見出し画像

「やばい」が「マジやばい」、語彙力の敗北か、それとも感情の勝利か - - 言葉遊びの遊悠エッセイ

 渋谷の交差点で立ち止まっていたときのことです。
 隣にいた二十歳そこそことおぼしき二人組が、スマートフォンの画面を覗き込みながら、交互に「やばい」を連発していました。

  「これ、やばくない?」
  「やばい。マジでやばい」
  「だよね、やばすぎ」

 その会話には、主語も述語もありません。
 けれども彼らの間には、確かに濃密な何かが共有されているようでした。

 それは一体、何だったのでしょう。
 美味しいケーキの情報か、推しのアイドルの新譜か、あるいは明日の試験の絶望的な範囲か。


 私たちはいつから、この万能な三文字にすべてを委ねるようになったのでしょうか。

 そもそも「やばい」のルーツを辿ると、そこには案外、薄暗くてひりつくような光景が広がっています。
 江戸時代、この言葉は「厄場(やば)」と書かれ、主に裏社会に生きる人々が使う隠語でした。
 厄場とは、端的に言えば牢獄のことです。

 役人に追われる泥棒たちが、仲間に向かって「やば!」と囁く。
 それは「見つかったら牢獄行きだ、まずいぞ」という、命がけのアラートだったわけです。

 あるいは、射的場を意味する「矢場」が語源だという説もあります。
 かつての矢場は、いかがわしい商売の温床でもありましたから、そこへ足を踏み入れるのは「危ない」ことでした。

 つまり、もともとは人生の土壇場や、暗闇の淵に立つような、ヒリヒリしたネガティブな言葉だったのです。


 それがいつしか、少しずつ形を変えていきました。

 大きな転換期は、おそらく1980年代から90年代にかけて。
 バブルの残り香が漂う喧騒の中で、言葉の「バグ」のような現象が起きました。

 不良たちが「あいつ、やばいな」と、恐怖と敬意を込めて使い始めたのが、ポジティブへの扉を開く鍵になったのかもしれません。

 90年代も後半に入ると、この言葉は一気に加速します。
 それまでの「まずい、不都合だ」という意味に加えて、「凄すぎて、形容する言葉が見つからない」という究極の肯定が混ざり始めました。

 あの頃から日本語の風景が変わった気がします。
 それまでは「素晴らしい」「感動的だ」「美しい」と丁寧に分類されていた感情のフォルダが、すべて一つの「やばい」という大きな箱に放り込まれるようになったのです。


 現代において、「やばい」はもはや単なる形容詞ではありません。
 それは、感情のワイルドカードであり、究極の「高圧縮ファイル」なのです。

 たとえば、目の前に広がる夕焼けが、あまりにも鮮やかで言葉を失うとき。
 私たちはその美しさを言語化する手間を省き、あえて「やばい」という三文字に詰め込みます。
 受信する側もまた、その場の空気を読み解き、瞬時に解凍(デコード)して共感する。
 これは、ハイコンテクスト(注1)な文化を持つ日本人ならではの、高度なコミュニケーション・スキルと言えるかもしれません。

 (注1:ハイコンテクスト(High-context)とは、背景、文脈、共通認識が共有されている前提で、言葉を明示せず「なんとなく」意図が通じるコミュニケーションのあり方。)


 ここで、少し突飛な想像をしてみましょうか。

 もしも明日から、法律で「やばい」の使用が一切禁止されたら、私たちの日常はどうなるでしょうか。

 会議の席で、プレゼン資料のミスに気づいた部下は「これは極めて不都合な事態に直面しました」と、脂汗を流しながら報告しなければなりません。

 ラーメンを啜ったグルメサイトのライターは「豚骨のコクと醤油のキレが絶妙な調和を見せ、私の味蕾を激しく揺さぶります」と、長々と記述する必要に迫られます。

 コミュニケーションの速度は劇的に低下し、SNSのタイムラインは重苦しい説明文で埋め尽くされるでしょう。
 私たちが日々、どれほどこの言葉の「軽やかさ」に救われているかが、皮肉にも浮き彫りになるはずです。


 もちろん、何でもかんでも「やばい」で済ませてしまうのは、語彙力の放棄だという批判もあるでしょう。
 言葉は本来、もっと繊細で、もっと豊かであるべきだという理想も捨てきれません。

 しかし、言葉は生き物です。
 辞書の中に閉じ込められた標本ではなく、街の中で、誰かの体温と共に吐き出される息そのものなのです。

 江戸の泥棒が震えながら口にした「やばい」と、現代の女子学生がキラキラした瞳で放つ「やばい」。
 四百年の時を超えて、同じ音が全く別の彩りを持って響いている。
 その変遷自体が、なんだかとても「やばい」ことのように思えてきませんか。

 正解のない時代を生きる私たちにとって、この言葉は、白でも黒でもない「名付けようのない感情」の逃げ場なのかもしれません。

 今度、あなたが思わず「やばい」と口にしたとき。その言葉の奥底で、江戸の厄場が揺れているのか、それとも未来の新しい感情が芽吹いているのか。
 ほんの一瞬だけ、自らの心の解像度を見つめてみるのも、悪くないかもしれません。


 さて、このエッセイの仕上がりですが、私としては・・・
 そうですね。少しばかり「やばい」ものになったのではないかと自負しているのですが、いかがでしょう。

 言葉の迷宮は、いつだって出口が見えないからこそ面白いのです。


いいなと思ったら応援しよう!

Tom.Msn よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!