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「試行錯誤」、散らかして、とち狂うから面白い - - 言葉遊びの遊悠エッセイ

 私たちが仕事や人生で壁にぶつかったとき、免罪符のように使う「試行錯誤」という言葉。実はこれ、元をたどれば人間ではなく、パニックになった一匹の猫から始まった言葉なのです。

 ビジネスの現場では
  「試行錯誤を繰り返してイノベーションを……」
なんて格好良い文脈で語られがちです。でも、漢字をじっくり眺めてみてください。なんだか不穏な気配が漂っていませんか。

 「試」は言偏に式と書いて、型に当てはめて試してみるという意味。ここまではスマートです。優等生感すら漂っています。
 ところが後半の二字がよろしくない。「錯」は金偏に「昔」と書きます。この「昔」という漢字、もともとは干し肉を交差させて重ねた様子を表したもので、「入り乱れる」「とっちらかる」という意味を持ちます。さらに「誤」は、体を大きく揺らして騒ぐ様子から「とち狂う」という意味へ派生していった。

 つまり「試行錯誤」を文字通りに解読すると、
  「スマートに試そうとしたら、金属やら何やらがとっちらかって大騒ぎになった」
という惨状を表していることになります。

 最初から大散らかりすることが、漢字の成り立ちレベルで約束されているわけです。


 この言葉のルーツは19世紀末、心理学者のエドワード・ソーンダイクが行った有名な実験に遡ります。
 脱出ボタンがついた箱の中に閉じ込められたお腹を空かせた猫。猫はスマートにボタンを押そうなんて微塵も思っていません。暴れ、ひっかき、箱の中でパニックを起こす。その無駄な動きの果てに、偶然足がボタンに触れて扉が開く。

 これが「Trial and Error」、つまり「試行錯誤学習」の始まりです。

 猫が暴れる姿を想像してみてください。
 威厳もへったくれもありません。けれども、私たちがデスクで頭を抱え、コードを書き直し、プレゼン資料を何度もゴミ箱に放り込んでいる姿は、100年前の箱の中の猫と完全に一致しています。

 明治時代にこの心理学用語が日本に入ってきたとき、先人たちは見事な訳語を当てたものです。
 しかし時代が下るにつれて、この言葉は「根性論」や「泥臭い努力の美徳」として昭和のビジネス街で消費されるようになりました。
 「失敗しても諦めるな」という、どこか体育会系の重苦しさを背負わされてしまったのです。


 けれども、ITの時代になって風向きが少し変わりました。
 システム開発の世界では、エラー(錯誤)が出ることは失敗ではなく、むしろ「デバッグ」や「仕様の確認」と呼ばれます。最初から完璧なコードなんて書けないという前提のもと、短サイクルで何度もテストを回す。アジャイルやプロトタイピングと呼ばれる手法は、現代テクノロジーが「箱の中の猫」を構造化した姿と言えるのかもしれません。


 言葉は「心理学の実験」から「泥臭い根性論」へ、そして「システムの手順」へと姿を変えてきました。

 もしあなたが今、仕事で盛大なバグを出したり、企画が振り出しに戻ったりして落ち込んでいるなら、ちょっと思い直してほしいのです。

 「錯誤」のない挑戦なんて、実はこの世に存在しません。最初からうまくいくなら、それは「試行」ではなく、ただの「既知の作業」です。失敗して散らかり、頭を抱えて右往左往して初めて、私たちは「試行錯誤」という言葉の恩恵に与かることができる。

 「錯誤」こそが本体であって、「試行」なんてものは後からついてくるおまけのようなものなのかもしれません。


 もし仕事でミスをして上司に報告するときは、心の中でこう呟いてみてください。

  「すみません、しっかり錯誤しておきました」

 正しく散らかした自分を、少しだけ誇ってもいいはずです。
 箱の中から脱出するその一瞬まで、私たちは堂々と、パニックの猫のように右往左往すればいいのですから。

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