「推し活」、推して知るべし我が心の住人 - - 言葉遊びの遊悠エッセイ
コンビニのレジ横に並んだ、何の変哲もないミントタブレットの棚。
特定の色のパッケージだけが、まるでスポットライトを浴びているかのように輝いていました。隣の客にはただの「青色」に過ぎないそれが、私だけに捧げられた聖典の色に見えてしまったのです。
現代社会を生きる私たちは、こうした奇妙な視覚のバグを
「推し」
という二文字で片付ける術を知っています。
そもそも「推し」という言葉。その出自は、今や遠い神話の時代のようにも感じられる2000年代初頭のアイドル文化にあります。かつては「推しメン」、つまり「推薦するメンバー」という、どこか他人行儀な選挙用語のような響きから始まりました。
クラスの学級委員を決めるような、あるいは職場で優秀な部下を上に推薦するような、あの「推す」という動詞。それがまさか、魂の救済を意味する言葉にまで化けるとは、当時の誰も想像していなかったに違いありません。
歴史の階段を一段ずつ降りてみれば、この言葉の根っこには興味深い地層が隠れています。
かつて80年代には「親衛隊」という、どこか軍隊的な規律を持った集団がいました。90年代には「おっかけ」という、移動の軌跡をなぞるような行動重視の言葉が主流でした。
それらに共通していたのは、対象への一方的な「献身」です。
しかし、「推し」という言葉が発明されたことで、関係性は一変しました。
これは「好き」という感情の告白ではありません。
「私はこの人を、世に推薦するものである」
という、一種の公共性を帯びた宣言なのです。
自分の好意を客観的な「評価」という形に変換して差し出す。この謙虚な、あるいは狡猾な照れ隠しこそが、日本人の感性にピタリとはまったのでしょう。
語源をさらに深く、言葉の深淵まで遡ると、平安の昔に辿り着きます。
清少納言が『枕草子』で「うつくしきもの(可愛らしいもの)」をひたすら列挙したあの感覚。あるいは菅原孝標女が『更級日記』で、物語の登場人物に会いたくて身悶えしたあの熱量。
彼女たちは間違いなく、千年前の「推し活」の先駆者でした。
現在の「推し活」の生態系を眺めると、その進化はもはやカンブリア紀の爆発を思わせるほど多様です。
まず、最もストイックなのは「自分磨き型」と呼ばれる人々でしょうか。
推しに直接触れることはできなくても、推しの視界の端に映り込むかもしれない「背景の一部」としての自分を、極限まで美しく整えようとする。
もはやそれは信仰に近い修行です。
ダイエットや美容に励む彼女たちの瞳には、ジムのトレーナーではなく、遥か彼方のステージに立つ誰かが映っています。
一方で、非常に現代的なのが「概念消費型」の生態です。
これは高度に抽象化された知的な遊びでもあります。
推しの名前が刻まれているわけでもない、ただの紫色のグラス。推しがかつて雑誌のインタビューで「好きだ」と呟いた、特定の香りのキャンドル。
他人から見ればただの生活雑貨が、本人にとっては推しの成分を含んだ聖遺物へと変貌します。色や形、香りを媒介にして、日常の風景を「推し」というフィルターで再構築していく。彼らは、何でもない世界を愛で満たす魔法使いのようです。
さらに興味深いのは、その対象が「人間」を軽々と飛び越えてしまったことでしょう。
最近では、仏像、特定の化学元素、はたまた重機やダム、さらには歴史上の概念までもが「推し」の対象となります。
かつてのオタク文化が持っていた「詳しさの競い合い」というトゲが抜けて、代わりにあるのは「それを愛でる自分が、今、どれだけ幸福か」という一点への集中です。
「好き」という言葉は、自分と相手をダイレクトに結びつけてしまいます。
だからこそ、重い。
しかし「推し」という言葉は、間に一段、誰かに勧めるための「台座」を置くことができます。その台座があるからこそ、私たちは絶望的な距離感を保ったまま、一生届かない光を、飽きることなく推し続けることができるのかもしれません。
ふと気づけば、私もレジでその「青い」ミントタブレットを手に取っていました。
理由を問われれば、ただの「推し活です」と笑って済ませられる。
この軽やかな言葉のおかげで、私たちの重すぎる愛は、今日もなんとか社会の中に居場所を見つけているのです。
さて、明日の朝カーテンを開けたときに差し込む光が、もしあなたの「推し」のイメージカラーと同じ色をしていたら。
それはきっと、素晴らしい一日のはじまりになるはずです。
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