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One Day その時僕はラジオの現場にいた 第一章 AD時代 第8話 日付

FM横浜の朝の生番組「ポートサイドプラザ」は、三人のディレクターが持ち回りで担当していた。
それぞれが選曲を行い、前日のうちにレコードやCDを、番組の進行台本であるCUEシートと一緒に所定の場所へ置いておく。

僕は出勤すると、まずCUEシートを人数分コピーし、音源を曲順に並べるところから一日が始まった。

ぎりぎりまで選曲を続けるディレクターもいれば、前夜から泊まり込みで準備をしているディレクターもいた。

リクエストコーナーもあった。
当時はメールなどない。
リスナーから届くのはハガキだった。

ディレクターはそれを一枚一枚読み、内容やリクエスト曲を見ながら、その日の番組全体の流れを考えていく。

「今日は何の日」のような小ネタや短い話題を用意するのもディレクターの仕事だった。
インターネットもない時代である。
それなのに、さも当然のように原稿を書き上げてしまう。その知識量には驚かされた。
もちろん、横浜開港記念日のような大きな話題の時には事前に資料を集めて準備していた。それでも、引き出しの多さには感心した。

そんなある日。

僕は、ディレクターが準備していた資料や音源を丸ごと取り違えてしまった。

相手は女性ディレクターのM.Hさんだった。

普段から準備が丁寧で、仕事もきっちりしている人だった。

僕は別の日の資料や音源を当日分だと思い込み、そのままスタジオへ用意してしまったのである。

しかも運の悪いことに、その日のM.Hさんは少しスタジオ入りが遅かった。

放送開始まで、ほとんど時間がない。

異変に気づいた瞬間、スタジオの空気が変わった。

当然、怒られた。
こっぴどく怒られた。

「CUEシートに日付が書いてあるでしょ!」
「そんなことも分からないの!」
そして「とにかく一曲目を用意して!」

僕は「すみません、すみません」と言いながら走り回った。

もちろん百パーセント僕が悪い。

今なら「もう少し早く来てくれれば……」
などと思わなくもない。

けれど当時はそんな余裕はなかった。

ただただ、自分のミスが恥ずかしかった。

コピーでも失敗した。

「B5原稿だからA4にして5部お願い」
そんな指示を受ける。

今なら何でもない。

けれど1986年当時の僕には、それすら難しかった。

そもそもコピー機を使い慣れていない。
拡大や縮小など、まるで魔法のような機能だった。

結局よく分からないまま操作し、B4で出力してしまう。

そして怒られる。

コピー機の用紙切れで困ったこともあった。

早朝のFM横浜にいるのは役員クラスの人くらいで、アルバイトの僕が気軽に頼める雰囲気ではなかった。

それでも放送は近づいてくる。
コピーしなければならない。
けれど一番使いたいA4用紙がない。

仕方なくまたB4でコピーする。

そしてまた怒られる。

今思えば笑い話だ。

けれど当時は必死だった。全身が熱くなるような、そんな失敗だった。

仕事は少しずつ覚えていった。

けれどミスも多かった。

放送は待ってくれない。
気が付けば、毎朝どこかで胃が痛かった。

それでも、その頃の僕はまだ分かっていなかった。

失敗しても、怒られても、番組は終わる。
だから、どこかで「何とかなる」と思っていたのだ。

生放送の本当の怖さを、まだ知らなかった。

そして、それを知る機会は、この後いくらでもあった。




One Day あの時、確かに僕はそこにいた。

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