見出し画像

【マザーグースの唄】ハンプティ・ダンプティの教訓 - - 世界を分断する「卵の殻」

壁に座った巨大な卵の運命

 「Humpty Dumpty sat on a wall...」

 この軽快なリズム!
 一度は耳にしたことがあるでしょう、

 マザーグース屈指の有名人、ハンプティ・ダンプティ氏の物語です。

 彼は、塀の上に座っていました。
 それは優雅な午後だったのかもしれませんし、あるいは単なる気まぐれだったかもしれません。
 ところが、彼は「A great fall(ひどい転落)」に見舞われてしまうのです。

 そして、ここからがこの歌の真骨頂。物語は残酷なまでに、こう締めくくられます。

All the king's horses, and all the king's men,

Couldn't put Humpty together again.

 王様の馬も、王様の家来も、彼を二度と元通りにできなかった。
 たかが子どもの歌、と侮ってはいけません。
 ここに描かれているのは、人類が直面する最も普遍的で、最も厄介な真実なのです。


第一幕:たかが卵?いいえ、彼は「運命」の比喩

 この歌が、実はなぞなぞであり、その答えが「卵 (An egg)」であるというのは、ご存じの通りです。

 卵は、一度割れてしまえば終わりです。

 どんなに優れた職人でも、接着剤でも、王様の権力でも、元の形に戻すことは叶いません。
 ここに「覆水盆に返らず」という厳粛な教訓が、カプセル化されているのです。

 しかし、彼の正体は本当にただの卵だったのでしょうか?

 この歌がイギリスで広まり始めた17世紀頃には、「Humpty Dumpty」という言葉は、ずんぐりむっくりした体型の人を指したり、あるいは蒸留酒で割ったエールビールを指す俗語でもあったそうです。

 そう、彼は当初、少しお酒に酔った陽気なおじさんだったのかもしれませんね。

 ところが、歴史の光を当てると、さらに意外な「顔」が見えてきます。


第二幕:大砲か、それとも暴君か?ハンプティ氏の二つの顔

 最もロマンあふれる説の一つは、彼が17世紀イングランド内戦時代の「大砲」だったというものです。

 コロチェスター包囲戦で、街の城壁に設置されていた巨大でずんぐりした大砲が、敵の砲撃によって木っ端微塵に破壊されてしまった。

 そして、二度と組み立て直すことができなかった・・・。

 どうです?
 「王様の馬も家来も」という部分は、王党派の兵士たちが、いかに懸命に修復を試みたかという歴史的な情景を物語っていると考えると、このたかが子どもの歌が急にドキュメンタリータッチに見えてきませんか。

 もう一つ、根強いのは暴君「リチャード3世説」です。

 彼がボズワースの戦いで落馬し、二度と立ち上がれなかったという史実を暗喩している、という説。

 ハンプティ・ダンプティの「転落」は、文字通り権力の失墜を意味しているのですね。


第三幕:哲学を語る、鏡の国の巨大な卵

 ハンプティ・ダンプティの名を世界的な「知のアイコン」に押し上げたのは、間違いなくルイス・キャロルの傑作『鏡の国のアリス』への登場でしょう。

 アリスが出会う彼は、ただの卵ではありません。
 壁の上に座り、言葉の意味について延々とアリスと議論する、傲慢でユーモラスな哲学者として描かれています。

 彼はアリスに向かって言い放ちます。

 「俺が言ったとき、それがどういう意味になるかは、俺が決めるんだ。それ以上でもそれ以下でもない。」

 このセリフ!言葉の意味を固定せず、話す側が意図するままに意味が変わる、というこの主張は、後のポストモダン思想や言語哲学に通じる深遠なテーマを、巨大な卵が語っているという、実に痛快なシーンなのです。


リセットボタンのない世界で

 現代社会でも、「ハンプティ・ダンプティ的状況(Humpty Dumpty situation)」という表現は生きています。

 それは、システムが崩壊し、修復不可能な危機に陥った状況を指します。

 政治の信用、金融市場の安定、そして信頼関係・・・。
 これらは、一度崩れてしまうと、王様の馬や家来のような国家権力や、どんなに高性能なAIをもってしても、元通りにはできない。
 そのもろさを、彼は静かに、そしてユーモラスに教えてくれます。

 壁の上に座る人生はスリリングですが、いつでも転落の危険が伴います。
 そして、転落した後の人生には、「リセットボタン」が存在しない。

 私たちが学べる教訓はただ一つ。

 『大切なものは、最初から、壊さないこと。』

 壁の上に座っている「卵」を見上げながら、私たちは今日も、自身の人生のバランスを必死に保とうとしているのです。



マザー・グースの唄: イギリスの伝承童謡 (中公新書 275) 新書
 平野 敬一 (著)
 中央公論新社 (1972/1/25)
 マザー・グースの唄とはイギリスの伝承童謡の総称である。格言あり、なぞなぞあり、ナンセンスあり、英語国民の生活感覚や言語感覚の機微に満ち、そのことばは、現代英語のイディオムとなっている。このような英語文化の基盤をなすものへの理解を欠いては、高遠な文化論も文学論もむなしい。本書はマザー・グースの唄を紹介し、伝承童謡が英語文化のなかで果した役割を考える、英語に関心をもつすべての人にすすめる好著である。
( ※ 書籍の解説等は原則としてリンク先(Amazon)における解説をベースに記載しています。詳細内容はリンク先を参照願います。)

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

マザー・グース1 (講談社文庫) Kindle版
 谷川俊太郎 (翻訳), 和田誠 (その他), 平野敬一 (監修)
 講談社 (1981/7/13)
 おもしろくってくそまじめ、ナンセンスまた奇怪千万、ユーモア、ペーソス、どたばたにやり……。あらゆるおかしさがひしめきあうへんてこりんな世界。いまや全地球的財産になった「マザー・グース」の軽妙絶妙の訳に、たのしい挿絵がついた。この巻にはハンプティ・ダンプティ等が登場して全96篇。全4巻。
( ※ 書籍の解説等は原則としてリンク先(Amazon)における解説をベースに記載しています。詳細内容はリンク先を参照願います。)

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



いいなと思ったら応援しよう!

Tom.Msn よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!