「パソコン」、「私だけの計算機」に恋をした半世紀 - - 言葉遊びの遊悠エッセイ
〜 パソコン黎明期の記憶・番外編
海外のホテルで
「Is there a Pasokon here?」
と尋ねた瞬間、フロントのスタッフが不思議そうな顔で首を傾げたことはないでしょうか。こちらの焦りとは裏腹に、相手の頭の中には
「パソ・コン……新種の日本の寿司か何かか?」
という謎の想像が膨らんでいるのかもしれません。
日常的に使っている「パソコン」と言う言葉ですが、海外では通じない典型的な和製英語です。
「パーソナルコンピュータ」という長い言葉を、前半だけ切り取って縮める。リモコンやエアコンと同じ、日本人が得意とする四文字マジックの産物でした。
英語圏で同じものを探すなら「PC」あるいは単に「Computer」と呼ぶのが一般的です。
ただしアメリカで「PC」と言うと、それはほぼ間違いなくWindows搭載機を指します。Macを使う人は、頑なに「Mac」と呼び分けて譲りません。
おまけに英語圏の「PC」には、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)の略という顔もあります。「I care about PC.」と呟けば、パソコンにこだわりがある人ではなく、発言の差別的表現に細心の注意を払う真面目な人物だと受け取られてしまう。
言葉というのは、海を渡ると実におかしな化け方をするものです。
時計の針を少し巻き戻してみましょう。
1970年代、この機械は「パソコン」ではなく「マイコン」と呼ばれていました。
アメリカで1970年代半ばに登場した「Altair(アルテア)8800」は、画面もキーボードもない、ランプが点滅するだけの金属の箱でした。技術者たちはこれを「Microcomputer(マイクロコンピュータ)」、つまり超小型の計算機と名付けます。無骨で冷ややかな、いかにもハードウェアらしい命名でした。
ところが、この技術が太平洋を渡って日本に上陸したとき、面白い現象が起きます。1976年にNECが発売したトレーニングキット「TK-80」に群がった日本のマニアたちは、「Micro」の響きを脳内で「My」へと鮮やかにすり替えてしまいました。
マイカー、マイホーム、マイボトル。当時の日本は空前の「マイ〜」ブームに沸いていたのです。
無機質な電子部品の集合体に過ぎなかった計算機が、
「私だけのコンピュータ」
という情緒的な相棒へと昇華した瞬間でした。
アメリカで「Apple II」が洗練されたデザインで家庭に浸透していった頃。日本では電子工作好きの少年たちが、カセットテープの「ピー・ガー」という奇妙な読み込み音を、まるで愛しい恋人の囁きであるかのように聴き入っていたのです。
傍から見れば怪奇現象以外の何物でもありませんが、本人たちは至って大真面目でした。
1980年代に入ると画面とキーボードが一体化し、主役の座は「マイコン」から「パソコン」へとバトンタッチされます。
では、役目を終えた「マイコン」という言葉はどこへ消えたのでしょうか。実は、死んでなどいません。今も炊飯器やエアコン、自動車の内部にしぶとく潜伏し、「マイコン制御」として私たちの生活を陰で支え続けています。
表舞台から降りて、社会を支える黒衣へと出世を遂げていたわけです。
そしてWindows 95の時代、デスクトップ上に鎮座していた「マイ コンピュータ」というアイコン。あれこそは、かつて昭和の少年たちが夢見た「My Computer」の残像そのものだったのかもしれません。
「マイコン」から「パソコン」、そして「スマホ」へ。テクノロジーの形と名前は刻々と変わり続けています。けれども、巨大な社会の仕組みであったはずの「計算機」を自分自身の手元に引き寄せ、お気に入りのステッカーを貼り、壁紙を変え、「自分だけの道具」として愛でようとする人間の業のような可愛らしさは、昔も今も少しも変わっていません。
今日も私たちは、自分だけの「My PC」を開き、画面に向かって小さく頷くのです。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!