「バイキング」、ネーミングの妙が運んできた「満腹」の歴史 - - 言葉遊びの遊悠エッセイ
マーケティングにおいて、ネーミングは時に「正しさ」よりも「勢い」が勝敗を分けることがあります。
その最たる成功例が、日本独自の言葉である「バイキング」なのかもしれません。
お腹の空き具合と、目の前の料理の種類の多さ。この二つが完璧に合致したとき、私たちは小さな全能感に包まれます。
トングを片手に、整然と並んだ大皿の間を練り歩く。あの「バイキング」というシステムは、もはや日本の食風景に欠かせないものとなりました。
けれども、不思議に思ったことはありませんか。なぜ、海賊を意味する「バイキング」が、食べ放題の代名詞になったのかを。
時計の針を1950年代に戻してみましょう。
当時の帝国ホテル社長、犬丸徹三氏は、旅先のデンマークで運命的な食事に出会いました。それは「スモーガスボード(Smörgåsbord)」と呼ばれる北欧の伝統的な宴会様式。並べられた料理を、自分の好きなだけ皿に取る。この合理的で自由なスタイルを、犬丸氏は日本に持ち帰ろうと考えたのです。
しかし、ここで大きな壁にぶつかります。「スモーガスボード」という名前が、あまりに言いにくかった。
ビジネスマンなら想像がつくでしょう。新事業のネーミングが、ターゲットにとって馴染みのない、発音しにくいものだったら。どれほど中身が良くても、ブームを起こすのは至難の業なのです。
当時の日本で、そのカタカナの羅列をスラスラと言える人は少なかったはず。
そこで、社内公募が始まりました。北欧、海、力強さ。連想ゲームのような会議の中で、誰かが隣の映画館で上映されていた映画のタイトルを口にします。それが『バイキング』でした。
「北欧の海賊といえばバイキングだ」「彼らは豪快に食べるイメージがある」。そんな、今思えば少し強引な直感。これが、歴史を動かしました。
実際の海賊たちが優雅にビュッフェを楽しんでいたわけでも、北欧でこの食形態をバイキングと呼ぶわけでもありません。学術的に見れば、完全なる「誤用」に近い。
けれども、どうでしょう。この名前を聞いた瞬間の、あの沸き立つような期待感。「よし、食べるぞ」というスイッチが入る感覚は。もし、そのまま「スモーガスボード」という名でデビューしていたら、それは一部のインテリ層だけの贅沢な知識に留まっていたのかもしれません。
「バイキング」という言葉が放つエネルギーは、瞬く間に日本中を席巻しました。
昭和の高度経済成長期、人々は豊かさを求め、新しい自由を謳歌していました。そこに「好きなものを好きなだけ」というメッセージと、強そうな「バイキング」の響きが完璧に噛み合った。
言葉が実体を超え、新しい文化を創り出した瞬間です。
やがてバイキングはホテルを飛び出して、街の焼肉屋やファミレス、果ては「イチゴ狩りバイキング」なんていう、船も海賊も影も形もない場所まで広がっていきました。
言葉が独り歩きを始めたのです。もはやそれは、名詞ではなく「自由な食べ方」を指す形容詞のような存在になりました。
ホテルの朝食会場で、皿の上が山盛りになっているビジネスマンを見かけます。おそらく彼は、昨晩のプレゼンの反省や、今日の商談の段取りで頭がいっぱいなのでしょう。それでも、トングを持つ手にはどこか、冒険に出るような高揚感が漂っている。
言葉は、正しくあることだけが正義ではありません。時に、誤用や勘違いが、その土地の風土と混ざり合って、本家を超えた「素敵」を作り出すことがあります。
英語で「ビュッフェ」と呼ぶのも、フランス語らしくて洒落ています。けれども、あの銀色のトレイに反射する照明と、香ばしい匂い。その中で私たちが感じる「よーし!」というあの独特の気合いは、やっぱり「バイキング」という名前でなければ、呼び覚まされない気がするのです。
あなたがバイキングの会場に足を踏み入れるとき、1958年の帝国ホテルの会議室を想像してみてください。理屈ではなく、人々のワクワクを優先した、あの勇気あるネーミングの妙を。
そして、かつての海賊たちも経験しなかったような、平和で豊かな飽食の海へ、トングという名のオールを漕ぎ出しましょう。
多少の盛りすぎも、今日ばかりは「バイキング」の名の下に許されるはずですから。
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