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「AIに職を奪われる」と嘆く指で、AIに履歴書を書かせる私たちの皮肉な幸福 - - ITと技術のよもやまばなし

 深夜、画面の向こうにいる「彼」に問いかけてしまいます。

  「将来、ライターの仕事はなくなりますか?」

 AIは即座に、どこか他人事のような、それでいて丁寧な敬語で

  「AIはツールであり、人間の創造性を補完するものです」

なんて優等生な回答を返してくる。

 少し安心したような、でも煙に巻かれたような気分で、私は次のプロンプトを打ち込みます。

  「ところで、この職務経歴書を、もっとデキるビジネスマン風に書き直してくれない?」

 この矛盾。

 恐怖しているはずの相手に、人生の命綱ともいえる履歴書の添削を全力で頼り切っている。
 この滑稽で、どこか愛おしい人間のしたたかさが、今のIT技術を取り巻く空気感を象徴している気がしてなりません。


技術の波と、私たちが譲り渡してきたもの

 振り返れば、ITと技術の進歩は、常に「人間の身代わり」を探す旅でもありました。

 まずは「筋肉の代替」です。
 産業革命期の蒸気機関や工場の自動化は、人間の腕力や体力を機械へと移し替えました。
 当時は職を奪われることを恐れた人々が機械を壊す打ちこわし運動(ラッダイト運動)まで起きましたが、結果として私たちは重労働から解放されて、より「考える仕事」へシフトしたのです。

 次に訪れたのが「手足の代替」としてのマイコン革命。
 Excelなどの表計算ソフトが登場したとき、そろばんを弾き、手書きで帳簿を付けていた事務員たちは戦慄しました。
 けれども、計算という単純作業を機械に譲ったことで、人類はデータの分析や戦略立案という、より高度な知的領域に軸足を移すことができました。

 そして今、私たちが直面しているのが「言葉と推論の代替」です。
 生成AIは、かつての計算機とは違います。
 単なる命令への忠実な実行役ではなく、文脈を読み、意図を汲み取り、もっともらしい答えを「推論」してくる。
 これはもはや、人間のお家芸であったはずの知性の領域に、機械が土足で踏み込んできたような感覚なのです。


敵に塩を送らせる生存戦略

 それなのに、私たちはやっぱりたくましい。

 「AIに仕事が奪われる」とSNSで愚痴をこぼしながら、転職サイトに登録するための自己PRをAIに生成させています。
 ビジネスの現場では、もはやこれがスタンダードになりつつあります。

 なぜ、私たちはこれほどまでに「敵」であるはずのAIを使い倒すのでしょうか。

 一つは、評価の非対称性です。
 多くの企業が採用の一次選考にAIスコアリングを導入し始めている今、人間らしい「ゆらぎ」のある文章を書くよりも、AIが好む「正解」に近い文章をAIに書かせる方が、通過率が上がるという皮肉な現実があります。
 アルゴリズムに対抗するために、アルゴリズムを雇う。
 これはもはや、デジタル時代の武装と言えるかもしれません。

 もう一つは、私たちが自分自身のことを、実はあまりよく分かっていないという点です。
 「あなたの強みは何ですか?」という問いに数時間悩むよりも、これまでの経歴をAIに放り込み、「これを強みとして言語化して」と頼む方が、自分でも気づかなかった「自分」を提示してくれる。
 客観的な鏡としてのAIに、私たちはアイデンティティの再定義を委ね始めているのです。


指揮者としての第一歩

 「AIに履歴書を直させている自分」を、情けないと思う必要はないのかもしれません。

 かつてカメラが登場したとき、画家たちは「絵画の死」を予言しました。
 しかし実際には、写実的な記録をカメラに任せることで、人間は印象派やシュルレアリスムといった、より内面的な表現へと突き進むことができたのです。

 履歴書を添削させているその瞬間、あなたはすでにAIに支配される側ではなく、AIを従える「指揮者」への第一歩を踏み出しています。
 スキル(何をなすか)をAIが肩代わりしてくれるなら、残るのは「何を成し遂げたいか」という意思(Will)だけ。
 こればかりは、どれだけ高性能なサーバーを積んでもAIには生成できない、人間特有の「重み」です。

 技術に踊らされているようで、実はしたたかに新しい道具を自分の血肉にしようとしています。
 そんな人類の滑稽なまでの前向きさを、信じてみたいのです。

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