は一瞬で上書きされてしまいます。
一方、ITの現場でコードを書くエンジニアなら、全く別の力学が働きます。
彼らにとって最も尊いのは「ゾーン」に入っている時間、つまり全集中して思考を巡らせているフロー状態です。今まさにバグの原因を突き止めようとしているその瞬間に、「仕様書のドキュメントを更新しなきゃ」というタスクが頭をよぎっても、それを実行するわけにはいきません。集中力の糸を切らないために、脳は無意識に「あとで」のバケツにそれを放り込むのです。
つまり、「あとでやる」という行為は、サボりではなく、目の前の最も価値ある仕事を守ろうとする、脳の極めて正常な防衛本能(生存戦略)なのです。
保留した自分を責める必要なんて、どこにもありません。
雪だるまが巨大化する、本当の正体
保留すること自体が正当な防衛だとして、問題はそのあとです。なぜ「あとで」は、気づけば手が付けられないほどの雪だるまになって目の前に立ちはだかるのでしょうか。
理由はシンプルです。私たちが「あとで」と決めた瞬間のタスクは、解像度が粗すぎて形が見えないからなのです。
例えば、一般のビジネスマンが「提案書の修正をあとでやる」と心に決めたとします。この「提案書の修正」という言葉は、脳にとっては大きすぎます。具体的にどのページを、何のデータを使って直すのかが決まっていないため、いざ時間が空いたときに「重たいな」と感じてしまうのです。その結果、再び後回しにしてしまう。これが判断疲れの始まりです。
エンジニアの世界でよくある「コードの綺麗化(リファクタリング)はあとで」も同じです。動いているから今は放置する。しかし、その「あとで」の単位が大きすぎると、数週間後にはどこから手を付けていいか分からない「巨大な技術負債」というモンスターに育ってしまいます。
脳の外に一時的な置き場所を作らず、自分の記憶力という頼りないメモリに頼ってしまうことも拍車をかけます。チャット、手帳、メール、デスクトップ。いろんな場所に「あとで」が散らばった結果、私たちは「何かを忘れているかもしれない」という、得体の知れない不安だけで脳のエネルギーを消耗していくのです。
小さな罠を仕掛けて、涼しい顔で回収する
では、私たちはどうすればいいのでしょうか。
「すぐやる人」に生まれ変わる努力は、おそらく長続きしません。必要なのは、後回しにする自分を許容しながらも、それを確実に、かつ楽に回収する「仕組み」を作ることなのです。
まず心がけたいのは、タスクの「小粒化」です。
「マニュアル作成をあとでやる」ではなく、「マニュアルの目次を3行だけ書く、をあとで」に変えてみます。エンジニアなら、コードの中に「TODO:あとでここを共通化する」と1行コメントを残すだけでいい。
5分で終わるサイズにまで細切れにしておくのです。これなら、次にそのタスクと目が合ったとき、脳が拒絶反応を起こすことはないでしょう。
次に、その小粒たちを放り込む「一時預かり所(インボックス)」を、1つだけに限定するのです。
お気に入りのノートでも、デジタルのシンプルなメモ帳でも構いません。散らばるから迷子になるのであって、迷子センターを1箇所に決めておけば安心です。
そして最後に、これが一番大切なのですが、カレンダーの中に「回収フェス」の時間をあらかじめ予約しておきます。
毎日夕方の15分でも、金曜日の1時間でも構いません。この時間は、新しいクリエイティブな仕事は一切せず、一時預かり所に溜まった5分タスクを、音楽でも聴きながら機械的にプチプチと潰していくだけの時間にします。
余白のあるデスクで、次の朝を迎えるために
仕事ができる人というのは、決して超人のような意志の力で、全ての仕事をその瞬間に片付けているわけではないようです。むしろ、自分の弱さや脳のクセをよく知っていて、先回りして緩やかな罠を仕掛けている。
そんな人の方が、不思議といつも涼しい顔をして、楽しそうに仕事をしています。
「あとでやる」は、あなたが今、目の前の何かに本気で向き合っている証拠です。
だから、次にその言葉が口から出そうになったら、小さくニヤリとしてみてください。そして、それを小さく噛み砕いて、いつもの預かり所にそっと置いておく。
それだけで、あなたの明日の景色は、少しだけ風通しの良いものに変わるはずです。
【徒然メモ】「あとでやる」が積み上がるワケ
1. 「仕事の優先順位」とは何か?
単なる「やる順番」ではなく、限られたリソース(時間・脳のメモリ)をどこに集中させるかの意思決定です。
(1)リソースの最適配分
すべてのタスクを 100% の力でこなすのは不可能です。「どこを諦め、どこに全力を出すか」の境界線を引く行為そのものを指します。
(2)「重要度」と「緊急度」の評価(マトリクス分析)
A.緊急かつ重要
トラブル対応、締切直前の案件。
B.緊急ではないが重要
スキルアップ、業務効率化の仕込み、中長期の企画。
(★ここが「あとでやる」になりがち)
(3)目的から逆算した「価値」の序列
そのタスクを完了したときに、ビジネスやプロジェクトにどれだけのインパクト(利益、リスク回避、チームの進行管理など)があるかで順位を決めます。
2. 「あとでやる」が積み上がる理由
なぜ私たちはタスクを先送りしてしまうのか。その心理的・構造的な原因を、一般ビジネスマンとIT技術者に共通する要素、そしてそれぞれの固有の背景に分けて整理しました。
【心理的・脳科学的な要因(共通)】
(1)判断疲れ(意思決定の先送り)
「これをどう処理するか」を考えるだけで脳のエネルギーを消費するため、無意識に判断を保留して「あとで」を選んでしまいます。
(2)「完了」へのハードルが高すぎる(タスクの巨大化)
タスクの規模が大きすぎると、どこから手を付ければいいか分からず、心理的心理抵抗(心理的障壁)が生まれて後回しになります。
(3)不確実性への恐怖
やり方が分からない、または他人の確認が必要なタスクは、面倒に感じられて視界から外されがちです。
【一般ビジネスマン特有の要因】
(1)突発的な「割り込み仕事」の多さ
電話、急な会議、上司からの「ちょっとこれお願い」によって、本来やるはずだったタスクが押し出され、強制的に「あとでやる」に回されます。
(2)タスクの「見える化」不足
手帳、メール、チャットなど、タスクの発生源が散らかっているため、全体像が見えず「とりあえず後で探そう」と埋もれていきます。
【IT技術者特有の要因】
(1)リファクタリングや技術負債の「あとで」
「とりあえず動くから、コードの綺麗化(リファクタリング)やドキュメント作成はあとでやろう」が積み重なり、手が付けられなくなります。
(2)集中状態(フロー状態)の維持優先
メインの実装やデバッグに集中したいがために、周辺の事務作業や連絡、細かなバグ修正をすべて「あとで」のバケツに放り込んでしまう傾向があります。
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