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Netflix映画「10 DANCE」 柘植さんと大友監督の対談に感激

対談「美人百様 ー美しさを紐解くー」


 2026年3月6日NHK文化センター青山教室で行われた、人物デザイナー柘植伊佐夫さんと大友啓史監督の対談をオンラインで拝聴した。
 

https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1328271.html


 会場には柘植さんが描かれたデッサンと映画で実際に着用されたダンスの衣装が展示されていて、現地参加できなかったのは非常に残念だったが、平日は仕事があるので仕方がない。

 オンデマンドで何度も繰り返し聞くことができるのは大変ありがたく、2026年3月22日まで配信されているので、少しでも興味がある方は今すぐ受講していただきたい。

 本当は内容をすべて書き起こして記録しておきたいくらいなのだがそれは許されないため、私が最も感銘を受けた部分を抜粋して感想を述べたい。


出会いは「龍馬伝」


 まず初めに、お二人が初めて出会い、一緒に仕事をされたNHK大河ドラマ「龍馬伝」(2010年)の舞台裏、人物をトータルでプロデュースすることの意味、お二人が「龍馬伝」を通じて大河の制作スタイルを改革したお話が30分程あった。

 龍馬の履く袴にジーンズの素材(ヒッコリー)を選ぶなど、今までの常識にとらわれないお二人の柔軟な発想が、半世紀以上続く大河の世界に新しい風を吹かせたと知り、「龍馬伝」をぜひ見てみようと思った。

 柘植さんが執筆された「龍馬デザイン。」(幻冬舎)には「龍馬伝」の制作過程が日記形式で詳細に書かれていて、この本を片手に作り手の視点を借りながらドラマを見る楽しみができて嬉しい。

 残りの60分はたっぷり「10DANCE」のお話を聞けて、私は大満足だった。
 大友監督と柘植さんがとても親密で、仲間内のリラックスした雰囲気で対談が進んだのがよかった。
 まるでお酒を飲みながら気楽に会話するお二人と同席しているような感覚になった。

大友監督の視点と作品解釈

  
 私は、大友監督の「10DANCE」という作品に対する解釈を聞いて激しく共感し感銘を受け、どうして自分が毎日毎日同じ映画を見続けてしまうのかの理由が分かった。
 私は大友監督の解釈、視点や考え方に惹かれているのだ。

 この部分は一番の肝なので、誤解を生まないように監督の言葉をそのまま残しつつも、苦渋の決意で最小限に切って紹介させていただく。
 ぜひオンデマンドで大友監督の生の言葉を聞いていただきたい。

大友「(10 DANCEは)ガキ同士の恋ではない。(中略)35歳くらいのノンケの男同士がダンスを通して愛を見つけていく話。(中略)やっぱり思春期の若者たちの情熱に任せた恋愛物語じゃないわけですよね。
 男同士のいわゆるBLとは違う。もう少し理性がある。社会的な地位もある。いろんなことがもっとわかってる。これ、ハードル高いなと」

柘植「先ほどLGBTQっておっしゃられたけれども、原作はいわゆるBL色の部類、カテゴライズとしてはそういうふうに捉えられやすい。だけど我々の感触はどちらかというとBLは入口なんだけれども、それとはちょっといささか違うニュアンスに捉えようというところなんですが」

大友「僕はこの二人をやっぱりクリエーターとして考えた。アーティストとして。(中略)いい年をした分別のある男同士だからこそ、なおさら一線を超える何か、非日常的な何かを求めている

「二人が、何かお互いにまるで磁石のS極とN極のようにくっつき合ったり反発し合ったりしながら、何かお互いの波長が一致した時に起こることっていうのは、それを何と言ってもいい、僕は愛と呼んでも全然良いと思うんですよ。それは定義としてはどういう定義でもしてくれよみたいな感じ」
 
 「僕の中では、LGBTQ+とかそういうことの話からもう1個超えていったアーティスト同士の話って解釈をしてくことで、スタッフとか俳優たちを巻き込めるんじゃないかと思った」

 原作の何を残し、何を切っていくのかについて、監督は原作者井上先生と「官能」と「ダンスの興奮、ダンスすることの喜び」を共有点にされたと言われた。

 この点については井上佐藤先生も
「最初にNetflixさんや大友監督とお話しした中でお約束いただいたのは、主役の二人は友情ではなく、必ず愛情や恋情で繋がっていることでした。そして大友監督と私の創作の共通点である『官能』を主軸として進めていただきたい、というお話をしました」「これらの要望を十分に、存分に叶えていただいた」とコメントされていた。(ダンスビュウ 2026年2月号)

 主役の二人の関係性を「友情」と改変してしまえば、より間口が広く一般受けする作品に成り得ただろうに、「必ず愛情や恋情で繋がっていること」を譲らなかった井上先生の信念に私は感動した。

 鈴木と杉木は確かに愛情や恋情で繋がっている。
 でも、二人の間にあるものはそれだけではない。
 大友監督は恋愛以外の結びつき掘り下げて描いてくれた。

BLとは何か?

 大友監督の発言に胸を打たれた私は、

「大友監督がこれはガキの恋愛じゃないっておっしゃったのが印象的だった。原作はBLだけど監督は違う視点で捉えていて、35歳くらいの社会的地位も実力もある大人の男2人が、心のどこかで渇望しているもの、自分にないものを相手に見出し、惹かれ合い葛藤する物語として描いてくれた」とXにポストした。

 すると、「原作はBLだけど監督は違う視点で捉えていて」の意味がわからない方々が、わざわざ私のポストを引用し「これはBLです」と主張していて驚いた。

 極めつけは「10DANCEの感想でこれはBLじゃないって考えている人ちょくちょくいるの気になる。無意識に自分の好きなもの上げるために他を下げてる」というポストで、これを見た時(Xでは自分のポストが引用されると嫌でも通知が来てしまうのだ)今にも戦争を始めそうになる自分を抑えるのに必死だった。

 BLを心から愛する腐女子の私に一体何を???
 
 私は30年以上前にBLと出会い、長い間「BLとは何か」について考えてきた。 
 狭義の「BL作品」というのは、単に「男性同士の恋愛を描いた作品」という意味ではない

 厳密にはBL(ボーイズラブ)は、

男性同士の恋愛を軸とした女性向けの物語群

溝口彰子「BL進化論」

男性同士の恋愛関係や強い絆を描いた女性向けのコンテンツ

藤本由香里「Newsweek 2025.12.23 教養としてのBL入門」

おもに女性によって創作され女性向けのメディアで発表される、男性同士の恋愛物語の呼び名

西原麻里「BL漫画の表現史」

と定義されている。
  
 実際、BL漫画や小説の作者や読者の多くは異性愛者の女性だ。

 男性同士の恋愛を「おもに女性が女性向けに描く」というところがポイントで、おそらくBL作品をゲイの方が読むとリアリティがないと感じる部分が多いだろう。

 女性である原作者・井上佐藤先生の手を離れて、大友監督という男性が映画の指揮を取り、作品の対象をいわゆる腐女子と呼ばれるBLを愛する女性から広く一般に向けた時点で、すでに狭義のBLではなくなっている。

 大友監督はもしかしたら「BL」を文字通りボーイズラブ、つまり思春期の若者たちの恋愛物語と考えていらして、成熟した大人2人が互いに求め合う関係を「いわゆるBLとは違う」とおっしゃったのかもしれない。

 しかし、真に焦点となるのは、監督が鈴木と杉木の関係性を恋愛だけではなく別の視点、異なる軸から捉えていることだ。
 それが作品に新たな魅力と深みを加えてくれた。

鈴木と杉木の関係性


大友「(今8巻まで出ている)原作はやっぱりその二人の日常のディテール、生活っていうのを丁寧に描けるわけですよ。(中略)
 本当に二人が舐め合うようにしながら、お互いの日常を知り、生活とディテールと考えを知り、距離感が縮まったり離れたり、こういうことを描く時間はないんですよね。(中略)でも今回映画という2時間という時間芸術である表現様式を取った以上、2時間の中で何を表現するか。二人の生活が縮まっていくではない、二人が杉木の教室で何を共有したのかってことにフォーカスしていくしかない。そうすると、お互いにあの二人が共有したものっていうのはお互いの才能だと思うんです。一つはお互いの才能、それとお互いの魅力。そしてこのお互いの才能と魅力っていうのは、ダンサーとしての質が全く違うから、自分にはないもの。(中略)
 なんかこの二人があの教室の中で夜な夜な密室の中でお互いを発見しながら、自分を発見していくっていう、こういう表現をするのにダンス教室っていうあの場所ほど的確な場所はなかったなと思う。(中略)
 常に相手を見ながら鏡の中の自分の姿を鈴木も杉木も見ていくことになる。それがオンタイムで動いていく。自分に対する目線が変わっていく気がするの。鈴木も杉木も」

 アーティストとしての成長と新たな自己の発見、それを二人にもたらしてくれるのがお互いの存在だった。
 そこには普通の恋愛感情を超えた、愛以上の何かがある。

 講座の後半で大友監督がおっしゃった言葉を聞いて、≪BLはある種なんでもありのファンタジー≫と捉える腐女子の私と、大友監督との間には「男性同士の恋愛」というものの捉え方に大きな差があってハッとした。

大友「美しい世界だけど、やっぱり男同士が愛してしまった時の、ある種しょうがなく生まれてしまう、何かあると思うんですよ。石ころみたいな、そこに転がっていて油断すると転んじゃうみたいなある種のいびつさみたいなものも多少物語の中に残ってなきゃいけないはずなんですよ。リアリズムで言うと。そんな純粋にいかないですよ。彼らLGBTQ+の歴史で苦しんでいる人たちの歴史を思えば思うほどね。簡単に祝福されない関係性でもあるってこともどこかで活かしたい。でも最後に、ちゃんと祝福されてほしいなってのが最後の10DANCEの…(中略)

 10DANCEで戦うじゃなくて、10DANCEでまず踊るんだよ二人がって。本当に俳優は大変だったと思いますけど、あそこで二人が踊ることで二人が突き抜けて多幸感を感じて、これで俺たちは安心して戦えるねって契りにもなる。それをお客さんたちが心をわくわくさせながら目にする。それで、ある種LGBTQと言われる人たちにも、ある意味、そこが主の目的ではないけれど、結果として勇気を与えるような、何かこう元気になれるような物語である。その辺が、原作者が言っていた官能とダンスの高揚感、ダンスっていうのはそうやっていろんな関係性、日常に転がってる関係性とか従属性とかそういうものから飛び立たせて行かせてくれるような目くるめく世界であり、美しい世界であり、そういう多幸感に満たされたものであるっていうことに何とか辿り着けたかな」

 男同士であるという制約を非現実的でもいいから軽々と飛び超えて純愛を貫く姿が見たい私の願望と、現実のLGBTQはそんなに簡単なものじゃないという大友監督のリアリズム。

 その差が、ブラックプールでのベッドシーンで鈴木を拒絶する杉木という形で現れたのかもしれない。
 腐女子の私は男性同士のセックスの現実を知らない。
 だから、こんなに激しく求められたんだから、杉木先生も流されてそのまますればいいのに!と安易に期待する。
 しかし、初めて同性と肉体関係を持つというのはきっとそんなに簡単なことではない。
 現実を突きつけられた気がした。

 しかし、最後には鈴木と杉木が踊る10DANCEの高揚感と陶酔を味わい、世界一美しいキスを目の当たりにして、BLを愛し続けてきた腐女子の私も勇気と元気をもらうことができた。

台本から離れて動き出す俳優と監督の演出


大友「アドリブという表現をしているけどアドリブじゃない。そうなるんですよ。彼らが鈴木の気持ちとか杉木の気持ちを追っかけていくと、混乱しながら彼らが一生懸命探していった先にああなる。あれしかない」

 アドリブとは、もともとラテン語のad libitum の略で、辞書的な意味は【音楽で楽譜を離れて自由に演奏すること。また、演劇で台本にないセリフや演技をその場の雰囲気に合わせて即興で挿入すること】という意味だ。

 Xmasウォッチパーティーで竹内さんと町田さんのお話を聞いた時に「10 DANCE」には台本にないセリフや演技が随所に盛り込まれていたことを知ったが、監督が「アドリブじゃない」とおっしゃったのは、≪その場の雰囲気に合わせた即興ではない≫という意味なのだろう。
 
 監督は鈴木信也の「つまんねぇ」を例として挙げていた。
「あのセリフは竹内涼真の体とそれまでの積み重ねと時間と、そこに至るまでに散々彼は、答えがないからカオスの渦の中で苦しみながら絞り出てきてる言葉」だと。
 鈴木信也の魂が竹内さんの肉体に宿って生まれた言葉。
 ブラックプールのベッドシーンやラストのキスシーンでも同様だった。
 監督から細かい指示はなく、具体的にどう演技をするかは竹内さんと町田さんに任されていた。
 その中で、杉木に押し返されて仰向けに倒れた鈴木の顔にネックレス(対談では「十字架」と言われていたが、実際はTバー)が偶然かかり、ラストで杉木がお返しのキスをするという奇跡が生まれた。

柘植「(10ダンスの編集は)時系列は合っているけど、何かが合っていない感じがするわけ。それがすごく良いと思っているんですよ。整然としたロジカルなことだけで収まっていなくて、空間と時間がずれているような」
大友「僕は登場人物たちの時間で物事を考えようとしている癖があるかもしれない。(中略)」
「杉木と信也が別れた後の時間っていうのは、たぶん杉木にとっては延々と続いていく苦しい日常の時間になっていく。そっちの時間尺の感覚っていうのを残しながら、鏡の中でふっと二人が手を握っている、ガタンガタンガタン…電車流れて行った。そこの余韻の残し方をどれくらい残すかにちょっと命かけてる
 Xmasウォッチパーティーで土居さんが、鈴木信也のスタジオとなったロケ場所では、実際に電車の音が聞こえたと言っていた。

 映画の中に偶然入り込んだ音と言えば、クリスマスの夜、杉木が地下鉄の駅に向かって全力疾走する時の救急車のサイレンが最も印象的だった。
 あの緊張感と切迫感が杉木の心理と見事に共鳴していた。

 全力で役を演じる俳優さん達と大友監督の卓越した演出、そして奇跡のような偶然。
 すべてが組み合わさって「10 DANCE」は最高の作品になった。

珠玉の対談に感謝

 
 最初にこの記事を書いた時、あまりにも大友監督のお言葉が素晴らしく、セリフを余さず書き起こしたい気持ちが強すぎて、この3倍くらい長い文章になってしまった。
 そこから涙を飲んで頑張って削りに削ったのだが、本当は内容を全て紹介したいくらい聞きごたえのある濃厚なお話しが盛りだくさんだった。

 特に私が嬉しかったのは、「10 DANCE」をきっかけに大好きになった竹内涼真さんのことを大友監督と柘植さんが口をそろえて「すごく穏か」「いい子」と評してくださったことだった。
「穏やかで、いろんなことを深く深く考えていて、努力を厭わない」信頼できる役者をゲットできたと大友監督が喜んだように、私も竹内さんという推しに出会えたおかげで毎日が一層楽しくなった。

 私は「10DANCE」を見終える度に、ポジティブで幸せな気持ちになれる。
 この映画は大友監督を初め、制作に関わった全ての人からこの世界に贈られた美しく官能的で情熱的な愛とダンスの物語だ。

 二人の男が、ダンスを通じて真剣に関わり合い愛と新しい自己を見出だし成長していく姿に、私は今日も胸を震わせている。

 視聴期限が明日に迫ったこの対談をできるだけたくさんの人が聞いてくれることを切に願う。
 

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