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「10 DANCE」1~8巻 感想 その2 男同士の愛


男が男を愛する時

 
 物語のもう一つの大きな軸、それは勿論、杉木と鈴木のラブストーリーだ。

 杉木も鈴木はどちらも海外育ち、周囲にゲイの男がいる環境で育ったためゲイに対する拒否感はなく、いわゆるホモフォビアに囚われてはいないが、性的にはヘテロセクシャルを自認していて今まで女性としか付き合ったことがない。

 そんな二人が惹かれ合い、生まれて初めて男を愛してしまう

 二人の愛の困難さはここにあって、もしも二人ともあるいはどちらかがゲイだったなら、ここまでの葛藤は生まれなかっただろう。

 ダンスの練習を始めた二人は惹かれ合い、男女の恋を表現するラテンを教えながら鈴木はためらいもなく杉木にキスをする。(2巻#06)

 その時は「鈴木先生はこの手の冗談がお好きなんですね」と取り合わなかった杉木だったが、ロンドンで行われた世界選手権の競技前に、今度は杉木から鈴木にディープキスをする。競技前の「ハナムケ」として「なんとなく」。(2巻#07)

 さらに競技会が終わった後、杉木は自分のフラットを尋ねてきた鈴木と会話しながら唐突にキスをする。
 この時も杉木は「あなたが始めたお遊びでしょ」と軽く流している。(2巻#09)

 ダンスの時に手を繋げば自分に対する好意が流れ込んできて、何の抵抗もなく自分とキスをするそんな鈴木に対して、杉木は

「あなた本当に男性は恋愛対象じゃないんですか?」

2巻#9

と尋ねるが、鈴木は否定する。

「本当は男とセックスしたりキスしたりしたいんだろって聞かれてんの?」
「これっぽっちも考えたことねーし」

2巻#9
 

  鈴木は心の中に沸き上がった杉木に対する感情を「黙ってやり過ごしていれば きっと時間がなんとかしてくれる」と一時的なものにしようとしている。
 杉木を恋愛対象でも特別な「友人」でもなく、唯一無二のライバルと位置づけて納得しようとする。(2巻#9)

「“ライバル”は“友人”よりまし」と鈴木は自分に言い聞かせるが、この≪まし≫は≪特別≫という意味だ。

男となんてセックスしたくない 触れたいなんて思わない
キスをしたいわけじゃない だからこれは恋なんかじゃない

 と「不確かな感情」を精一杯否定する。

 それでも、公園で一人ベーシックのレッスンをする杉木の楽しそうな表情を見てしまうと「駄目、たまんないや その面」と杉木に惹かれる感情を止めることはできないのだった。(2巻#10)
 
 「男となんてセックスしたくない」という鈴木のモノローグを読んだ時、これはもしかして「俺は男が好きなんじゃない。お前だから好きなんだ」という古典BL伝統の潜在的なホモフォビアを含有する「ノンケ宣言」に向かうのかと懸念したが、結果的にそうはならなかった。

 鈴木は杉木に恋をしたことで、自分に恋愛感情を抱く瞬の気持ちに気づき、ノーマンと互いの寂しさを慰め合うためにセックスすることを「男同士なのに」とは考えなくなった。

 一方、杉木にとって鈴木は、もともと自分を救ってくれた「ダンスの神」だった。
 その上、ダンスの練習を始めたら、鈴木こそがずっと探していた「同じ情熱と一緒にやっていける体力 気力 誰にも負けない溢れるガッツ」を持った理想のパートナーだと気づいた。

 同性同士でペアを組んで公式戦に出ることはできないし、鈴木に声をかけたのはダンスパートナーにするためではなく、自分のダンスを受け継がせ、ダンス界のチャンピオンを育てるためだと頭ではわかっているのに、誰よりも息の合う鈴木とのダンスが楽しくてたまらない。

 ルンバを踊っている最中、鈴木に対して(性的に)興奮した杉木はイギリスで暮らしていた頃からの友人アーニーに相談する。

「どうして僕は彼に興奮したのかな? 僕はゲイじゃないんだろ?」

3巻#12

 人に相談する前に自分で考えろ、と私は思うが、十分に内省しないまま、杉木はアーニーを頼っている。

 アーニーから見れば杉木が鈴木に恋をしていることは明らかだった。
 しかし、もともと杉木に恋心を抱いていたアーニーは、悔しくてそのことを教えたくない。

 それが恋愛感情だとはっきり自覚しないまま、杉木の鈴木に対する執着や独占欲は高まっていく。

 ラブリーなカリブ風スペイン語訛りの英語を他の男の前で話してほしくない、房子と仲良く笑い合ってほしくない、自分以外が鈴木を欲望の目で見るのが気に入らない、自分からノーマンに鈴木の指導を頼んでおきながら同時に「渡したくない。ほかのダンサーのクセなんか付けたくない」と思っている。

 それでも、杉木は湧き上がる独占欲の理由を自己分析しない。
 
 杉木が抱く疑問は「鈴木先生は本当にゲイではないのか?」と「僕はゲイではないんだろ?」だけなのだ。

 ゲイでなければ男相手に恋愛感情を抱くはずがない。
 
だから、「ゲイではない僕は鈴木先生に恋愛をしていない」と単純に考えている。

 生々しさの欠片もない恋のような何か
 おそらく僕は男のパートナー相手に「疑似恋愛」をしている。

3巻#14

 杉木は昔、競技会で転倒事故後にショック状態から回復できなかった房子を人形のように操って勝ったことを鈴木に打ち明ける。

 自分は競技で勝つためには手段を選ばない、「紳士」とは程遠い非情な男だと鈴木に話した後、杉木は後悔し、鈴木に「嫌われたくない」と思う。

 話を聞いた鈴木は、内心「酷い奴だ そうまでして勝ちたいか」と非難しながらも、杉木が「生まれた瞬間からダンスをするために育てられた男」であり、「人間らしい感情を殺して 理想の紳士たれと自分に負荷をかけ続けてきた」ことを知り、自己を制御する彼の「強さ」を認めつつも、杉木を抑圧から解放するために「俺が潰してやる」と決意する

 自分がダンスで杉木を超えることで、杉木を楽にしてやる、と。

 鈴木は「その落差はアイツの中でどれほどのものか」と考えるが、この「落差」とは、本当の杉木と競技ダンスに勝つことを最優先する帝王としての杉木との乖離を意味している。 

 落差があればあるほど、杉木は苦しんでいるではないかと鈴木は考える。

 この後、地下鉄車内で二人は衝動的に、言葉にならない気持ちをぶつけ合うかのような濃厚なキスを交わすのだが、舌を絡め合う描写がエロくてたまらない。

 鈴木は「何てことしてんだ 俺は・・・・」と自嘲しながらも相手を求める気持ちを抑えられない。

 乗客が乗り込んで来てもキスをやめない二人だったが、不意に窓に映った自分たちの姿を見てハッとする。

 まるで見たことがない物を見たような顔をして、二人は正気に返る。

 2巻#15のラストページでは、杉木を乗せた丸ノ内線が神田川を越えていく光景が実にリアルに描かれていて、まるで二人が実際の東京に存在するかのように感じてしまう。

 鈴木は夢中で杉木にキスをしてしまったことを振り返り、それが「気の迷い」ではないことを自覚する。
 しかし、杉木にとって男とのキスは「学生時代のノリ」に過ぎないのだ。

想いに差がありすぎる。今の心地良い関係を壊すわけにはいかない

4巻#16

 と、鈴木は自分の欲望を抑え込もうと決める。

 あんなに熱烈なキスをした後にレッスン場で顔を合わせるのは気まずいと感じる鈴木とは対照的に、杉木は何事もなかったかのようにケロっとしている。

「考えて解決しないものは考えないことにしています。どうしたって、答えは出ないから」

3巻#16

 ダンスの練習中に手を繋げば異常なほど意思が伝わってくるのに、本心を表さない杉木に対して、鈴木は

「なぁ、俺にどうして欲しいわけ?」

3巻#17

と迫る。

「僕は あなたが欲しい」

4巻#17

 驚くほど素直に本心を吐露した杉木の答えを聞いて鈴木は一瞬喜びかけるが、両想いならそれでいいと簡単に片づけようとする杉木に対して、鈴木は「もっと悩めよ」と苛立ち、杉木を床に押し倒す。

「お前 これ以上のこと 俺とできる?」
セックスできんの? 男同士で? 俺は無理だ 男とは寝れない

4巻#17.5

 杉木は「・・・僕は」と何かを言いかけるが、鈴木は「保留だ」と言って取り合わない。

 きっと鈴木の方が女性との恋愛経験が豊富で、恋愛がどういうものがわかっている。
 だから杉木との関係を真剣に考え悩むのだ。

俺は男の愛し方なんて知らない。けど 杉木を大事にはしてやれる

4巻#17.5

 鈴木にとって「杉木を大事にすること」とは、「ダンスの勝負で杉木に勝ち、杉木を楽にしてやること」。
「ゲイではない」と自認する鈴木は、男性である杉木を愛せない代わりに、すべてのダンスの王者になって杉木を完膚なきまでに叩き潰すことを目標に据える。

 鈴木に「保留だ」と言われ不機嫌になっていた杉木だったが、二人きりでタンゴの練習を始めた時に重ねた手から鈴木の気持ちが伝わり、

よかった。あなた まだ僕のことが好きですね?

4巻#21

とほっとした顔を見せる。

 ああ、杉木はなんて可愛いんだろう。
 私にとっては鈴木より杉木の方が可愛い。
 ダンスのことしか考えていなくて、恋愛に対してはナイーブで、もどかしくじれったく思うことも多いけど、それも杉木の魅力なのだ。

僕の気持ちが伝わった途端、拒否されたように感じて辛かった

4巻#21

 ひとたびダンスを始めれば、二人は手を触れ合うだけでこんなに詳しく感情が伝わる。もはやテレパシー。

 噛み合わなかった気持ちも、一緒にタンゴを踊る爽快感と興奮の中に溶けていき、練習が終わった二人は清々しい表情で語り合う。

 そして結局、杉木から鈴木にキスをし、鈴木の方も「俺とお前にキスを許す」とラブラブな関係に戻ってしまうのだ。
 喧嘩の後セックスして仲直りするカップルのように。

 この後本気でダンスに向き合う決意をした鈴木は、プレミアムジャパンオープンで2位を獲得する。
 夜通しダンスを踊った公園で喜び合う二人は、笑顔で抱き合って当然のようにキスをする。

 しかし、鈴木が杉木の腕を押さえつけ、服をめくって素肌に触れ、首筋に口づけた時、杉木は固い表情になって鈴木を押しとどめる。

「あなた 男とはできないんでしょ?」

5巻#27

 せっかく盛り上がっていたのに水を差され、興醒めして離れる鈴木。
 その後カフェで話す二人の心は冷めきっている。

誰にもあんなふうに触られたことはなかった

5巻#27

 杉木は自分の混乱を誤魔化すために、今大会の反省を踏まえて今後に向けた対策を鈴木に説く。
 鈴木はそんな杉木の態度が気にいらない。

 混乱した感情を自分で整理できない杉木は、またしてもアーニーを頼る。

「もともと鈴木信也は君をダンスで救ってくれた神だった。憧れだった。そんな奴が自分に好意を寄せているのがわかった」

5巻#27

 アーニーはほとんど神(作者)の視点で杉木の恋心を分析している。

 杉木は鈴木に対して性的な欲望があり、抱きたいと思っていることを認めた上で、

「彼は僕にとって憧れで神で、渇望した理想のパートナーだって」
「叶うならいっそ一人の人間になれたらと思う」

5巻#27

 と語る。

 アーニーはそんな鈴木の感情を「多すぎる欲のすべてを恋と名付けた」と理解する。

「自分が捕食される側に立つことを想像したことがあるか? 君は受け身になれる要素が何ひとつない。なのにセクシー(鈴木)は君を受け身にしようとした。それが君の混乱を生んだんだ」

5巻#27

 アーニーの言葉を杉木は理解できないまま二人の会話は終わる。

すべて僕のものにしたい。お互いを合わせて一人の存在になりたい

5巻#27

 これは愛ではなく、欲望だ。
 もしも本当に相手を自分の中に取り込んだら、きっと違う自分になるはずなのに、杉木は鈴木と一体化して、なおかつ今の自分のままでいようとしている。
 それはただの「吸収」だ。
 鈴木をすべて自分のものにして、相手との境界線を消し、自己と同一のものにしたい、なんて。
 まだ杉木は鈴木を「愛して」いない。

 愛する相手と「お互いを合わせて1人の存在になりたい」という杉木のセリフを読んだ時、私は「日出処の天子」(山岸涼子先生)のクライマックスを思い出した。

「毛人! わたしとそなたは一つになるべく生まれてきたのだ」

「日出処の天子」第7巻

 毛人を愛している厩戸王子は、何とかして布都姫ではなく自分を愛するようかき口説くが、拒絶されてしまう。

毛人「王子のおっしゃっている愛とは、相手の総てをのみ込み相手を自分と寸分違わぬ何かにすることを指しているのです」

わたしを愛しているといいながら、その実それは……あなた自身を愛しているのです」

「日出処の天子」第7巻

 王子として生まれ人並外れた力を持ちながら、それゆえに母から疎まれ、凍えるような孤独の中で生きて、たった一人の愛した相手からはこう断じられてしまう厩戸王子が不憫で可哀想でたまらない。
 このシーンを読むたびに私は何度も泣いた。

 杉木の望む「一つになりたい」という気持ちは、厩戸王子の想いとは異なるのかもしれないが、相互的な「愛」が成り立たないという点では同じなのではないだろうか。

 主体が客体と一体化してしまえば、「愛」という感情は消えてしまうのでは?

 鈴木は杉木よりも恋愛について理解している。
 アーニーの言葉を借りれば「恋愛の覚悟ができている」。

 鈴木は、男との恋愛などありえない、と自分に言い聞かせながらも、心のどこかでいつか杉木を性的に欲する時が来るとわかっていた。

 だから、これ以上深入りしないように「自分で自分に釘を刺していた」のだ。

 杉木は鈴木にとって「汚しちゃいけない そのまま在り続けて欲しい存在」だった。
 これ以上接近したら、杉木を己の欲望で汚してしまうかもしれない、杉木を変えてしまうかもしれない。鈴木はそれを恐れている。

「俺は 男と 杉木と恋愛なんてしたくなかったよ」

5巻#28

 鈴木は杉木と出会って、自分が男を愛せることに気づいてしまった。
 だが、当の杉木は愛することがどういうことかさえわかっていないのだ。 
 
 鈴木は二人の関係を断ち切る覚悟で杉木と話し合う。

僕は鈴木先生のすべてが欲しいんです。あなたのダンス 神秘性 運命 表情 身体の隅々 肉も骨も 遺伝子や 魂さえ全部

抽象的ですが、叶うならあなたという存在すべてと一体になって」 

5巻#28

 杉木は自らの望みを素直に口にする。
 素敵なセリフだが、これは決して叶わぬ願いだ。

 鈴木にはそれが愛ではないことがわかっている。
「理想の鈴木」を求める杉木に対し、鈴木は恋愛の「現実」を叩きつけるのだった。

「俺はアンタを抱きたいって 毎日思うようになってる」

5巻#27

 鈴木に組み敷かれ、舌で肌を舐められて初めて杉木は「僕は、鈴木先生をちゃんと見てなかった」と気づく。

 鈴木は自分の望む神ではない。自分に対して生々しい欲望をぶつける「男」なのだ。

 勃たない杉木に対して鈴木は「アンタ不感症?」と半ば呆れ半ば安堵してため息をつき、口づける。

 ここで杉木は反撃に出て、体勢を入れ替えて鈴木を床に押し付け「鈴木先生だってこうされたら(男に組み敷かれたら)固まるクセに!」と凄む。

 しかし、鈴木は動じない。
 問題はセックスの役割ではないのだ。

「俺と交わったところで一体になんかなれない。アンタの望みは、何したって叶わない」

5巻#27

 その通りだ。
 セックスして肌と粘膜を密着させ、性器を結合したところで、身体や心が一体化するわけではない。

「アンタの本質は女としか恋愛できない男なんだよ」

5巻#27

 否、今まで杉木は女とも真剣な恋愛をしてこなかったと思う。
 本当の意味で誰かと真に向き合い、付き合ったことがあるのなら、鈴木に対する感情についてもう少し深く考えるだろう。
 むしろ、男である鈴木に対して性的に興奮するなら、本能的に男性とも恋愛できるのではないのか?

 もしも、鈴木が「決して受け身にならない王者としてしか恋愛できない」という意味で「女としか恋愛できない」と言っているならば、女性は常に受け身でいることを前提としているわけで、鈴木がそんな差別的な考えを持っているとは思え(思いたく)ない。

 鈴木は杉木に「この執着は恋愛じゃない」と断言する一方で、

アンタを 愛している

5巻#27

と矛盾したセリフを口にして、涙を流しながらキスをする。

 私は初めこの矛盾が理解できなかったが、結局、鈴木は杉木に対して「アンタの俺に対する執着は恋愛じゃない」と言っているのだと解釈した。

 だって、鈴木は杉木に対する感情が恋だとはっきり自覚している。

生き方を変えても 欲しかった
男と恋なんてしたくなかった アンタを好きになるんじゃなかった

5巻#27

「生き方」とはダンスに対する向き合い方であり、ヘテロセクシャルであることの両義だろう。

「男と恋なんてしたくなかった」は、自分がゲイ(実際にはバイセクシャル)だと認めたくないということではなく、男に恋したことでこんなに悩み苦しみたくなかったという意味、「アンタを好きになるんじゃなかった」はまだ愛していることの裏返しと私は捉えた。

 そして、二人はそれぞれ相手を失った痛みを胸に抱え、ダンスの世界へ戻っていく。

 心が離れてしまうと、互いを繋いでいたダンスの時でもコネクションから「何も感じない 流れてこない」状態に陥ってしまい、二人は愕然とする。

 そんな杉木と鈴木の間に、アメリカの大富豪マックス、デザイナーのファビオ、元・スタンダードチャンピオンのノーマンなど杉木が鈴木を早く世界一流に引き上げるために用意した人間が入り込んでくる。

 こうやって いつか自然と 離れていくんだろうか

6巻#30

 お互いの間の距離が開いていくことを悲しみながら、二人を結ぶ細い糸のような繋がりを信じて杉木と鈴木は前に進んでいく。

 「7月に(ノーマン・)オーウェンが来日します。その日が来たら僕は あなたに教えるのをやめて 彼に託します」
 「それが僕の最後のプレゼント」

6巻#32

 雨の中で踊りながらそう告げる杉木が切ない。

 そしてついに迎えた最後の練習日の夜、出会ってから今までの思い出とともに、銀座から東京駅まで踊る二人の満足そうな笑顔に胸を撃たれた。


 杉木とは違ったダンススタイルを持つノーマン・オーウェンは、初めて鈴木と踊った時、すぐに

 杉木信也が体内にいる
 彼から受け継いだダンスをそれはもう大事に踊っている

 と気づく。
 好きな人のダンスを受け継ぐというのは、ダンサーならではの愛だと思う。

 片や、世界2位のラテンダンサー、ガブリエルの指導を受けている杉木は、「君は彼(鈴木)のダンスが好きだった?」と尋ねられ、

 ああ この瞬間も愛している

 と答える。
 ダンスも、鈴木自身もずっと愛していると。

 杉木を愛して初めて男性を性的対象として見るようになった鈴木は、実の妹への禁断の恋に敗れて苦しむノーマンを抱く。

 お互いにこれは愛ではなく、失恋の痛みからの逃避、慰め合っているだけだと理解しながら肌を合わせる。

 杉木がマックスの突拍子もない遊びに付き合うのも理由は同じだ。

 二人ともできるだけ相手のことを考えなくていいように何とか気晴らししている。
 
 付き人の佐市に「そこまで杉木様を思うならどうして別れたんです」と聞かれた際の鈴木の答えに、彼の想いが集約されている。

 俺は杉木にアイデンティティを変えられたよ
 まさか男に情念まみれのポルノじみた欲を持つなんて
 幸せだったさ 手を組めば愛してるって想いはお互い伝わったから 
 だけどアイツは 俺を通り越して 理想の俺と清麗で完璧な恋をしているようだった
 杉木の願い通り 俺が受け入れることもできたけど
 嚙み合わないまま恋愛したところで 先はない
 アイツをダンスで救うどころか 地に堕とすか……
 それだけは 絶対駄目だ

7巻#38

 だから別れたのだと。
 杉木と違って鈴木は自分の感情をきちんと理解している。

 杉木と出会って男を愛する自分を発見したこと、杉木が恋をしているのは理想の自分で、現実の姿を見ていないこと、杉木の願い通り理想の自分を演じることもできたが、そんな関係は長くは続かないこと、だからといって雄としての自分の欲望を突き付ければ杉木の理想を壊し、傷つけてしまうこと……
 そこまで考えて鈴木は杉木と別れた。断腸の思いで。

 二人が出場するダンス大会当日。
 すぐ近くにいる互いの存在を痛いほど感じながら、相手のダンスを見ることすらできないほど強く意識して、どちらも苦しんでいる。

 解放された古代神のような鈴木の踊りは観客を魅了し、熱狂の渦を巻き起こした。
 しかし、ガブリエルには「『拠り所』を手放した」ことがわかり、ノーマンには「欠けている」と気づかれてしまう。
 ガブリエルはこうも言う。

 なんて 不幸なことだ
 何か重要なピースが ひとつ足りないんだ

7巻#39

 鈴木の「拠り所」それは杉木であり、「欠落」は愛だ。

ダンスは愛を持って完成する」という杉木のコーチャー、マーサの言葉はこの作品の象徴である。
 愛を欠いた状態では、人々を感動させる真のダンスは踊れないのだ。

 運命は、求め合う二人を放ってはおかない。

 楽屋で偶然再会した二人は、湧き上がる感情に流されるまま抱き合い、キスをする。

 この時の二人の切ない表情がたまらない。
 読んでいるこちらの胸も苦しくて破裂しそうだ。

杉木「苦しいんです。耐えられない…」

8巻#39.5

  あなたを愛していることが、愛しているのに離れていることが

鈴木「お願いだよ…杉木…」

8巻#39.5

 俺の愛を受け入れて

 杉木に縋って跪き、足元に口づける鈴木の姿が心に突き刺さる。 
 鈴木の衣装も相まって、私には彼が「シェヘラザード」の「金の奴隷」のように見えた。

 アキと向井の声に気づいた二人は体を離し何事もなかったように振る舞おうとするが、混乱した杉木はこの後オナーダンスを踊れなくなってしまう。

 鈴木先生を諦めなければいけないはずなのに
 何故? 渇望しているのは僕だ
 何が正しいのか
 僕は一体 誰なのか

8巻#39.5

 完璧な「紳士」であるために付けていた仮面が剥がれ、感情がコントロールできなくなった杉木は、その夜パトロンであるマックスに「ヘルプサインを出しなさい」と叱咤され同時に慰められる。

 どうして鈴木先生が隣にいないのか どうして触れないのか・・
 僕のコレは愛じゃないのか
 足元に跪いて「乞う」のが”彼”? 何故?
 それは僕自身がしたいことでは?

8巻#40

 ここまで追い詰められてようやく、杉木は自分の感情について深く考え、悩み始める。
 杉木はやっと恋をする覚悟ができたのだ。

 一方、鈴木は大会でのダンスが大荒れだったことを幼い頃から一緒に育ったパートナーのアキに指摘され、ハグによって彼女に心の奥底を見抜かれる。

「そんなんで 相手 幸せ? アンタもその人も もっと幸せになんの!!2人で!!」

8巻#41

 アキの言葉に背中を押され、鈴木は走り出す。
 杉木に会って、本当の気持ちを伝えるために。

 杉木のダンス教室で再会した二人は、緊張感に包まれている。

 教室の外で待たされた鈴木が、帝王杉木を何と言って口説くのだろうと私はわくわくしていた。
 ところが…

俺のものになってください

8巻#42

 鈴木は何の説明もせず、ただ素直に頭を下げたのだった。
 予想外だった。

お願いだから、俺のものになってくれ。なんでもする。もう神でいい。アンタと一つにもなるよ。むしろ同一人物で!

8巻#42

 不格好でも、以前の自分の発言を覆しても、杉木と一緒にいたいと願う。
 鈴木のまっすぐな愛に、私は心を揺さぶられた。

「同一人物だとダンスは踊れませんね」

 ああ、杉木は変わったのだ。

 同一人物とはダンスは踊れない、つまり「相手と自分が同一化してしまったら愛し合うことはできない」。

 杉木は、自分の理想でも神でもない一人の人間として、自分に対して性的な欲望を抱く男として、現実の鈴木を愛せるようになったのだ。

「僕がいないと息もできない?」と、こんな時でも上から問いかける杉木を、「アンタだけだ」と鈴木は優しく受け止める。 

 ここで「僕もです」と嬉しそうに体を寄せる杉木に、鈴木が待ったをかける。
 
 鈴木は杉木に会う前にノーマンの家に寄り、筋を通して別れを告げた。
 そして、杉木に向かって「ほかの男と関係を持ちました」と告白したのだ。
 この潔さが心地いい。

 初め、鈴木の浮気相手がファビオや佐市ではないかと疑っていた杉木には余裕があったが、相手がかつての自分の憧れかつライバルだったノーマンだと知ると表情が一変する。

 こういう場合、浮気相手が自分と似た属性であればあるほど許し難いものなのだ。

 しかも1度きりの過ちでもなく、鈴木とノーマンが何度も体を重ねたと知った杉木は、突然「僕もノーマンとやってきます」と踵を返す。

 慌てて鈴木が追いかける。

鈴木「自分で何言ってるかわかってるか? いいから、こっち…」

8巻#42

 次の瞬間、振り返った杉木の泣き顔を見て、私も鈴木と一緒に愕然とした。
 
 ズッキューーーーン❤️❤️❤️
 
 いつも自信満々で上から目線でツンツンしているブラックプールの帝王が、こんなに弱々しく可愛く泣くなんて……。

 もう、ずるいよ。
 こんなのますます好きになってしまう。
 涙で瞳を濡らした杉木が鈴木の胸に縋る。

「僕だけを あなたの所有物にしてください」

 鈴木の表情は和らぎ、二人は抱き合って口づける。

 銀座の路上の真ん中で。

 実際こんな場面に遭遇したら、私はその場で固まって一歩も動けなくなると思う。

 はあ……、最高の展開だ!!!

 私は8巻#42のこの場面が大好きで、「10 DANCE」に出会って以来、何度も読み返してはうっとりしている。

 5巻のラストで愛し合いながらも別れ、苦しくつらい時期があったからこそ、このシーンの感動が際立つ。

 井上先生が仕掛けたジェットコースターに翻弄され、多幸感の渦に呑み込まれる。

 #43では、やっと気持ちが通じ合って、人目も気にせずカフェでいちゃつく鈴木に対して、杉木が

「10ダンス大会が終わるまでセックスはしませんから」

と断言する。

 当然鈴木は残念がるが、私はむしろ楽しみが増えて喜んだ。

 つまり、10ダンスが終わったら、今まで我慢していた分の性欲を大爆発させてセックスするってことでしょう?

 二人とも体力があるから大変なことになりそう……と今からわくわくしている。

 優勝の興奮そのままに夢中で抱き合う二人の姿が目に浮かぶ。

 そこでついに、「受け攻めリバ」という読者がずっと気になってきた問題の答えが明かされるに違いない。
 
 井上先生は二人を攻×攻と認識されていて、杉木と鈴木はどちらも受け攻め両方ができそうだから、こうなるともう好みの問題だと思う。

 私は、杉木のような正統派クールビューティ、表面上は品行方正、きちっとしたお堅い感じで感情を抑圧するタイプの男性はにして、必死で喘ぎ声を我慢しながらも快楽に流されていく姿を見たい。

 2巻#10の扉絵の表紙、全裸で蛇に巻き付かれている杉木を見た時、私は「この人は絶対受!!」と直感したのだが、8巻特装版の描き下ろしでは杉木×鈴木になっていて作者様の好みはこちらなのかもしれない。 

 リバに関しては絶対嫌勢もいそうだからデリケートな問題ではあるが、正直、もう受け攻めどっちでもいい、リバでもいい。
 ただ二人の幸せなラブシーンが見たいと願うばかりだ。

 同性愛に対する社会の認識が変わるとともに、BL作品も変化してきた。
 まだ日本では同性婚が認められておらず、世間から差別的な考えがなくなったわけではないが、少なくとも禁じられてはいない。

 そのため現代BLでは男同士の愛を「禁断の恋」とは表現しないし、登場人物が「男を愛してしまったこと」を悩む作品も以前に比べて減ったと思う。

 だから「10 dance」に出会って、どうして鈴木が「男を愛すること」にこれほど拘り悩むのかわからなかった。
 
 セクシーな鈴木は、きっとこれまでゲイの男性からモテてお誘いもあっただろう。
 杉木への愛を自覚してからはノーマンとセックスすることにも抵抗感がないし、潜在的にはバイセクシャルだったけれど、たまたま惹かれる男性に出会わなかっただけなのではないか。

 その点、杉木の場合は男女問わず誰とも真剣な恋愛をしてこなかった。鈴木に出会って初めて人を愛した。だから杉木の方が「男を愛すること」に対するハードルが低いように感じた。

 性的嗜好はどうにもならないかもしれないが、人を愛する時に性別がそんなに問題だろうか。

 誰かを心から愛するのに男も女も(2次元も3次元も)ない、と私は常々思うのだ。

神は細部に宿る


「10 DANCE」の最初のネームは2003年にできたという。
 それから20年の歳月を経て、熟成したストーリー、緻密な構成、美麗な作画、魅力的なキャラクターと作品の見所は山ほどあるが、細かい表現も素晴らしい。

 登場人物たちが日本語を話す時は吹き出しの中が縦書き、英語は横書きが基本で、鈴木だけはキューバ風ラテン訛りの英語を話すため、会話がどんなにシリアスな内容でも吹き出しの中にハートが溢れ、普通の横書きの時はスペイン語を話している。
 ここまで細かく分けて描かれているのは本当に凄い。

 また、杉木の立ち直りの早さをカエルで表現していて、杉木がケロっとしている時には体にくっつき、立ち直っていない時は空中に浮いてひっくり返っているのが可愛い。

 さらに、単行本の表紙には毎回ダンスをする二人が描かれているのだが、どの種目を踊っているかポーズや衣装以外でも判別できるようになっている。
 表紙の文字をよく見ると10種類のダンスのうち、1つだけ白色になっているのだ。
 気づいた時、何と粋な仕掛けなんだと驚いた。
 特に2巻では、二人の腕に遮られて文字が半分以上隠れているのに。
 こういう仕掛けは装丁の人が考えるのだろうか。センスがありすぎて驚愕した。

物語のつづき 


 二人はなぜ「信也」という同じ名前なのか、という点についてはまだ謎のままだ。
 偶然のはずがない。
 きっとその理由はお互いの両親の過去にあるのだろう。

 杉木信也の父・杉木智也は信也と同様スタンダードダンスの選手で渡英して研鑽を積んだこと、鈴木信也の父もまたラテンダンサーだったが、彼の方は海外での試合もレッスンも禁止されていたこと、杉木智也の7回忌に鈴木の父が出席して杉木信也に会ったことはすでに描かれている。(5巻#21)
 この先、このあたりのエピソードが語られるのを楽しみに待ちたい。

 こんなにも素晴らしい作品に出会えて本当によかった。
 今後はヤンマガwebに掲載される最新話をリアルタイムで追いながら、二人の結末を見届けようと思う。

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