もう、ただの母親
クリスマスイヴだった。
娘と過ごす、4度目のクリスマス。今日のことを、今日ふりかえっても胸がつまる。娘がたくさん笑ってくれた1日。朝、ツリーの足元にある赤いプレゼントの包みを開けてからずっと、夜まで笑っていた。
その娘を見て、わたしはわたしの幼い頃のクリスマスを思い出す。期待はずれのプレゼントが置かれていた年のこと。マロンクリームというサンリオキャラクターの小物入れが、子ども部屋の窓辺にあった。ガッカリして泣いた。
娘と夫、そしてぬいぐるみの茶色いクマとUNOをしている最中は、お父さんのことが浮かんだ。
「ドンジャラ」という、ドラえもんのボードゲームをやらされた。子どもの自分がそれを楽しんでいたかの記憶はないけど、お父さんがはしゃいでいたのはおぼえている。
ドンジャラを囲む、お母さんとお父さん、妹とわたし。弟は...いただろうか。思い出せないけど、お父さんははしゃいでいた。
娘と夫とココスでステーキを食べている最中は、折り紙をしていた。サンタが折り紙の本をくれたのだ。今日の娘は、ずっとUNOか折り紙をしていた。
わたしは、ステーキを食べながら子どもの頃のことを思い出さなかった。両親と折り紙をした記憶がない。ああ、でも今思い出した。千羽鶴を折ったなぁ。妹が小児癌になった時に。
祈りは込めなかったなぁ。まだ小学生だったわたしは、暗い顔で鶴を折るお母さんを見ていられなかったなぁ。いや、どうだろう。見すぎたのかもしれないなぁ。祈りより、家庭から明るさを奪った妹への恨みが勝ったなぁ。
ココスから帰って、夜は娘とマフィンを焼いた。今年のクリスマスケーキは、これにホイップを自由にぬる。かぼちゃ餡をこしらえて、かぼちゃホイップも作った。味見をお願いすると、娘は短い人差し指ですくってペロンとなめ、「あまくておいちい」と答えた。まださ行が言えない。
お母さんのプリンを思い出す。材料が全てそろった状態で小箱に入っているような、お手軽なやつ。蒸すんじゃなくて、ゼラチンで冷やし固めるやつ。カラメルも、お湯でとくだけのやつ。
わたしならプリンは蒸す。実家とちがって、せいろもある。そこそこ機能のいいオーブンもある。プリンは卵と牛乳から計って蒸し焼きにして、カラメルはホウロウの小鍋で煮詰める。多分、お母さんのより美味しく作れる。
だけどわたしは、あっちのプリンを思い出す。
娘は、焼き上がったマフィンに好きなだけホイップをぬって、ミネストローネには米をつっこんで食べた。小さなおなかがまん丸になった。夫はかぼちゃホイップをボウルからすくって食べきった。
金属製のボウルとDAISOの銀のスプーンが、シリシリとこすれ合う。奥歯が浮く。昔から苦手な音。でも忘れないと思う。空っぽにしてもらえたスープのお椀と、ホイップのボウル。
娘はマフィンをちょっと残した。「おなかいっぱいになっちゃったんらよね」とおねえさんぽく言っていた。
お母さんから見たクリスマスは、どんな風だったんだろう。子どものわたしは笑ってましたか?
お父さんから見たこの夜は、ちゃんと宝物だったのかな。死んじゃったから聞けないけど、わたしは可愛かったですか?
41歳のわたしは、もう、ただの母親です。与える側になったつもりでえらそうにしてますが、もらうことのほうが5千倍多いです。
お母さん、わたし今マロンクリーム好きです。お父さん、UNOって意外と面白いです。ドンジャラやりたいです。
メリークリスマス。
星よ降れ。
なるべく長く。
