Nextコンピュータの早すぎた挑戦
はじめに
スティーブ・ジョブズはAppleを創業し、Macintoshを生み出しましたが、1985年にAppleを追放されました。しかし、彼はすぐに「Next(ネクスト)」という新たな企業を立ち上げ、次世代のワークステーションを開発します。
Nextコンピュータは、当時としては極めて先進的な技術を取り入れたマシンでした。特にハードウェア、ソフトウェア、周辺機器のすべてにおいて革新的な設計がなされていましたが、商業的には成功しませんでした。
ここでは、Nextコンピュータの詳細な技術的背景と、その挑戦の意味を書いていきたいと思います。
1.Nextの誕生から終焉まで
1.1 Nextコンピュータの設立
1985年、Appleを追放されたスティーブ・ジョブズは、新たなコンピュータを作るべく「Next, Inc.」を設立しました。ターゲットは一般消費者ではなく、大学や研究機関向けの高性能ワークステーションでした。
ジョブズは、Apple時代と同様にデザインと技術に妥協しない姿勢を貫き、Nextコンピュータの開発に取り組みます。しかし、その理想主義が商業的な成功を妨げる要因にもなりました。
1.2 AppleからNeXTに移籍した主な技術者
NeXTにはAppleから多くの技術者が移籍しています。
(1)スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)
•言わずと知れたNeXT創設者。
•Appleでの経験を活かし、「教育市場向けの洗練されたワークステーション」を構想。
•NeXTSTEPの開発を強く主導。
(2)バッド・トリブル(Bud Tribble)
•AppleのMacintoshプロジェクトのキーパーソンの1人。
•NeXTではソフトウェア部門のリーダーとしてNeXTSTEPの設計に深く関与。
(3)アビ・テバニアン(Avie Tevanian)
•MachカーネルをベースにしたNeXTSTEPの設計者。
•後にAppleに戻り、macOS/iOSの開発責任者として重要な役割を果たす。
(4)スコット・フォーストール(Scott Forstall)
•NeXTのソフトウェアエンジニア。
•Apple買収後、iOSのUIを設計するチームのリーダーとなる。
1.3 日本のキヤノンの関わり
1989年にキヤノンはNeXTに対して大規模な出資(約1億ドル)を実施しています。株式の16.67%を取得することでNeXTの大株主の一つになっているのです。
キヤノンはNeXTの技術、特に高品質なグラフィックスとソフトウェア技術(NeXTSTEP)に魅力を感じ、独自のワークステーションやプリンタ制御への応用を期待していました。
NeXTの商業的成功が限定的だったため、キヤノンの期待には応えきれなかったものの、技術的な関係は継続していました。
1.4 失敗の原因とその後
Nextコンピュータは技術的には優れていましたが、主に以下の理由で市場では成功しませんでした。
•価格が高すぎた(6,500ドル以上)
•時代を先取りしすぎた(光磁気ディスクやObjective-Cの普及が遅かった)
•ソフトウェアの対応不足(NeXTSTEP専用のアプリが少なかった)
Nextコンピュータの技術は、商業的な成功には至らなかったものの、後のコンピュータ業界に大きな影響を与えました。特にmacOS、iOS、Web技術、ソフトウェア開発の分野でその革新が生き続けています。
2.Nextコンピュータの技術と影響
Nextコンピュータは、当時のパーソナルコンピュータと比較して、非常に高性能であり、技術的にも先進的でした。
その設計を理解するために、ハードウェア、ソフトウェア、周辺機器、ネットワーク技術 の4つの視点から詳しく見ていきます。
2.1 ハードウェアの革新と影響
当時のパーソナルコンピュータとは一線を画す高性能なハードウェアを採用していました。その中でも、特に影響を残したのは以下の技術です。

(1)CPUと基本構成
•Motorola 68030(後に68040)
•32ビットRISCアーキテクチャを採用し、当時のMacintoshやIBM PCよりも高速でした。
•高度な数学演算を可能にするFPU(浮動小数点演算ユニット)を搭載しています。
•RAM(メモリ)は、最小8MBから最大64MBまで搭載可能でした(当時のPCとしては非常に大容量)。
•仮想メモリ技術をサポートし、UNIX系OSと相性が良いものでした。

(2)デザインと筐体
A.黒いマグネシウム合金製ケースを使用しています
•放熱性が高く、強度にも優れた素材を使用。
•Apple時代からのデザイン重視の姿勢が反映され、工業製品としての完成度が高い。
B.スリムでスタイリッシュなデザイン
•通常のデスクトップPCよりもコンパクトで、未来的な外観を持っていました。
2.2 ソフトウェアの革新(NeXTSTEP)と影響
Nextコンピュータの最大の革新は、独自のNeXTSTEP(ネクストステップ) OSにありました。これは現在のmacOS/iOSの基盤となった極めて重要な技術でした。
(1) UNIXベースのOS(NeXTSTEP)
•Nextは、BSD UNIXをベースに開発され、グラフィカルなOS(NeXTSTEP) を開発しました。
•UNIXの安定性と、Macintoshよりも洗練されたGUIを融合させたのが特徴です。
【後への影響】
•1997年、AppleがNextを買収し、NeXTSTEPの技術をmacOSに統合しました。
•macOSのカーネル「Darwin」は、NeXTSTEPとBSD UNIXを組み合わせたものです。
•iOSもNeXTSTEP由来の技術をベースに構築され、iPhoneの成功を支えました。
(2)オブジェクト指向プログラミング(Objective-C)
•NeXTSTEPは既存のC言語にオブジェクト指向の概念を取り入れたObjective-C というプログラミング言語を採用し、オブジェクト指向開発を可能にしました。
•ソフトウェアの再利用性が向上し、大規模な開発が容易になりました。
【後への影響】
•Appleは、NeXTSTEPのObjective-Cを継承し、iOS/Macアプリ開発に標準採用しました。
•2014年、AppleはObjective-Cを改良した「Swift」を発表しています。
•現在のiPhoneアプリの開発環境は、NeXTSTEPの技術が進化したものです。
(3)先進的なGUIと開発環境
•NeXTSTEPはInterface Builder (インターフェースビルダー)を搭載し、視覚的にアプリのGUIを作れるようにしました。
•PostScriptベースの描画システムにより、美しくスムーズな画面表示を実現しています。
【後への影響】
•Interface Builderの概念は、Appleの開発環境「Xcode」へと受け継がれました。
•現在のiPhone/Macアプリ開発者が使う「Storyboard」や「Auto Layout」などの技術は、Nextの発想から生まれていいます。

(4)Webの誕生に貢献
•世界初のWebブラウザ 「WorldWideWeb」 はNeXTSTEP上で開発されました。
•Tim Berners-LeeがNeXTコンピュータを使って、インターネットの基盤技術を作りました。
2.3 周辺機器の革新と影響
(1)高解像度ディスプレイ
•1120×832ピクセルの高解像度モノクロディスプレイを採用しました。
•PostScriptをベースとした画面描画により、美しいフォントとグラフィックを実現しています。
【後への影響】
•Nextのグラフィック技術は、AppleのmacOSのQuartz描画エンジンに引き継がれ、現在のmacOSやiOSの美しいフォントと滑らかな画面描画の基礎となっています。
•Retinaディスプレイのピクセル単位の美しい文字表示は、NextのPostScript技術の進化形といえます。
(2)光磁気ディスク(MOディスク)の採用
•取り外し可能な256MBの光磁気ディスクを標準搭載。
•耐久性は高かったものの、書き込みが遅く、普及しませんでした。
•HDD(ハードディスク)の搭載も可能。容量は330MB~660MBと、当時としては十分なストレージを確保しています。
【後への影響】
•MOディスクは普及しなかったものの、「HDD以外のストレージを採用する」という考え方は、SSDへと受け継がれました。
•AppleはMacBookでSSDを標準採用し、HDDからの移行を加速させています。
(3)Next Laser Printer
A.PostScript対応による高品質な印刷
・AdobeのPostScript言語をベースにした印刷技術を採用。
・PostScriptは、フォントやグラフィックをベクター形式(数式ベース)で処理する技術で、印刷物のクオリティを飛躍的に向上させました。
・WYSIWYG(What You See Is What You Get)を実現し、画面上の表示と印刷結果を一致させることが可能となりました。
【後への影響】
•AppleのLaserWriter(1985年)や、現在のmacOSの印刷システムに影響を与えています。
•今日のPDFの基礎技術も、PostScriptに由来しています。
B.高解像度(400dpi)のレーザー印刷
・400dpiの解像度を持ち、当時の一般的なプリンター(300dpi)よりも高品質な印刷が可能でした。
・高解像度印刷により、科学論文やDTP用途での利用を想定していました。
【後への影響】
・PostScript技術と高解像度印刷の組合わせにより、DTPの発展を後押ししました。
・後のAdobe InDesignやQuarkXPressのようなDTPソフトウェアの基礎となり、今日の出版業界にも影響を与えています。
C.シリアル接続
・一般的なプリンターはパラレルポートやSCSIを使用していたのに対し、Nextはシリアルポートを採用していました。
・プリンター内部にはDSPが搭載されており、データ処理を効率化しています。
【後への影響】
・DSPによる処理分担の考え方は、その後のネットワークプリンター(PostScript対応プリンター)の開発につながりました。
・AppleのAirPrintは、Next時代のPostScript技術の流れをくんでいます。
(4)高性能なスピーカーと音響技術
・コンピュータとしては珍しく、高品質なDSP(デジタルシグナルプロセッサ) を搭載しています。
・CD並みの音質を実現し、音楽制作にも適していました。

2.4 ネットワーク技術と影響
(1)ネットワーク標準搭載(Ethernet)
・NextコンピュータはEthernetを標準搭載し、ネットワーク機能を前提とした設計を行っていました。
・これは当時のパソコンにはない特徴で、ネットワークを活用したコンピューティングの先駆けとなりました。
【後への影響】
・NeXTSTEPのネットワーク技術は、後のmacOSのファイル共有機能や、iCloudの基盤技術へとつながっています。
・AppleはNext時代のネットワーク思想を受け継ぎ、iCloudやAirDropなどの技術を発展させました。
(2)Web技術の誕生
・世界初のWebブラウザ「WorldWideWeb(後のNexus)」は、NeXTSTEP上で開発されました。
・Tim Berners-LeeはNextコンピュータを使い、Webの基礎技術(HTML・HTTP)を作り上げています。
【後への影響】現在のWeb技術の原点
・Webの誕生は、NeXTSTEPの強力な開発環境とネットワーク技術のおかげでした。
・もしNextコンピュータがなかったら、Webの発展は遅れていた可能性があります。
3.Next社の設立から終焉まで
1985年:スティーブ・ジョブズ、Appleを辞任。
1985年9月:ジョブズがNext Inc.(のちのNeXT Computer, Inc.)を設立。主に高等教育と研究機関向けのコンピュータ開発を目指す。
1986年:Appleとの法的争いが解決し、Next社はコンピュータ開発に本格着手。
1988年:「NeXT Computer」(通称:ブラックキューブ)を発表。美しいデザインと先進的OS(NeXTSTEP)を搭載。価格が高く、教育市場への普及は限定的。
1990年:より低価格な「NeXTstation」を発売。パフォーマンスは高いが、商業的成功には至らず。
1993年:ハードウェア開発から撤退し、ソフトウェア専業に転換。NeXTSTEPを他社のハードウェア向けに提供開始。
1996年12月:AppleがNeXTを買収(約4億ドル)。スティーブ・ジョブズ、Appleに「顧問」として復帰(のちにCEOへ)。NeXTはAppleに吸収される形で終焉。
1997年以降:NeXTSTEPの技術がmacOS、iOSの基盤に。特に「Cocoaフレームワーク」「Objective-C」がApple製品の中核となる。
4.書籍の紹介
・『WIRED』 保存版特別号「WIRED×STEVE JOBS」 [雑誌] Kindle版
Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン) (著)、WIRED編集部 (編集)
コンデナスト・ジャパン; 不定期刊版 (2013/11/22)
選りすぐりの「アップル」関連記事を一冊に凝縮。 「アップル/ジョブズ」を常に同時代でウォッチしてきた『WIRED』が贈る「ジョブズ本」の決定版。
・スティーブ・ジョブズ I /II
ウォルター・アイザックソン (著)
井口耕二 (翻訳)
講談社 (2011/10/24)
アップル創設の経緯から、iPhone、iPad誕生秘話、そして引退まで、スティーブ・ジョブズ自身がすべてを明らかに。本人が取材に全面協力したからこそ書けた、唯一無二の記録。伝説のプレゼンテーションから、経営の極意まで。経営者としてのジョブズの思考がたっぷり詰まった内容。ビジネス書、経営書としても他の類似書を圧倒。
( ※ 書籍の解説等は原則としてリンク先(Amazon)における解説をベースに記載しています。詳細内容はリンク先を参照願います。)
おわりに
Nextコンピュータは、スティーブ・ジョブズの理想を詰め込んだ最先端のマシンでした。
しかし市場には受け入れられず、商業的には失敗に終わりました。
一方でその技術は今のコンピュータの基盤となり、私たちの生活の中で生き続けています。
技術の進化に「早すぎる」ということはあるのでしょうか?
Nextの挑戦は、その問いを私たちに投げかけているのです。
【使用している画像の使用元情報】
01.NextComputer
02.NextCube-MotheBord
03.NextStation-NextStep
04.NextCube-Backside
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